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男らしさ、女らしさ。失言ではなく、その人は本気で思ってる。

あるインフルエンサー?のツイートで

「育児は男も一緒におこなうもの。女性だけの仕事じゃない。子育て中の妻にもどんどん外出させてあげよう。そういう包容力こそ、男らしさだ」

という主旨のものがあった。

私は違和感を覚えた。

一見、良いことを言っているように見える。
コメントには賞賛が並ぶ。「さすが、育児を主体的にしている〇〇さん」「素敵な夫ですね」など。

でも、私は違和感。

何故なら、

私の知人で、仕事・子育てがいっぱいいっぱいで、睡眠不足が高じ、うつ病になった人がいたから。

うつ病になったのは、の方でした。

その方には様々な事情はあるけれど、夫婦で同等に(それ以上に?)育児や家事をしていた様子。

そうであれば、男側だけが妻を労わることを、努力すべきと言われるのはおかしいのかもしれない。
同等にやっているのなら。

同等にやっているのなら、
「夫が育児の気晴らしに外出することを許すのが、包容力で、女らしさ」だ?

なんか、違和感感じません?

ここに、男らしさ、女らしさ、って関係なくないですか?

そして、最近の感覚では、男らしさ・女らしさという言葉自体が、性の多様性を否定しているように捉えられる。

妻が働いている家庭もあったり、結婚はしていても男性性を自認していない人もいたり、同性愛の夫婦で育児をしている方々もいたり、様々。

育児中の大変な人を労い、ストレスを発散してもらうことに、男らしさや女らしさは関係ないと思うのです。

ただ、そのツイートをした方を責めるつもりは毛頭ありません。

その人は、心の底から、自分が男で、女性を労わるのが男の役目と信じていて、そうやって生きて、それが幸せなんでしょうから。

男と女以外の人がいることも知っていて、なおかつ男らしさというモノがあると信じているんでしょうから。

私には見えないものだけれど。社会が作ったモノだと思うけれど。


最近、私はどんどん髪の毛が短くなってきています。ロングヘアーにはもう絶対しないだろうな。

相手は「長い髪の方が似合うと思うよ」と自分の趣味をやんわり押し付けてきますが、私は「そう、面倒なんだもの」と従いません。

洗うのも乾かすのも朝の支度も、本当に時間がかかっていたなと思い返す。
勿体ない時間だった。

でも、その時は、私はそうしたかった(長い髪でいたかった)からしていただけ。自分のこころの赴くままに行動していただけ。

それを傍からみたら「女らしさ」を望んでいたように見えたのだと思うけれど、性の活発気に、性志向の方面に気に入られようとするのも自然な流れ。(異性愛なら異性に気に入られたい、同性愛なら同性に気に入られたい)

その自然なこころに従って、ヒールの高い靴も、ミニスカートも履きました。

今は、そういう気持ちがそんなに湧いてこない。
髪は短くて簡単でいいし、ズボンが楽だし、ぺったんこの靴が歩きやすい。

でも、私は、性自認は女です。女らしさに縛られる必要もなく、ただ女です。

らしさ、に捕らわれず、みんなが自由でいれればいいな。

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