ふみ もとこ

表現しながら生きてます。絵を描いたり、歌を歌ったりするひと。

ふみ もとこ

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  • 作詞したやつ

    実は作詞作曲もします。作詞した歌詞をまとめてます。

最近の記事

お金という価値について考える必要があると思った。

絵に値札をつけることがピンと来ないまま、 他の作家さんのやり方に倣う形で今日まで値札をつけてきた。大切にしてくれる誰かの手元に渡ることが私にとって重要だから、正直お金がいくら貰えるとかはあまり深く考えてはこなかった。 お金ってなんだろう。 生活するのにはお金が必要だし、絵の具を買うにも食べ物を買うにも、楽しい遊びをするにしてもお金が必要で、身体を壊したときの医療費だってやっぱりお金だ。けれどその価値は普遍的なものじゃない。誰かの意志によって乱高下する。昨日まで100円だっ

    • 私が作ったものを貰われていくはなし。

      皆様ごきげんよう、ふみもとこです。 今に始まったことでは無いけれど、 生成AIを使うひとや学習に使う開発者がかなり当たり前になってきた感じがするので 改めてその辺のことを考えてみました。 結論、私は私の作ったものについて、学習されたり悪用されたり、お商売に使われたりすることは もうどうしようも無いというか 「勝手にせえ!」という認識でおります。 そこに意識を持っていく余力がないのです。 作るので精一杯。 結果として幸せ人口が増えればそっちでいいよと思っています。 もち

      • ふみさんの休日。

        時々、「休みの日は何をしてるんですか」と訊かれることがある。その時の気分でテキトーに答えるけれど、こうやって家で絵を描いていることはお絵描きさん以外にはあんまり言っていない。他意はない。 休みの日はほとんど家から出ない。 生活に必要なものは平日仕事帰りに買って帰ってきて、用事が無ければ家に引きこもる。 出かけるとしたら、お母さんが来ている時に一緒に買い物に出るか、ふみフレンズに声をかけてもらって展示を見て回ったりするくらい。 自分から人を誘うことは滅多に無い。 どうしても行

        • どうしたって曖昧だ。

          「早く楽になりたい」 クタクタになって電車に揺られる帰り道、そんなことをよく思う。 けれど、具体的にどうなったら「楽になった」と思えるのか、私には分からない。 なんとなく今がつらくて、 そのつらさから逃げ出したいのかな。 とてもじゃないけれど、今の環境に満足しているとは言えない。 そりゃあ、今は命令してくる人もいないし、 私を閉じ込めようとする存在もない。 前まで感じていた「つらさ」は、どこかに行ってしまった。解決した、という感じ。 今私を楽になりたくさせているもの

        お金という価値について考える必要があると思った。

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        記事

          ふみと精神科。

          待合室にはいつもどこかで聴いたようなBGMが流れている。いまの病院は5つ目。 精神科に通い始めて随分経つ。 初めは適応障害って言われて、今はPTSDって言われてる。実際のところ、どちらだっていい。 薬を飲んでいて、たまに飲み忘れるけど普通に暮らしてる。 前ほど、重要な存在じゃない。 その1ヶ月にまつわる話を少ししたら、薬を貰う。 周りの人は、私を病気だって言う。 それも、あんまり重要なことじゃない。 クヨクヨしやすいのは昔から。 その都度立て直してきたのも昔から。

          ふみと精神科。

          心の痛みを手放したいので。

          これから書くことは、自分のためのアウトプットなので、もしかしたらネガティブな表現が多くなるかもしれません。読む方は注意してください。 「お前は間違っている」 「お前は自分の行動を正しいと思うのか?あるいは間違っていると思っていてもその行動をするのか」 ふた月ほど前に言われた言葉だ。前後の文脈については割愛。私の頭では、この時言われたことを矛盾なく説明出来ないから。未だに理解が出来ていないから。 この時のことがずっと頭にこびりついていて、 これによって起きた心の変化が私は

          心の痛みを手放したいので。

          ゆらぎ、断片化する日々。

          なにか、ひどく、あいまいだ。 水彩絵具をほんの微かに載せた面相筆の先で、 水滴をなぞった時みたいな、 そこにあるのか無いのか分からないほどの曖昧さで、 今日のぼくは存在していた。 幽霊ですらもう少しハッキリ存在しているんじゃないだろうか。 呼吸音。心音。骨が歪み筋肉が擦れる音。 自分が発する音に耳を澄ませてみた。 ドラマの最終話、彼女が落とした言葉をいまさら拾ってみるなどする。 きみ? 時間がこの方向性で進むことを決めたのはいつだったのだろう。過去を眺めることを、

          ゆらぎ、断片化する日々。

          名前の話。

          皆様ごきげんよう。ふみもとこです。 今日は、私自身の名前についての話をします。 要所要所で、聞かれたら答えていたことですが 私の活動初期は「ふみもとこ」という名前ではありませんでした。 其の子。 これが私の名前でした。 名前を変えたのは、そもそも作家として活動するどころか、表立って誰かに名乗るためにつけたような名前でも無かったからです。当時ゲームのアカウント名だったのを、情報収集用に作ったTwitterのために漢字に直したのが始まりでした。 写真の被写体になってみた

