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東大生デザイナーによる東大美女図鑑リブランディングの全思考プロセス 〜僕はJKになりたかった〜

はじめまして。東京大学理科一類二年の西丸颯です。東大美女図鑑でカメラマンおよびデザイナーをやっています。

この度、東大美女図鑑はリブランディングをしました。ロゴの変更だけでなく団体としてのミッションの見直し、そもそも何をやっていくべきかという根本レベルから整理をし直しました。

新しい東大美女図鑑では「記述する」をキーワードにリブランディングを行いました。

デザインを独学でやってきて約半年。リブランディングはおろかロゴデザインもまともにできない東大生デザイナーがどのような手探りをし、失敗をしながらリブランディングを始めたかを記します。

目次

1.ロゴが一回も使われなくなった
2.まずはリサーチ。飽きるまでリサーチ。飽きてもリサーチ
3.「僕はJK。僕はJK。」と自己暗示をかけ続ける日々
4.これで決まりだ、とはならなかった
5.考えるより先に手が動く
6.どうして手が動いたかを考えた


1.ロゴが一回も使われなくなった

東大美女図鑑は東大美女の写真およびインタビューを写真集の形で毎年二回五月祭と駒場祭で発行しています。五年前の五月祭にはじまり、2018年度の第91回五月祭では『東大美女図鑑 vol.9』を発表させていただきました。

私は中学生のころから写真を続けていました。大学入学後は「あーポートレート写真撮れるようになりたいなー」と思い2017年の6月ごろに東大美女図鑑のカメラマンとして参加しました。2017年11月の駒場祭で発表した」『東大美女図鑑 vol.8』から私の写真がのっています。

駒場祭が終わると次の五月祭の準備がはじまります。たまたま編集部にデザインができる人がいなかったため、デザインをしたことのある私がデザインの多くを担うことになりました。

先輩の力を借りながら編集を進め無事五月祭で『東大美女図鑑 vol.9』を発表できました。売上も順調で私達編集部一同「成功した」と感じました。実際成功でした。

しかし、です。五月祭が終わり重大なことに気づきます

いざ五月祭が終わってゆっくりと家でvol.9を眺めていました。そこで気づいたのは「ロゴが一回も冊子に登場していない!」という事実でした。

ロゴの造形云々以前に、そもそも編集部が冊子にロゴを入れなくてはという思いになれなかった、ロゴの表すように冊子を作れなかったということに危機感を感じました。

一方で「今のロゴを使っていこう!気をつけよう!」と喚起することもまた違うように感じました。というのも東大美女図鑑自体テイストの変化が起こっていたからです。ロゴの変更の予兆は一年以上前に現れていたのです。これらは東大美女図鑑の表紙の変遷です

表紙だけでも明らかにvol.6までとvol.7からでは大きく異なることがわかります。タイポグラフィーに関してもvol.7の時点で異なっている。

また東大美女図鑑のロゴを冊子内で使われている写真に当て込んだときにあまりうまくなじまない。そのあたりからもロゴの変更の必要性を感じるようになりました

ロゴだけではありません。そもそも編集部内部でも「なんのための団体?」という部分が揺らぎつつありました。東大美女図鑑のHPにはこのように書いてあります。

「東大美女図鑑」は、東大女性のイメージ向上に貢献することで、女子学生比率がわずか18.2%(2012年現在)である東大の女子受験者数増加を目指しています。

東大美女図鑑は学生による一サークルです。毎年のように人が入れ替わっていきます。そんな中で創設から一つの思想が受け継がれる事自体難しいことです。一度は「それでもいいか」とも考えました。ただ、「いや再びの統一をできる気がする」と感じた2つのきっかけがありました。

一つはvol.9をデザインしていく直前のミーティングのときです。図鑑の中にはプロフィールと共にモデルを紹介する個人ページと写真をメインに世界観を魅せる中間ページがあり、「個人ページをどのようにデザインするか」を話し合ってるときでした。普段は「ああだ」「いやこうだ」と思い思いの意見を言い合うだけの編集部でしたが、「どんな表情を載せたいの?」という質問については「笑顔だけでもまじめなだけでもないいろいろな種類の表情を載せたい」という意見で一致しました。

