人に対しての批判は自分が自分に批判していること

最近SNS場での批判が気になったのでそのことについて自論を書いてみる。

SNS場ではよく炎上したり、他人に対しては批判がありふれている。見るたびに気分が悪くなる。
なぜ人は他人の言動がそんなに気になるのか。

かくいう僕は昔他人の言動にとても反応し、その都度弾糾していた。その頃の自分は、こうあるべき、こうすべきのような観念を沢山抱え込んでいた。そのような観念は、親からもらったものもあれば、教育で教えられたこともあるし、実際に生きていく中で他人を傷つけたり、自分が傷く中で身につけたものもある。その身につけたマイルールが絶対だと信じて疑わず他人にそれを当てはめ、そこから外れると批判する否定するそんな事をしていた。批判したり否定している最中は何か自分の正義感が増したような気がして束の間の悦に浸っていたのだが、のちのちそれは苦しみを生み自分のことも苦しめるようになる。他人を捌くときそれは同時に自分を捌いているのであって、身につけた観念の牢屋が更に強固になり自分自身も苦しくなるのだ。大体他人を裁く人は、自分で自分の事を裁いている。人は自分を扱うようにしか他人を扱わない。自分のことを許している人は、他人のことも許しているし他人のことが気にならない。自分で自分を許しているから、自分自身でいることにとても心地よさを感じているから他人のことはどうでもよくなる。
本来人はどんな観念をもっていても正解だしどんな行動をしてもよいはずである。国や時代が変われば法律や文化が違うように、絶対的な正解などはどこにもない。ではなぜ、人を裁きたくなるのか。それは自分で自分に勝手にルールを課して自分を縛り付けているからだ。自分を縛りつけている分、他人がその縛りから外れていたり楽をしていたりすると猛烈に反応する。自分が我慢しているのに…のような、羨ましいという想いの裏返しのようなものだ。叩いている人は無意識的に反応している為そうだとは気づいていない。人に対しての批判は結局自分が自分に対して禁止していること批判してることなのである。例えば、不倫報道などはよく叩かれるトピックのひとつだが、不倫してはいけない、一人の人を愛し続けなければいけないという観念が潜んでいる。他人の不倫事情など自分の生活に全く関係のない事なのでまじでどうでもいいと思うのだが。

また叩く人は低く落ちてしまった自尊心を一時的に保つために外側の出来事に正義感を振り翳してバランスをとっていたりする。今の自分の現状に満足がいかなかったり、自己否定感が強かったりすると他人に攻撃的になる。自分に攻撃している分他人を攻撃する。うまくそれでバランスを保っているのだが、攻撃的な人の周りに人は集まらないしどんどん孤独になっていく。孤独は決して悪いわけではないが、孤独になりたくないと思って自尊心を保とうとしている人が孤独になっていくのだ。自分が自分の事を許し愛していかなければ、人に愛されることはない。まず自分が自分自身に対して優しくしてあげなければならない。

今回は、
人に対しての批判は、自分に対しての批判。について書いてみました。


いいなと思ったら応援しよう!