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喪失はその人だけのもの
スーパーに泣きながら買い物に行っていた頃に、
ここにいる人も何かしらの喪失を経験しているのかもしれない
と思った事がある。
その考えは、出かけるのを助けてくれた。
私が泣いているのを変だと思うひとがいたって、その人が私を助けてくれるわけじゃないし、
そっと見守ってくれている人ももしかしたらいるかもしれない。
だれにも、その人がどんな思いで生きているかなんて、
そう簡単には分からないのだ。
私がどうにもならない思いの時
夫は、私がお花と線香の番ばかりしているから余計にだめなんじゃないか
という趣旨の事を言っていた。
この人には分からないのだなと思った。
私は、離れて仕事をしている彼を見て、
事実と向き合わずにいて、仕事を過分にして、
その時はいいかもしれないがいつか、がくんとくるかもしれない
と思っていた。
でも、それって、私は、私がしている事が最善って思っていて、
彼を見下しているんだなと思う。
なんだかなあ。
人はそれぞれ違うのだ。
悲しみ方の表し方も、感じ方も、流れる時間も全然違うのだ。
夫は、かなりのマイペースであり、そういう人間なのに、人のマイペースは大事にしないのか?
そういう人間じゃないにしても、
悲しみ方まで強制される謂れはないと伝えたら、それ以降は言ってこなくなった。
最近夫が調子を崩している事に対して、
この人はどうして、人の助言も聞かずにいるのか。
娘の事がなくたって、自分が繰り返してきたバイオリズムなのにいい加減セルフケアできるようになってほしい。
娘がなくなって、自分を大事にすることを教えてもらっているのに、なんでこの人はそれをしないのか。
これまでも具合が悪くなっていた時に、家族の暮らしを支えていたのは、こどもと私なのに。
私が頼りたいときも、大変な時も、自分の事を優先させていたくせに。
もう世話を焼きたくない。
私に頼らないでほしい。
と思っている。
これって、私が私の本音を無視して、頑張ってきたからなんだなと2か月前くらいに気が付いたのに、繰り返している。
ねえ。
娘よ。
お母さんは何してんだろね。
お母さんがさ、もっと素直に自分の気持ちに気が付いていたら、もっと楽しいお家だっただろうか。
これから、どんなお家にしていきたいかな。
その前に、どんな私でいたいかな、だね。