もう一つは五月祭が終わった日の夕方。よい売れ行きの喜びともろもろの疲れとともにテントの片付けをしていました。そこでは「いやー売れ行きも良かったのも嬉しいけど何より女性がいっぱい止まって立ち読みしてくれていたのが良かったよね」「うん嬉しかった」という会話が行われていました。

確かに「なんのための団体?」という部分は揺らいでいるのかもしれない。だけれども「何を重視するか」「どんなことをしたいか」という部分はしっかりと共有されている。だったら再びそれをまとめ上げて「なんのための団体?」を納得できる形に見えるようにすることができるのではないか。そう考え、リブランディングを始めることにしました。

ただロゴを変えるだけでない。編集部のみんなが考えていること、感じていることから価値を掘り起こしそれを見える形で提案する。そのためのプロジェクトがスタートしました。

2.まずはリサーチ。飽きるまでリサーチ。飽きてもリサーチ

プロジェクトがはじまった、といってもたった一人です。というかそもそもリブランディングなんてやったことがない。一体全体何をやるべきで何から始めるべきなのかさえわからない。まずはリブランディングやロゴづくりについて調べはじめました。

読んだ記事・本・サイトの一部
heyインサイドストーリー 〜heyのCIデザインプロセス全記録〜
フリルのロゴができるまで
君が好きな湘南モノレールのCIデザインの話
『デザインのデザイン』 原 研哉 
TAKAYA OHTA
割石裕太: OH
KASHIWA SATO - CREATIVE DIRECTOR / SAMURAI INC. TOKYO
ロゴのリデザイン ー なぜGapが失敗しAirbnbが受け入れられたのか
丁寧に急ぐ、株式会社ARMYでの駆け足ロゴ制作の記録

インターネット上に落ちている情報はもちろんのこと書籍を購入して読んだりPinterestでロゴをアホのように見続けたり・・・。同じ記事も何回も何回も読み続けました。

ロゴやリブランディングについて調べていくとロゴを強固にするためには「思考の厚さ」が大事だということに気づきました。いいロゴは裏にどれもストーリーを持っている。造形としての美しさ(感性)だけでなくどれだけその形にロジック(知性)を組めるか。

私はいっぱしの東大生です。国語は苦手科目でしたし感性に自身はありません。だけれども知性なら勝負ができる。しっかりと論理を組み上げていけば自分にもできるのでないかと思いました。

まずは何よりインプットです。現状の東大美女図鑑をしっかりと把握するために過去の資料・バックナンバーを読み込みました。また上智美女図鑑や九大美女図鑑など他大学の美女図鑑、大学のミスコン、美学生図鑑、美女暦などインターネット上で調べられる限りに調べ尽くしました。

調べた情報をapisnoteを用いて整理している様子

また、編集部員へのヒアリングも行いました。ヒアリングにおいては、話す側が抽象的な話をして「誰でもいいそうなこと」を言わないように、あくまで感じていることを正直に述べてもらうために具体的な質問を心がけました。

ヒアリングのときの議事録「今日の格言コーナー」に書いた言葉。そのミーティングをどんなグラウンドルールのもとに行うのかを示すのに格言コーナーは役に立つ。ちなみにニーチェは『ツァラトゥストラはかく語りき』を10Pほど読んだことしかない。

質問は「これまでの東大美女図鑑のなかでどのページが好き?」にしました。その回答をもとに「なぜ?」という質問を投げかけて行くことで具体的な事実をベースに抽象的な話を引き出していきました。

学業や他のデザインの業務の合間にリサーチをしてまとめを繰り返し、このリサーチ期間は合計一ヶ月半にもおよびました。長くはありましたがそのおかげで見えてきた「東大美女図鑑の強み」がありました。

東大は一年生二年生のキャンパスと三年生四年生のキャンパスが別れています。そのためか年に二回の学園祭が開かれています。東大美女図鑑もその学園祭に合わせて半年ごとに発行してます。これは当たり前だとおもっていたのですが案外そうでもなかったということに気づきます。

