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「感情」がない。チェンソーマンのデンジから学ぶ!その理由とは?

こんにちは。
昨日、体育のドッヂボールで小2男子にボールを当てて大喜びした私です。嬉しい気持ちは正直に出していいのですよ、確かに私は少しおとなげなかったかもしれませんけどww
※母子分離ができない息子に、付き添い通学しています。
 授業も一緒に参加しています。

さて今日のお話は「感情がない」をテーマに、そうなる理由と「そのままで大丈夫だよ」ということをお伝えしていきたいと思います。

これを読んでくれている方の中にも、
・みんなが大喜びしているのに、自分は特に何も感じないとか、
・みんなが泣いて悲しんでいるのに、自分だけは涙が出ないとか、

こういった違和感を自分に感じている人がいるかもしれません。

中には自分では気づいていなくても、周りから「反応が薄いね」とか
「泣かないんだね」とか「うれしくないの?」なんて言われて戸惑った人もいるかもしれません。

誰もが当たり前のように感じている喜怒哀楽なのに、それが自分ではわからない。私はなんでこんなに感情が乏しいのだろうと悩むことはありませんか?

もしかすると、それは過去にたくさん傷付いてきたことが原因なのかもしれません。もうこれ以上は心の中を傷つけられないようにと、防衛反応で何も感じないように無意識に自分で対処しているのかもしれません。

ところでみなさんは「チェンソーマン」という漫画を知っていますか?

私はこの漫画の主人公「デンジ」も「感情がない」ひとりだろうと感じています。
16歳の彼は、父親が遺した多額の借金を返す為だけに、誰にも頼ることなくたった1人で生きてきました。自分の体の臓器を売買することによって稼いだお金も、ヤクザに搾取されていく日々。相棒のポチタ(チェンソーの悪魔)は側にいてくれるけど、デンジは他人から愛されたり、助けてもらったり、支えてもらったりという経験がありません。そして、自ら記憶を消してしまうほどの悲惨な体験も幼少期にしています。
おそらくデンジは、この状況下で生き延びていくために、無意識に
「負の感情」を自らなくしたのではないか
と私は思いました。

寂しい・・・
怖い・・・
助けてほしい・・・
愛されたい・・・
自分はとんでもない事をしてしまった・・・
でももうこれ以上
孤独を感じたくない
恐怖を感じたくない
無価値を感じたくない
罪悪感を感じたくない

独りで生きてきたデンジの状況を考えると、これらのネガティブを幼い子供が独りで抱えるのは到底無理です。全てを抱えてしまうと気が狂ってしまうのは目に見えていますよね。だからデンジは「負の感情を無くす」ことでバランスをとって生き延びてきたのだと思います。

こんなデンジの夢は、「普通」の幸せな生活を送ることでした。
家があって、朝昼晩の食事があって、女の子と恋をしてっていう、今の日本ではごく普通の生活にずっと憧れを持っていました。

デンジはこの後「マキマさん」という人に出会って、初めて「愛情」というものを知ります。「大好きなマキマさん」という存在もでき、マキマさんによってデンジが夢見ていた「普通の生活」も手にいれます。

デンジはこの「普通の生活」と「大好きなマキマさん」を守るためにデビルハンターとして悪魔と戦いますが、それに伴い、新しくできた沢山のハンター仲間を失うことにもなります。

さて、多くの読者はこの漫画を読んでいくと、少しデンジに対して違和感を感じ始めてくるのではないでしょうか?
というのは、デンジはどれだけ仲間が殺されていっても悲しまないからです。

仲間が殺されても特に何とも思わず、「死んだ」という事実だけを淡々と受け止めるのです。仲間を殺した相手に復讐をしたいとか、そういう怒りの感情も出てきません。「仲間が死んでどう思った?」の質問に、「別に〜?」と答える場面もあります。

左の女の子は、血の悪魔「パワーちゃん」

自分の「普通の生活」や、大好きな「マキマさん」が守られているなら、デンジはそれだけで幸せであり、満足なのです。それさえ守られていれば、仲間が殺されようが、傷付いていようが、あまり何も感じないのです。

でも多くの読者は違いますよね。好きなキャラクターが死んだらショックだし悲しい。だからこそ、デンジの反応に違和感が出るのです。ネットには、「キャラクターの心情が理解出来ないから、この漫画も楽しさがわからない」というコメントもありました。

確かに「負の感情がない」というのを経験したことがない場合は、デンジの気持ちを理解するのは難しいかもしれません。
(え?デンジは悲しくないの?)
(仲間が殺されるって、デンジにとっては何でもないことなの?)
(なんでこんなに普通でいられるの?)
と、違和感だらけだと思います。

でもこの漫画を読んでいくうちに、段々と読者側も「負の感情がない」というものを体験できるのではないかと思います。
感情が揺さぶられるシーンのはずなのに、デンジの淡白な反応に読者も段々とつられていくのです。
(〇〇が死んだけど、どうせデンジはまた何も感じないんだろうな)というのが分かれば、読者もその出来事に感情移入するのをやめ、さらっと次に読み進めていくことができるようになるのです。つまり「出来事」に深入りしないことでデンジと同じ心の動きを体験できるのです。

デンジは悪魔を倒す「デビルハンター」という仕事をしているのですが、漫画の中で、

「悪魔が恐れるデビルハンターはなあ、頭のネジがぶっ飛んでるヤツだ」

というセリフがあります。そして、そういう意味で、
「お前は一番デビルハンターに向いてる」
とデンジは先輩から言われるのですが、まさにデンジの場合は、「負の感情を無くしていること=頭のネジがぶっ飛んでるヤツ」であり、そしてそれが皮肉にも、デビルハンターとしての最大の武器になっているように感じます。

デンジは漫画の中で「負の感情を無くしたまま」生きていきますが、もし麻痺させていた感情がきっかけを得て復活した時、おそらく、今までの恐怖や孤独感や無価値感、そして罪悪感といった負の感情でデンジは立ち上がれなくなると思います。最悪、気が狂ってしまって自分が誰なのかもわからなくなるかもしれません。

「感情をなくす」というのには理由があるのです。生まれつき感情が無い人間はいません。動物にだって感情はありますよね。
デンジは一見すごく冷たいクールな人間に見えますが、そうなるだけの理由があるのです。デンジを見ているとわかってくると思うのですが、感情がないとか、感情が乏しいというのは全く責めることではないんです。周りの人のように感じられない自分を責める必要はないし、感じても大丈夫な環境やタイミングになれば感情は戻ってきます。感情が乏しいのは、「自分を守る(バランスをとる)ため」というのが理由なのだから、必要があってそうなっているのです。
悲しい現実を目の前にしても涙が出ない時、それは、悲しみに耐えられないから自分の心を守っているんです。だからそのままで大丈夫なんですよ。むしろ感情がないことが、デンジのように自分の長所になることだってあるんです。冷静さが必要な時もありますよね。

長くなりましたが、今回は「感情がないこと」をテーマに、そうなる理由と、そのままで大丈夫だよということをお伝えしました。
今回の内容はまとめるのがすごく難しくて、書き上げるまでにすごく時間がかかってしましましたが、何か気付きのきっかけになると嬉しいです。
(うまくまとまっているのか、未だに自分でわからないww)
それでは最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

※ちなみにチェンソーマンのOP(米津玄師さん)もクセになるので良ければ聴いてみてください。ベースが最高!

※チェンソーマンは、デンジが「ポチタ」という悪魔と契約したことによって心も無くしたのではないかという説もありますが、私は過去の体験によって感情を自ら封印したのではないかと考えています。今回はそういう見解でお話ししていますので、よろしくお願いします。



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