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表現する時のテーマ。

(photo by 灰色の群 様)

皆様こんにちは、其の子です。
今日はぼくの表現の中でも、被写体としてのお話です。

ぼくの被写体としてのポリシーはいくつかあります。まずは、ジャンルや年齢、性別、種族、あらゆるものにとらわれずに、絵の中に自分を落とし込むこと。(そのためにカメラマン様には事前にどういう絵を求められているかめちゃくちゃ聞いてしまってます、面倒くさくてすみません(/´△`\) )

そして、写る時、「あなたの知らない、あなたの日常」の再現をすること。

ぼくがこの足で行ける場所は、大体誰かの日常のワンシーンに使われているある種の舞台だと思っています。もし今ぼくが、次のような質問をした時、あなたは答えられるでしょうか。

あなたは、毎日通勤や通学で通る道に、何本の電柱があるか知っていますか?ぼくは答えられません。

毎日代わり映えのしない日常だとしても、変化のない舞台はないと思っています。その舞台の、あなたが知らない一瞬を閉じ込めたのが写真だとしたら、ぼくはその写真の中で確かに存在していて、生きているのです。

けれど、その瞬間のぼくは、今はもういない。写真の中のぼくは写真の中で生きているけれど、今は死んでいる。

だから、ぼくの写真は大体、「あなたの知らないあなたの日常に、死んだ私が生きている」という矛盾だらけの写真になります。

あなたの瞳に映らなくとも、写真の中の「其の子」は存在していたかもしれないし、いなかったかもしれない。あなたの記憶の中の、特定の誰かではなく匿名な誰かで在りたい。

ぼくの名前は元々は意味を持たなかったけれど、そういう意味を後付けで込めています。匿名性というのかしら。

名前も無い誰かが、誰かの日々を歩んでいく。

これはとっても面白いことだなあ、とぼくは思っています。ぼくは誰にでもなれるし、誰にもならない。「其の子」は不特定多数の存在で、けれども、探そうと思ってもどこにもいない。

そういう匿名な存在であることが、ぼくの被写体としてのアイデンティティだと思うのです。

其の子。



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