他の大学は学園祭は年一回です。そのため発行ペースは年一冊になる。この差は大きい。東大美女図鑑は二倍細かくモデルの姿・変化を追うことができる。これは強みとしていくしかない。

また、ミスコンとの比較も考えました。2018年度の東大ミスコンでは5人のエントリーのうち4人が東大美女図鑑のモデル、さらにその中の二人は編集部員でもありました。知っている人がミスコンに出る、東大美女図鑑に出ているモデルがミスコンに出るということで、その人が図鑑でみせる姿とミスコンでみせる姿の比較もしました。

3.「僕はJK。僕はJK。」と自己暗示をかけ続ける日々

デザインの思考はクライアント、ユーザー、デザイナーのやりたいことの3つの円の重なりを探ることです。リサーチとヒアリングによってクライアントである編集部への理解は進みました。デザイナー自分自身が何をやりたいか、それはカメラマンでもある自分の写真に問えばいいことです。

さて問題となってくるのがユーザーです。正確にはユーザーじゃなくて東大美女図鑑を届けたい人たちというのがいいのかもしれません。私達が誰に東大美女図鑑を届けたいか、そして何より届けた先に何があるのか。それをデザイナーとして明確化する必要があります。

幸い私達編集部が東大美女図鑑を届けたい人たちは定まっていました。私達はとくに東大を受験したいと悩んでいる女子高生に届けたい。そう考えていました。

「東大美女図鑑」は、東大女性のイメージ向上に貢献することで、女子学生比率がわずか18.2%(2012年現在)である東大の女子受験者数増加を目指しています。

団体のHPに書いてあるこの文まではっきりしたものではないにしろ、「買ってくれること自体嬉しいけど、やっぱり女子高生が買ってくれるのが一番嬉しい」という思いは一致していました。

ただ「女子高生に買ってもらうってどういうこと?その先に届けたいものは何があるの?」という部分ははっきりしていませんでした。そこを考えていかなくてはならない。女子高生が「かわいい!」ってなる女子ってどんな側面?女子高生はどんな感性を持っているの?これが思いのほか難航しました。

まず私は男です。しかも中高一貫男子校。女子高生の考えていることがわからない。

わからないわからないとは言ってられません。わからないならわかるしかない。自分のなかに女子高生を降臨させなくてはならない。気分はイタコです。

まずは女子高生の触れているものに触れることからはじめました。Tik TokやSnapchatなどをインストールし日々見続けました。Instagramでは女子高生に人気と言われるインフルエンサーを調べ上げ全員をフォロー。驚きの頻度で更新されるストーリーを逃さず視聴しました。書店では女子高生向けの雑誌から30代女性向けのファッション誌まで幅広く立ち読みをしました。毎朝起きるとSlackの確認のあとにはMERY,LIPSなどを開き記事をチェック。出先で可愛い小物が売っていればちょっと見てみたり。LUMINEの広告を見てキャッチコピーの力強さにひれ伏したり。Perfumeの動画やTwiceの動画、欅坂の曲を聞いたりリトグリのジャケットデザインを眺め続けたり・・・。下の画像はそんなことをしている時期のツイートです。

どうにかして自分の中にJKを降臨させようとするもそう簡単に行くものではありません。上のように気分は女子高生生活を送って特に進捗もないままに一ヶ月が過ぎました。

ある夏の夜、ふと散歩がしたくなりました。散歩をしようとおもった時間は深夜の0時ごろ。せっかくだし本郷から駒場まで歩いてみようと思いあるきはじめました。都心の夜は誰一人歩いていません。誰にも聞かれないということをいいことに、「僕はJK。僕はJK。東大を目指そうかと悩んでいる」とひとりごとをつぶやきながら深夜の皇居の周りを歩きました。

本郷から駒場まで歩いて5時間。思ったことを考えるより先に口につぶやきながら思考を深めていきました。眠さと深夜テンションもあいまってこの二ヶ月間の間にインプットしてきたものがどんどんと混ざっていきました。

私達の意外な強みである「モデルを半年ごとに描ける」こと。私達のやりたいことである「女子高生に東大美女図鑑を届けたい」ということ。東大を受けようという女子高生が東大にもつイメージ。私自身がカメラマンとして被写体であるモデルと向き合う中で感じたこと。すべてが混ざっていきました。

