宇垣 一成



生没年月日

1868年(慶応4年)8月9日 ー 1956年(昭和31年)4月30日

出身地

備前国磐梨郡大内村 (現:岡山県岡山市東区瀬戸町大内)

学歴

成城学校
 
陸軍士官学校(第1期)
 
陸軍大学校(第14期)
 
ドイツ留学

年表

1868年(慶応4年)8月9日


農業を営む宇垣家に生まれる。
幼名は「杢次」
 
 
1885年(明治18年)
このころ、教員採用試験に合格し、小学校教員として勤務。
すぐに校長を任されるようになる。
その後、成城学校で学び、陸軍に入隊し陸軍軍曹に任官される。
 
1890年(明治23年)7月
陸軍士官学校(第1期) 卒業
 
1891年(明治24年)3月
陸軍歩兵少尉 任官
 
1896年(明治29年)
名前を「一成」に改名。
 
1900年(明治33年)
陸軍大学校(第14期) 卒業
 
1902年(明治35年)
ドイツ留学
 
1904年(明治37年)
日露戦争開戦により帰国。
陸軍第8師団参謀
 
1906年(明治39年)2月
ドイツ駐箚日本国公使館駐在武官
 
1910年(明治43年)
陸軍大佐
 
1911年(明治44年)9月
陸軍省軍務局軍事課長
 
1912年(明治45年)8月
陸軍歩兵第6連隊長
 
1915年(大正4年)1月
陸軍少将 
陸軍省軍務局軍事課長
 
1915年(大正4年)8月
陸軍歩兵学校校長
 
1916年(大正5年)8月
陸軍参謀本部第1部長
 
1918年(大正7年)3月
陸軍軍事協力委員として中華民国差遣
 
1918年(大正7年)11月
陸軍参謀本部第1部長 兼 陸軍参謀本部総務部長
 
1919年(大正8年)
陸軍中将
 
1919年(大正8年)4月
陸軍大学校校長
 
1921年(大正10年)3月
陸軍第10師団長
 
1922年(大正11年)5月
陸軍教育総監部本部長
 
1923年(大正12年)10月
陸軍次官

1924年(大正13年)1月


清浦奎吾内閣・陸軍大臣 (~1924年6月)

1924年(大正13年)6月


加藤高明内閣・陸軍大臣 (~1926年1月)

1926年(大正15年)1月


第1次若槻禮次郎内閣・陸軍大臣 (~1927年4月)

 
1927年(昭和2年)
陸軍大将

1927年(昭和2年)4月


朝鮮総督臨時代理 (~1927年10月)

1929年(昭和4年)7月


濱口雄幸内閣・陸軍大臣 (~1930年6月)

 
1931年(昭和6年)4月
軍事参議官
 
1931年(昭和6年)5月
予備役編入
予備役陸軍大将

1931年(昭和6年)6月


第6代朝鮮総督 (~1936年8月)

1938年(昭和13年)5月


第1次近衛文麿内閣・外務大臣 (~1938年9月)

1938年(昭和13年)6月


拓務大臣 兼任 (~1938年9月)

 
1944年(昭和19年)
旧制拓殖大学学長
 
1946年(昭和21年)
連合国軍最高司令官総司令部により公職追放
 
1952年(昭和27年)
公職追放解除。

1953年(昭和28年)4月


第3回参議院議員通常選挙において全国区から無所属で出馬し当選。
参議院議員 (~1956年4月)

1956年(昭和31年)4月30日


静岡県田方郡伊豆長岡町(現:静岡県伊豆の国市長岡)の別宅にて打ち合わせ中に火鉢の焚きすぎによる一酸化炭素中毒により参議院議員在職中のまま死去。

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