盆踊り
「そら、やー-あと せーの よーおいやさー」
私が小学生のころ、父方の祖父母の家の近所で行われる盆祭りに参加するのが恒例行事となっていた。
場所は現在の山口県下関市豊北町神田。観光名所となった角島大橋のすぐ近く、鉄道ファンに有名な特牛駅が最寄りの肥中漁港の盆祭りだ。
私の祖父母の家もこの漁港の目と鼻の先にあり、波音が聞こえてくるような場所で、家の中に漁港から蟹がやってきてたまに家の中に入ってくるような土地であった。
お盆になるとこの漁港の水揚げ場兼倉庫の広場に櫓を組んで、集落のおじさんがほろ酔い顔でマイクを握り、「やー-とっせーの・・」と声を上げて民謡のような(歌詞を覚えていないのが悔やまれる。)曲を揚々と歌い、集落の若者が和太鼓と鐘を鳴らして櫓の周りを1周するように集落のみんなで踊るのだ。
お祭りの会場では水揚げ場の、普段は魚が並ぶ場所にイスとテーブルを置き、的屋ではなく集落の青年会によるかき氷、焼き鳥、焼きサザエ、焼きイカの屋台が出て、隅のほうにこの年に亡くなった故人の写真と線香立てが置かれる。
私はこのかき氷と焼き鳥が大好物であった。妹はよくサザエを食べていたのを思い出す。
集落は複数の「講」と呼ばれる地区に分けられている。この盆祭りはただの祭りというだけでなく、もう一つの顔がある。「講」対抗のコスプレ大会だ。なお、「講」対抗であるが個人戦も大歓迎という形で、上位3位は現金や瓶のイカの塩辛が手に入る。
我が家においてはこのコスプレ大会出場を一種の自由研究の工作物作成の場としていた。
私の思い出はこの祭りの盆踊りにスペースシャトルを背負って踊ったことだ。
ちょうどその夏にスペースシャトルの打ち上げが成功し、テレビで大々的にやっていた時だ。
これをみた工作好きの父親がせっせと段ボールで作り上げて、背中で背負えるようにして、青い服を着てシャトルを背負って踊り切ったのだ。
この年の準優勝はたしか、私だったはずだ。
思春期に入るあたりのもの恥ずかしい年ごろで、もう15年以上は前の話のはずなので細かいところは覚えていないが、夏祭りの風景とスペースシャトルを背負って背中に汗をかいたあの感触は今も覚えている。
祖父母が亡くなり10年がたつ。高齢化が進むあの漁港の盆祭りはまだやっているだろうか。
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