ふと私達は女子高生が憧れることのできる存在を発信するのがいいのだと気づきました。

18%という女子率を上げるという抽象的な数字のために発行するのではなく、むしろたった一人であっても具体的な人が、現実に存在する人が、東大美女図鑑を見て憧れることのできる人を見つけ、東大を目指そうと思ってくれる。それを目標にすればいいのだ。

東大美女図鑑は半年に一回のペースでモデルを描きます。過去の号から見ていると最初は〇〇に興味があるからと東大に入った一年生が学年を経て関心が変わっていく様子も見ることができます。創刊当時はそこまで見えていなかったでしょう。半年毎だからこそ五年も続いているからこそ生み出せている価値がある。

モデルが誰であるか以上にどうやって生きているか。そのかけらを描くことができる。それが東大美女図鑑だからできることだしやっていくべきことだときづきました。

二ヶ月の思考をかけてたどり着いたのは至極当たり前の言葉でした。

4.これで決まりだ、とはならなかった

さて目標が定まりました。東大美女図鑑の目標は「憧れを見つけられる場所」となること。

つぎは「そのために東大美女図鑑はどういう存在であるか」「どのようにモデルを描くか」を考える作業です。ここまでの世界観のレベルに落とし込み編集部員の意見を聞くことにしました。

ちょうどその時期に FOLIOリブランディングの裏側 ──構想からリリースまでの8ヶ月の軌跡── が公開されました。リブランディングの結果だけでなくそこに至るまでの手法を含めたプロセスが記されています。

FOLIOの記事を参考に「キーワードをベースにして世界観を構築する」作業に入りました。

ロゴは思い浮かんでしまうと、作り込んでしまうと愛着が出てしまいます。そうでなく言葉によるコンセプトの可視化に留めることでより柔軟にフィードバックを受け止めることができるようになります。

4つのキーワード・それぞれの説明はもちろんのこと各キーワードを灯台美女図鑑の写真に当て込んでみて言葉の雰囲気が私達の目指す姿に合うのかの検討をしやすい状態にしました。

共通して流れる「憧れを見つけられる場所」というコンセプトを提案するとともに考えた4つのコンセプトを編集部に投げました。

4つのコンセプトを考えるときは「そのコンセプトが適切か、採用されそうか」よりも「どれだけコンセプトにバリエーションをもたせられるか」を重視しました。

リブランディングのゴールはただロゴをつくることではありません。新しい東大美女図鑑のコンセプトをどれだけ内部に浸透させるか。そして編集部のメンバーが浸透したものをベースに撮影・デザイン・企画を行えるかということが指標となってきます。

東大美女図鑑は学生のサークルのため、常に同じ場所に人が集まって作業するとかはありません。集まって撮影のときぐらいです。そのためコンセプトを浸透させるというのが非常に難しい。Slack・LINEの会話をベースに浸透させなくてはいけない。Slackの会話で議論が起こらなければいけない。自分自身でそのコンセプトに対して意見を言えるようなものでなくてはいけない。自分のなかではっきりしていなかったかもしれないけど「これは近い気がする」「これは違う気がするな」というのを自分自身で発見してもらわなくてはいけない。

そこで今回はあえて「これは違うなー」と思えるようなコンセプトも入れ込んで幅の広さを重視して提案しました。

そして編集部の全員からフィードバックをもらいました。感謝です。

それぞれについてのフィードバックは以下の通りでした

her way
-ロールモデルを見つけられる場所というコンセプトとして良い
-大きいコンセプトに容姿が含まれていないというのが良い
-とがりすぎていて身近に感じることができないのでは
-大学生感がない
わたしらしく
-写真以外の文章などのコンテンツが考えやすそう
-her wayと比べて親しみやすい
-良くも悪くもこれまでと変わらない気がする。手詰まり感
Play!!!
-写真として表しやすい
-男子ウケはする
-東大生に限らない
-アイドルっぽい、幼い
賢くて、かわいくて。だからどうしようもなくかっこいい。
-言葉の響き自体は、創設の頃から続く根源であって大事なこと気がする
-考え方とか生き方の文脈にとることが難しい

