「得意なことが違うだけですから」って見方ができると、補え合えるしみんな気持ちがいいよねって話。
「あんたいつも自分のことばっかりね」
私の母に私はこの言葉をよく言われます。
それが私のダメなところだと思ってたし、周りに自然に気がまわせる人はすごいなって思うし、かっこいいなと思うし、自分もそうなりたいなと思う半面、やっぱり”頑張らないと”気を回せない自分がいます。
(仕事は別です。だって、相手に全集中してるから、”頑張って”る状態なので、自分のことばかりということではない、と思っています。)
問題は、オフのとき。
特に、食事のとりわけとか。
これは、私が一人っ子だから、ということだと私は認識しているのです。
単に経験の数が圧倒的に違う、そういう意味で。
それを母に伝えても、結局言い訳としてしか聞いてくれないし、私が努力してるところはあまり気にしてもらえない。
でも、最近、そうやって周りに求められること、つまり、マイナスや苦手なことを頑張ってゼロやできるようになるより、すでにプラスなことやできることをもっとプラスにしたり得意にする方が自分も気持ちいいし、いいんじゃないかと思っているのです。
じゃないと、ごはんの時間とか、苦痛でしょうがない。
「また自分のことばかり」って言われるんじゃないか。
「これってこうしたほうがいいのかな?」
「・・・気が遣えてるんだろうか・・・」
もう、余計なことで頭ぐるぐる。。。
とある外食で
「旦那さんはちゃんと子供のこと考えてるのに、あんたは自分のことばっかりなんだから。」
やっぱり言われました。
この言葉。
全く考えていないわけじゃない。
違うことを考えていただけ。
自分のことばかり考えていたわけじゃない。
「何時にここを出たらいいかな」とか、
「みんなちゃんとそろってるな」とか、
私は私の見方でみんなのことを考えている。
でも、母から見ると、どうやら私は
「自分のことばかり考えてる人」
のようなのです。
悲しいよね。うん。
正直悲しいと思っていたし、やっぱり私って周りから見たら自分のことばかりで困った人なんだろうなって、思ってました。
ただ、今回はそばにいた夫がすかさず合いの手を入れてくれました。
嬉しかった合いの手
「得意なことが違うだけですから」
夫が母に対してそう言ってくれたのです。
(一言一句合ってるわけじゃないと思うけれど、内容はこういう意味。)
つまり、気をまわすのは僕の方ができるからやってるだけで、私には私の得意なことが別にあるので、そこで力を発揮してもらえればいいと。
あまりこういうことを言ってくれる人ではないので、聞いたときは「お!?」っと思いましたが、これって、人間関係を作っているうえで、とっても大事な考えなんじゃないかなって改めて思いました。
人は不完全なもの
一人で完全な人になるなんてとても大変。
むしろ、完全な人間なんていないんじゃないかな。
だから、人は寄り添って生きている。
マイナスをプラスにもっていくエネルギーより、プラスをもっとプラスに。
相手のマイナスは自分のプラスで補え合えれば、お互いハッピーだよね。
夫の言葉から、そんなことを思ったのでした。
家庭や社会、おかあさん塾の在り方に対して思うこと
あなたの「できない」は、できるように”ならなければならない”ものじゃない。
できるように”なりたい”なら、頑張ってもいいけど、”ならなければいけない”ことなんて何もない。
だから、もっと肩の力抜いて、”おかあさん”を楽しんでいいんだよ、感じていいんだよ、ということを、「おかあさん塾」「わわわ」で伝えたい。
そして、親子、夫婦、友達、会社、社会、世界、いろんなつながりがあるけれど、みんながそうやって考えていたら、補え合えればいいじゃない、って思っていたら、みんな愛に包まれて、生きてるだけで幸せって思えるんじゃないかな~。