枠(思考)からの解放
枠の中に押し込められ、固定化したものにおさまっている。
私とは、こうだ。と
枠は、思考。
思考は、勝手に湧いてくるものだからそこに意識を向けずにそのまま垂れ流しにしとけばいいのだけど、そこを掴んでわかろうとする、分けようとする。思考は分離、理りを解体する、すなわち真から離れる。言葉も思考、本質を表してるわけではなく冗談性を含む、そんなことは考えないでいいんだけど。
要は、思考の中にいてもなにもわからないってこと。なにもわからないってことがわかること。
学校教育の名残りもあるんだろうけど、何かをわかろうとして、今まで頑張ってきてるよね。答えはひとつだって。だから、なにもわからないに居座るって最初は怖いし、変な感じがするんだけど、少しずつ意識していくとそこに居座れるようになって楽になるよ。そこがゴールってこと。
何か付け足す必要もないし、
何も頑張る必要もない。
もちろん、そういう思いが湧いてくることがいけないってことではないよ。
どんな考えも思いも現れては消えていく、蜃気楼のようなもの。掴めないし、掴まないし、あるなって気づいてその感じを楽しめばいい。
枠の中に入ることが悪いことでもないよ。
けど、枠を超えたそれがいつでもあるってこと。
枠からの解放、すなわち自分からの解放。
あら軽い。
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