どれも的を射たフィードバックです。このフィードバックをもとにコンセプトをより精緻化していく。そのつもりでした。

ですがここで半月以上腕が止まります。文字通りまったく動かなくなります。

4つの提案をしてみてわかったのは「少なくとも解はこの4つの中にはない」ということでした。そしてどの要素を取り入れていくべきかというのもわかりました。ただその取り入れるべき要素をうまくまとめ上げる形がまったく見えませんでした。

取り入れるべき要素は「生き方への着目」「ある程度敷居は高くする」「だけど遠い空想の存在にはしない」ということ。

また4つのコンセプトとは別にミスコンとの差の指摘もありました。ミスコンはかつてはミスコンの期間の間だけの活動が多かったが、2年前のミス東大のしのりなさんを皮切りにその後も発信し続けるという流れができている。その中で東大美女図鑑の「半年ごとに」というのはあまり独自性を持つものではないのではないか。むしろ一番独自性を出せるのは「自分が発信する」のではなく「他者視点から描く」という部分なのではないか。

これらの要素を改めて考え続けるも何も思い浮かばず日にちが過ぎていきました。

5.考えるより先に手が動く

考えるだけじゃいけないのではないかと思い、手を動かすことから始めてみました。現状のロゴのハートマークをブラッシュアップしてみたり、新たなシンボルマークを出してみたり。でもどれもしっくり来ません。そもそもそれらがいいかどうかを判断する軸となるコンセプトさえできていないのですから。

インプットが足りないことに原因があるのではないかと思い、インプットの再開をはじめました。「僕はJK。僕はJK。東大を目指そうか悩んでいる」とつぶやきながら深夜の街を歩きました。女性向けファッション誌はもちろんライフスタイル誌や雑貨めぐりの雑誌などいろいろなものを読みました。Perfumeの動画を見続けたりロゴをトレースしたりしました。乃木坂46や欅坂46のジャケットを調べてみたり。

いろいろなことを試しましたが特にひらめくこともありませんでした。そうして日にちが過ぎていきました。

ある日の朝のことです。「今日はなんだかできる気がする」という啓示がおりてきました。もちろんコンセプトはまだ固まっていません。何か特別なインプットをしたわけでもありません。ふとそんな気がしました。

その直感にしたがい、パソコンを開き作業を開始しました。フォント選び、文字の調整、パスの調整すべてが答えを知っているかのように進んでいきます。手は止まることなく動き続けました。気づくと自分の部屋に一日こもっていました。

できたロゴがこちらです。

文字の選定は下のように進みました。ここで表示されている以上にさまざまなパターンを試しながらデザインしていきました。A1明朝をベースにして各文字の間隔やサイズのバランスを調整しています。

ある日突然手が動き出す。答えを知っているかのように比較検討が止まらない。不思議に思いながらも一応のデザインを終えました。

できたロゴは一案だけでしたが、これが今の自分にできる唯一の解であることを知っていました。

6.どうして手が動いたかを考えた

さていくらロゴができたからといっても「さあできたよ!ばーん」と見せるのは良いことではありません。そのロゴである必然性や十分性を自分のことばにのせて説明できなくてはいけません。

ロゴは顔です。人間にとって顔は印象を決める一番重要なパーツ。だけれども私達は顔だけを見ることはできません。人の内面を見ることではじめてその人の顔をしっかりと見ることができる。その顔はどんな内面の表れなのか。はっきりと記す必要があります。

眼の前には「これで完成だ!」と自分が決めたロゴがある。なんで完成だと思ったのかそれはまだ言葉になっていない。だけれどもこのロゴに自分の疑問を投げつけて返ってくるものは確実に「なぜこのロゴなのか」を説明してくれるはず。

そんなことを考えてロゴのデザインの言語化をはじめました。

イラストレーターに残っているデザインのプロセスを見ながらまずは言語化するべき点を洗い出します。

言語化するべき点
・ベースのフォントを「A1明朝」にした理由
・「大」と「女」を少し小さく、「鑑」を大きくした理由
・すべての文字をわずかに内側に削った(細くした)理由
・文字間隔を広げた理由
・黒色にした理由
・タイポグラフィーのみでシンボルマークをつけなかった理由

