習慣をつくる

#毎日出す 20190923

「書く習慣をつけたい」と思いつつ続けられないでだらだら過ごしていたのだけど、もうずっと書こうと思っては手が動かないで自分を責めて終わる日々だった。

「書くからには人の心を動かすものにしたい」などと考えて、少し書いてみて読み返し、駄文だなとしみじみ思う。恥ずかしいまま書いたものを出さない。それが壁になる。

恥ずかしさは最適化されて、ついには手を動かす前に駄文を書く予感しかしないで手をつけなくなる。「今日は忙しかったし、仕事はしたし」、「構想がもうちょっとで固まる」、「今はインプットの時期」自分への言い訳ばかりうまくなる。

そんなところで、ONDAYSの奥野さんのブログを読む。


「No Excuse/言い訳なし で毎日やることにしないとダメなんです。」


の文言が目に刺さる。書いている、更新を止めると2日が3日になっていく状況はとても思い当たる。たしかに、毎日の習慣じゃないと作業は続かない。


今まで毎日続いてるのは朝の散歩(とインカーネションという決めた文言を自分に話す習慣)とradiotalkの収録と、最近は自撮り。


朝の散歩は、なんとか続く。歩くのは好きだし、近くに広い公園もあってハードルが低い。中断した場合もすぐに早起きできた日に復活する。そこから、ズルズルとRadiotalkも自撮りも止まっていてもすぐ戻る。

人からは、「Radiotalkの収録を毎日していてすごいね!」と言われる。最近は収録した時はTweetする様に意識しているから。

簡単に戻れる手軽な習慣が大事。それぞれの習慣が絡み合って復活する時に入口になるのが大事。少なくとも、続けたい事を続けたい形にしておくことが大事。


だから、「書くこと」も毎日の習慣に落としたい。他の習慣と絡ませるには、やる場所の手軽さと作業の連続性も大事。朝の通勤でスマホなら。朝に日記を振り返って、1日の目標を決めた後にできるかもしれない。毎日1,000字なら書けるかもしれない。


それならできるんじゃないか?やってみよう。毎日ひねり出してみよう。


昨日、聞いたとある人の言葉にも背中を押される。

(作品は)「アートじゃなくて精神の排泄物のようなものだ。溜め込んでも見られなほど臭くなるだけで、毎日出せ」


40年続けた、プロの話も読んでみる。


よしよし。自分の計画を立てて、自分を管理するのは好きだ。自分のことを振り返ることも好きだ。「書いて伝える」ことも好きだ。

思わず「今はインプットの時期」になりそうだから、まず書こう。まずメモに書いてみて、noteに起こす。

結局、昨日の夜は寝落ちして初日から遅れ気味だけど、ひとまず今日(昨日?)の一歩目でした。


おわり。


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