自分も、この人も、いつか死ぬんだ。 今日かもしれないし、60年後かもしれない。 でも、必ず死ぬ。 そう思ったとき、たいていの悩みや苦しみは小さくなる。 常ならず。 なにもかもが。 よくもわるくも 笑。 どんな素敵だとおもったことも、そのうち素敵だと感じなくなるし、 ついに答えが見つかった!とおもうことも、そのうち答えじゃなくなる。 どんなに最悪だとおもったことも、そのうち最悪じゃなくなる。 いつかは過ぎ去る。 いつかは変化する。 いつかは終わる。 な
社会福祉士と精神保健福祉士の勉強や実習をしたときに思ったこと。 私がいうのはとってもおこがましいのはわかっている。 だけどちょっとだけいいたい、いわせてください、すみません。 学校の先生が言ったこと。 人は誰かと繋がらなければならない、社会参加だけではなく、社会経済参加をしなければならない、よい支援があれば薬はいらない、精神障害を持った人ほど努力をしてほしい、その人自身のために。 正論だ。 人と繋がらなければヘルプを出せない、ヘルプに気づけない、助けることができな
母は、昔こう言っていた。 「芸能人の追っかけとかできる人がほんとうにうらやましい。お母さんはそこまで夢中になれない。何事にもドハマりするということがない。夢中になれたら、ほんとうに楽しいだろうね。」 母は、高倉健、佐藤浩市、上川隆也、がほんのり好きだった。 でもそれよりも読書が好きで、書店で本を買ってきては毎晩読書タイムを設け、ウトウトして本が顔に落ちてくるなんてことも。ジャンル問わず色々読むが、五木寛之さんをよく読んでいたような。 余談だが、私は多感な頃に、母から借り
去年、友人と夫と一緒に山に登るようになり、今年から1人で山に登るようになった。 山に登りたいと言いだしっぺなのに1番どんくさい私と登ってくれた友人達には感謝してもしきれない。 この世のものとは信じがたい光景を幾度も目にし、あたまが真っ白どころか透明になった。 けれど、友人や夫と登るといちいち写真を撮るために立ち止まらねばならず、さらにこだわりの強い彼らはポーズを話し合ってはテイク2テイク5…と延々と撮り直しをするのに閉口した。 1人で登ってみると、山と一体化できた。
仕事が終わってクタクタになって職場の駐車場で燃えるような強烈な夕陽をみた 毎日コンクリートの壁に囲まれて仕事をしていることを残念に思った (寿命がきて)死ぬときは夕陽をみながら死にたい そんなことを父に話したら いやそんなの無理でしょ! とあっさり それよりもお父さんは絶対痛いのが嫌!絶対絶対イヤ!!と 父ちゃん、わかったけど、実現するとかしないとか、痛いとか痛くないとかが大事なんじゃないんだけどな…(笑)
大学生のとき、洗濯ものを1週間以上サボって、はくぱんつがなくなってしまった 夜に散歩しながらのんびりそんなことを友達に話したら あきれた様子も驚く様子も見せることなく 割と真面目に考えてくれた上で つぎの洗濯までおりものシートつけてはいたら大丈夫でしょ と言ってくれた わたしはその友達を好きだった 友達は今は中国地方のとある県のどこかにいるらしい、と人づてに聞いた
私の知る限りで1番美味しいのは、人に淹れてもらうコーヒーだ 母はコーヒーの名手?で、人を感動させることも多かった どこのコーヒーですか?!教えてください!!と 今嬉しいのは毎朝夫が淹れてくれるインスタントコーヒーだ ホットとアイス、選べる式 昔あんなにマズイと思ったインスタントコーヒーだったのに