これでとりあえず出しきりました。さて各部分の言語化を開始します。

まずはとても当たり前のことを言葉にして書き出します。言わなくてもわかってしまうぐらいにあまりにも当たり前のことから。「当たり前のことをいったん見える形で自分の頭の外部に出さないと、当たり前以上のものはそれらに遮られて見えなくなってしまう」からです

まずは「ベースのフォントをA1明朝にした理由」からです。まずベースのフォントを決めるとき自分のPCの中に入っているすべてのフォントを並べました。「これは違うな」「これは可能性あるな」と切り捨てていくと最後に残ったのは「A1明朝」と「筑紫A丸ゴシック」と「游教科書体」の3つでした。3つにしぼるまでに重視したポイントは「東」の字の形でした。源ノ角ゴシックや游明朝などは「東」の真ん中部分の主張が強い。一番最初の文字のインパクトが強くては全体の主張も強くなってしまう。そう感じセレクトしていったと振り返りました。

次に「A1明朝」「筑紫A丸ゴシック」「游教科書体」から「A1明朝」へのセレクトを言語化しました。「筑紫A丸ゴシック」はvol.9のフォントで採用するなど東大美女図鑑で前からお世話になっていたフォントです。ですが一方で「丸っこすぎる」「THEかわいすぎる」と感じました。男性から見たような「女性のかわいい」ってこういうことでしょと文字が訴えているようで、「憧れを見つけられる場所」からは離れます。「游教科書体」と「A1明朝」のふたつでは最後まで悩みましたが「游教科書体」は普段あまり見慣れない教科書体のため目に入ったときに違和感を感じるかなと思い採用しませんでした。

キーワードレベルで書くと上のようにまとまりました。

「『大』と『女』を少し小さく、『鑑』を大きくした理由」「すべての文字をわずかに内側に削った(細くした)理由」「文字間隔を広げた理由」について考えます。考えていくとこれらはすべて同じ理由から来ていることがわかりました。

A1明朝をベタ打ちして感じたことは「大」と「女」が大きく、「鑑」が小さく見えるということです。書き順が少ない感じほど大きく見えるということから考えると当たり前なのですが、そこが気になりこれらのサイズ調整から入りました。特に「大」と「女」がもとのサイズであったとき全体的にロゴのボディが大きく見えてしまいロゴとして主張しすぎてしまうのではないかと考えていました。もっともっとロゴとしての主張を弱くしたい。その考えから同様に「文字を細くし」「間隔を広げ」ました。

次に色については様々な色を考えそれを写真に置くことをしましたが、黒および白以外にどれもしっくりくる色がありませんでした。むしろ感じたのは「色を付けるのは似合わない」ということでした。ロゴが色を出してはいけない。そう感じていました。

さて文字のシェイプ、色については言語化を終えました。ここまで言語化して気づいたのは「ロゴとして主張をしてしまうのはよくない」ということを重視しながらデザインしていたという事実です。

より思考を深めていきます。「ロゴとして主張をしてしまうのはよくない」と考えたのはなぜか。ロゴが主張しないなら何が主張するのか。

ロゴを見続けていても新しい考えは思い浮かばなかったので写真に当て込んでみました。

たくさんの写真にロゴを当て込んでいきながら、そのロゴがもつ世界観を見える形にしていきました。

私はカメラマンもやっています。たくさんの写真を並べてロゴを当て込んでいくうちに撮影のときの自分自身の心理状態が浮かび上がってきました。

前に提案した4つのコンセプトは差こそあれ「モデルの〇〇な姿を描く」というフレーズからはじまっていました。私自身の撮影を振り返ってみました。そこで気づいたのは「〇〇な姿を切り取るって本当にできることなのか?」ということです

撮影は想像以上に「戦い」です。モデルとカメラマンのコミュニケーションの間に写真は生まれていきます。写真はカメラマンからスタートするわけでもモデルからスタートするわけでもありません。カメラマンがどれだけうまかったとしてもモデル以上にもモデル以下にも写ることはありません。その逆もしかりです。どう工夫して撮ろうとも被写体本人、カメラマン本人が撮れてしまうのです。