          最近どうしようもなくつらい件。

          タイトルの通り、3月頃から創作活動外で起きているいろいろなことが本当に心をすり減らしていて いよいよ心の病の再発(とは言ってもずっと服薬はしているけど)が見えてきたので、ここいらでちゃんと立て直さないとなあ、と思った。 最近はずっと、トゲトゲした言葉や空気の中に晒されている感じだ。その中にいると何故か自分までトゲトゲしていって、人の悪いところばかりに引き摺られてしまう。私はそういう自分にはなりたくない。 関わる人には出来るだけ、やさしい気持ちで過ごしてほしいし私もやさしい

          最近どうしようもなくつらい件。

          私が絵を描く意味。

          デザフェスを経て、改めて思ったこと。 作家なら誰しも、「自分がこれをやる意味はあるのか」と思う瞬間がきっとあるのではないかと思う。 特に今の世界は、見たくなくてもたくさんの情報に触れてしまうし、その中には自分よりも圧倒的な才能だってある(勿論、私のいう才能は生まれ持ったセンスのことだけじゃない)。 私がやらなくったって。 そう思わざるを得ないタイミングが何度もあった。 本当に何度となく。作家としての心が折られる瞬間はあった。 それでも筆は折らないでいた。 それで良かっ

          私が絵を描く意味。

          きみ、ぼく、ぼくたち。

          皆様ごきげんよう。 ふみもとこです。 デザフェスでした。今回で8回目の出展、5回目の巨大ライブペイントでした。 作品を見てくださった皆様、来場の有無にかかわらず応援してくださった皆様に心の底から感謝しております。 毎回ライブペイントをする時はいつも、「大切な人に届けばいいなあ」と思いながら絵を描いていました。 今回もそれはそうだったのですが、ひとつ到達点を見出すことが出来たので次回からはまたスタイルを変えていくんじゃないかな?と思います。 大きな大きな物語を描き終えたな

          きみ、ぼく、ぼくたち。

          たとえばぼくが死んだら

          自ら命を絶つことはこれっぽっちも考えていない。 けれど、いざそうなった時に、「あのひとはこうだった」「やさしい人だった」みたいに、よく分からないひとに語り尽くされるのは何となくいい気持ちがしないので、ぼくなりのぼくをここに記しておく。 もちろん、未来のぼくがどんな人間であるかは知ったことでは無いから、いつまでも当てはまる話ではないのだろうけれど。 ぼくが死んだ時に、ぼくが語ってほしいぼくの姿の話をしよう。 「よく絵を描いているやつだった」 「動物が好きなやつだった」 「

          たとえばぼくが死んだら

          今年もそろそろ終わるね。

          皆様ごきげんよう。 ふみもとこです。 何となく12月は、気がついたら1年を振り返るフェーズに突入していて驚きますね。思えばこの1年…なんだかとんでもなかったような気がします。去年が割と休息に極振りしてたのもあって、反動でしょうか。 1月、年明け2日目から高熱で1週間部屋から出られず。 2月には念願だった画集、エンド・エデンを販売開始できて初版は完売させていただけて。 3月にはなんとなく「うーん、社会復帰……する?」くらいのメンタリティになり、4月、5月と東京に戻って体を

          今年もそろそろ終わるね。

          デザフェスでした。

          先日はどうもありがとうございました。 ふみもとこです。 11日、12日とデザインフェスタに参加してきました。 今回はライブペイントだけでなくて初めてのショーステージもやりました。 10月いっぱいまで取り組んだ音源制作、本当に心を何度もへし折りながら完成させて、デザフェスでも歌が歌えて、こんなにラブソングに向き合ったのは人生でも初めてかもしれません。 幸せとは?愛とは?という、人生の二大巨頭哲学みたいなやつをひたすら突き詰めて、今年の表現活動を走りきった心地がしています(こ

          デザフェスでした。

          夢を掲げることについて。

          神社で風に吹かれている時に、ふと思いついたこと。 忘れないようにメモしておく。 境内で空を眺めて、ぼんやり「夢が叶うといいなあ」と呟いていた。 ふみもとこ、これでいて今年で29歳になるいっぱしの大人である。 なんとなく大人になると、現実感というか、「堅実に生きなくてはいけない」みたいな考えに囚われがちだ。 お金のことしかり、家族のことしかり、 まあ義務というか未来への責任みたいなもんだと思う。 その流れで、なんとなく「夢を見ていいのは20代まで」とか、「いい年こいて絵

          夢を掲げることについて。

          絶体絶命のぼくたちへ

          絶体絶命のぼくたちへ 作詞作曲 ふみもとこ   夏色セーラー眩しくて 少女は美しい きみは ひかりにまつ毛を伏せた 大人になった ぼくたちは 取り戻せないことがあると知った ビルに反射して 空に染まったまちを きみは 死んだ色だねって笑った 大人になった ぼくたちは 「自由」が言葉遊びであると知った そのうちいつの日か 会えなくなることを きみは 巡り合わせだって言った 大人になった ぼくたちは 怖いのは「死ぬ」よりも「孤独」と悟った 波のさざめきに 思いを馳せている きみは いつまでも美しかった 大人になった ぼくたちは これが愛なんじゃないかと謳った 手を離しても 遠く離れても ぼくは きみのことを想っていた 大人になった ぼくたちは 愛が何か よく分からなくなった それでも 明日も 生きていくしかないんだ

          絶体絶命のぼくたちへ

          絶体絶命のぼくたちへ