正論について
社会福祉士と精神保健福祉士の勉強や実習をしたときに思ったこと。
私がいうのはとってもおこがましいのはわかっている。
だけどちょっとだけいいたい、いわせてください、すみません。
学校の先生が言ったこと。
人は誰かと繋がらなければならない、社会参加だけではなく、社会経済参加をしなければならない、よい支援があれば薬はいらない、精神障害を持った人ほど努力をしてほしい、その人自身のために。
正論だ。
人と繋がらなければヘルプを出せない、ヘルプに気づけない、助けることができない、孤立してしまう、手遅れになってしまう、孤独死か自死か犯罪に手を出してしまう、社会参加をすることで安定する、経済参加をすることで自信がつく、発信できる、改革できる、etc.
国、社会、家族、などなど、集団として機能するため、集団を機能させるため、その中で1人1人が役割、やりがい、生きがい、充実、を得るため。
正論だ。
このような正論があるからこそ、「障害」という概念や言葉が生まれたのかもしれない。
常に例外がある、常に正しいことはひとつじゃないと思う私にとっては、とっても息苦しかった。
たとえばの話、頑張ること、キラキラすること、充実すること、優秀だとか立派だといわれそうなこと、目標をつくって目標を達成すること、それはあなたのほんとうにしたいことですか?(そうしたいと思っている人はそうしたいと思っている人で素敵です)。
誰が何といおうと、生産性がなかろうと、なにもしてなくても、誰とも会ってなくても、私は私、あなたはあなた、命は命、自由は自由。
そこだけはベースにしてほしい、根拠にしてほしい、堂々としてほしい、自信を持ってほしい。
しぶとく楽観的に生きてほしい。
大丈夫。
私はナニサマでもないしナニサマになることもないけど、
絶対に自信を持って言える。
堂々と生きて。
さびしくたっていいんです、ひとりぼっちだっていいんです、メシが美味いと思えなくっていいんです、テレビやネットや人との会話が面白いと思えなくたっていいです、ニコニコできなくていいんです、怒ってしまったそれも人間です、何かに頼ってはいけないとか誰かに頼ってはいけないとか思わなくていいんです、そこそこ頼ってそこそこお付き合いすればいいんです、してはいけないとかしなくてはいけないとか強迫的に思わなくていいんです、ぐだぐだやぼろぼろで終わった1日、一生、それもいいんです、中途半端は最高です、すべてはたまたまなんです。
そこそこ息してそこそこメシ食ってそこそこウンコしてそこそこ寝る、これは、生き物として、とても幸せなことなんです。
ハナマル満点です。
人間は、人間らしさ、人間的な〇〇、とかにこだわりがちですが、人間は生き物です。
極端にいっちゃえば、それ以外のことは、どーでもいいんです。
楽にいきましょう。
最後に、私が最近ぐっときた、
「つらいことが続くこの人生ですが、『悲しみ』もまた『ご縁』として受け止め、いつか『ご恩』として感じることができる日が来ることを願っております。」
という、浄土真宗本願寺派「永明寺」(福岡県北九州市)の住職の言葉を引用させてもらって締めくくります。
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