カメラマンが「モデルの〇〇な一面を撮りたい!」と言ってもその一面がモデルになければ撮れることはありません。

写真はそのとおり正直です。

私達はモデルから引き出すことはできてもモデル以上を描くことはできません。

私達編集部が「モデルの〇〇な姿を描く!」というのはあまりにもおこがましいことだと気づきました。

私達にできること、そして届けていくべきことは「そのままを描く」ということだと気づきました。

気づいたことを勢いに任せて出る言葉のとおりに文章にしていきました。

ロゴやコンセプトなどを詰めたファイルをSlackに投げたときに添付したコメント
みなさまお久しぶりです。前回のみなさんのコメントをもとにコンセプトをつめると同時にロゴもデザインしました。
前回のフィードバックをもとにより深く考えました。解は「私らしく」と「賢くて」と「her way」の間にあるということが見えてきました。
そして考えていくうちに「モデルの〇〇な姿」を描くとか「ありのままの姿」を描くってそもそも本当にできることなのかという疑問にあたりました。
「ありのままの自分」というのは簡単です。でもいざ「ありのまま」といったときに出そうとする自分ってその人の姿なのでしょうか。自己の解放は果たして正しい姿なのか。その人の日常に即しているのか。外の制約にとらわれて他人の目線に悩まされて、という姿もまたその人自身なのではないでしょうか。
また、「モデルの〇〇な姿」を描く、についても疑問を感じました。思考のベースとしたのは僕が一カメラマンとしてモデルを撮影するときに考えることでした。写真は被写体とカメラマンのコミュニケーションの間に生まれてきます。カメラマンの等身大以上のものは写らないし、モデルがどれだけ表面を飾ろうとも像には内面が浮かび上がってきます。私達撮影者側が「こう撮りたい!」「こんなふうに!」とどれだけ工夫しようとも、それはモデルのそのままを写す以上にはなりません。
カメラの前で笑顔をつくるのがむずかしい。遊ぶかのように撮影をする。ポージングがうまい。それらはありのままではないかもしれないけどすべて「そのまま」の姿です。
実は私達がするべきことできることって本当に素直に「モデルを記述する」ことなのではないかと。
私達編集部は外からモデルを記述します。だからこそそれはモデルが考えている「こう見られたい」とかモデルに対して私達が見つける「案外こんな姿もある」とか。すべてひっくるめて描くことができるのだと思います。
すべてひっくるめて描く。それによって表れ出るのは人間です。人間を描くことにより「憧れることのできる存在」を見つけてもらう。
その考えにいたりいよいよロゴのデザイン。ロゴのデザインのキーワードとしたのは「無色」であること。ただ私達編集部は記述していくだけの存在。そこに押し付けた色はあってはならない。
前のロゴはいわゆる「かわいい」のステレオタイプのようなロゴでした。ピンク色とハートと丸い文字と・・・。ただそのように固定概念的なかわいいというものが東大美女図鑑に在籍してくれている全モデルと合うものなのか、彼女たち自身の思い描いている自己像なのかというと疑問です。
新しいロゴは徹底して無色です。ロゴがモデルの色を決定するのではない。モデルが自分の写真とインタビューの文章を通じて色を発信していく。ロゴは主張しない。ただ添えられているだけ。ミネラルウォーターのように味はしない。ただ文字を見た人の中にしみわたらせていく。
そんなロゴに。

ここまで来てはじめて自分の中に最後の疑問点だった「なぜタイポグラフィーだけにしたのか」が言語化されました

もともと東大美女図鑑の前のロゴのシンボルマークはそんなに認知度は高くありませんでした。その一方で「東大美女図鑑」という名前の認知度は非常に高い。そもそも私達は一サークルです。サークルとしてロゴを作る際に持っておくべき目標は「独自性」や「一意性」が一番最初に来るものなのでしょうか。私はむしろ「ロゴを見てくれた人が私達を正しい姿に受け取ってくれること」のほうが大事だろうと考えました。私達の印象を正しくするため。彫りが深い顔でも濃い顔でも強い目を持っている必要もありません。私達らしい顔になっていることが一番重要だと考えました。

また、シンボルマークを持つことは「モデルそれぞれのそのままの姿を描く」「無色透明に記述する」というコンセプトに反するのではないかとも考えました。私達のロゴはなにかこれだという意味を持つわけではない。私達がどうモデルに向き合うかということ、その表明であるだけで十分です。

以上が私が「東大美女図鑑のリブランディングをはじめると決めてから、コンセプトが決まるまでの全思考過程」でした。

リブランディングはこれで終わりではありません。このコンセプトが浸透してはじめて一区切りついたと言えます。

東大美女図鑑は来る11月23日〜25日において開催される第69回駒場祭で記念すべき『東大美女図鑑 vol.10』を発表します。新しくなった東大美女図鑑。私自身のカメラの腕も格段に上がっております。ぜひお楽しみに。

これからもよろしくおねがいします。



〜最後に〜

リブランディングをやろうと決意してからコンセプトが決まりロゴの形に落ちるまで3ヶ月をかけました。ここまで深い思考のもとにデザインをしたのは初めての経験であり、「ここはもっと効率化できた」「ここは足りなかった」という点がたくさんあります。

例えばサブタイトルにある「〜僕はJKになりたかった〜」という部分などは反省するべきところの典型例です。対象とする人々の目線がわからないときにどうするかという選択が今回は誤っていたように思います。その人達の生活を自分も体験してみる、そんなことよりも前に「その人達自身に触れる」「その人達にインタビューする」という手法をとるべきでした。どれだけ女子高生を自分のなかに降臨させようとしてもそれは偽物でしかない。もっともっと生の声に触れるべきでした。

また一度自分自身でリブランディングのプロセスを実施した後に改めてFOLIOのプロセスを「各手順はリブランディング全体においてどのような役割を果たしているのだろうか」という分析をしてみました。

FOLIOリブランディングの裏側 ──構想からリリースまでの8ヶ月の軌跡──

再び見ると私のプロセスには「メンバーの巻き込み」が足りなかったと感じました。私は最初にこの記事を読んだときに「ロゴベースではなくキーワードと写真ベースで世界観を提示する」ということが重要なのだと読み取りそれを実行しました。確かにそれも重要だったのかもしれない。だけれどもここで一番重要だったのは「巻き込み」です。FOLIOでは4つのキーワードに「社員たちが」アイデアを書き混んでいくことで世界観を社員たちの中に醸成していきました。結果ではなく経過の中にこそ要素が隠れていたのです。私はそれに気づいていませんでした。リブランディングの目的は内を変え外を変えることです。コンセプトを詰めていく段階で内をもっともっと巻き込めた。一通りコンセプト詰めが終わった今そう感じます

これらの反省を活かしていきます。

私は今回のデザインプロセスが正解だとは考えていません。むしろ不正解であるとおもっています。それでも私がこの記事を書こうとおもった理由は、いざ自分が思考をはじめようと参照していった記事がどれも「何ができたか」「それはなぜか」という部分については触れていた一方で「どうやってできあがっていったか」「何をつくったが使わなかったのか」という視点を残したものがなかったからです。

私個人の興味の話にうつるのですが、私はデザイナーの脳の中身に興味があります。デザイナーが最終的なアウトプットに至るまでに、「どのような情報をインプットし」「どのようなアウトプットを繰り返し」「そのアウトプットから何を学び」「次のアウトプットに至るのか」という認知プロセスを知りたいのです。熟達者のデザイナーがどのようにそれを行っているか、それが解明できると初学者のデザイナーが腕を伸ばしていく方法に使えます。デザイナーのプロセスの記述はアウトプットの評価よりも価値あることだと考えています。

デザイナーはやはり質の高いアウトプットを見せたいものです。その経過にある膨大な膨大な失敗作はあまり人に見られたくない。私はまだまだデザイナーとして未熟な身。失敗した部分を載せまくっても失うものなんてなにもない。だからこそ長々と結果だけでない悩みのプロセスを書こうとおもったわけです。

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