【0】京大受験 本当の学びを求めて
はじめに
2023年8月筑波大学を中退し、同9月から沖縄の離島・小浜島で半年間のリゾートバイト、その後24年4月からベトナム、ミャンマー、タイ、トルコで計1か月半のバックパッカーひとり旅をしました。
旅の記録をnoteで10回ほどに分けて発信していきたいと思います(^^)
……が、その前に、このように大きく道を外れる選択をした、ぼくという人間の人生観を知ってもらいたいと思います。
壮大な前置きになります。
特に興味がなければ【1】か【2】あたりから読み始めてください笑
一度読み飛ばしてまた気になることがあれば、ぜひまた【0】に戻ってきてください😊
学びとは何か?
なぜ大学を辞めたのかをお話しする前に、前提としてぼくの学びに対する考え方を記しておきたいと思います。
大きく言えば、学ぶことは生きることそのものだと思います。
人は自身の経験から学び、その学びをこれからの生き方に活かしていきます。
経験した物事の内、何が学びになって何が学びにならないかは容易には判断しがたいです。
人は役に立つことやお金になるものを求めるけれど、本当に人生を豊かにするものは一見すると無駄に見えるものだったりします。
ある物事が意味を持つかどうかは、自分自身がそれに意味を見出だせるかによって決まるのです。
だから、目的意識を持って取り組むことも大事だけれど、その一方で、意図せず偶発的に学びが発生することもあり得ます。
何らかの学びを得ようと思って臨んだものでなくても結果的にいい勉強になっていたり、それをやった当時は何の意味があるか分からなくても、後々になって実は役に立つと分かったりその価値が腑に落ちたりすることがあります。
そういう意味では、よく「勉強に何の意味があるの?」ということが言われますが、それはとりあえず勉強してみないと分からないとも言えます。
今の自分に分からないものを分かるようにするためには、自分自身がもっと成長しなければなりません。
そして、成長するためには、努力を継続したり新しいことに挑戦してみたりすることが大切です。
趣味も仕事も恋愛も育児も、その全てが学びになり得ます。
人から見れば遊んでいるようにしか見えないことだって、当人がそこから何かを感じ取ったのなら、それは学びなのです。
だから、ぼくは何が学びで何が学びでないかと区別をしません。
これまでの人生の全てが学びであり、その学びがこれからの人生をつくっていくのです。
人間とは何か?
これまで述べてきたように、学校の勉強だけが学びではありません。
しかしながら、ぼくは学校の勉強に意味がないとは必ずしも思っていません。
ぼくの父親は高校の数学教師です。
その影響もあってか、子どもの頃から割りと勉強は好きな方でした。
高校は父の勤務している学校に学業特待で進学しました。
母校には生徒主体でイベントを企画し、勉強を楽しみ遊びから学ぶ文化があります。
父からそうした母校の話を聞いて憧れを持ち、また自分の仕事に誇りを持つ教育者としての父を尊敬していたのです。
高校でぼくは恩師に出会いました。
師は、25年ほどの間、父と一緒に母校の伝統をつくってきた、父にとって戦友のような存在です。
彼は国語教師でしたが、自然科学にも社会科学にも造詣が深く、物事に対する深い洞察を持った人でした。
ぼくは考えることが好きで、日々の暮らしの中で思索したことについて、よく放課後に師と対話していました。
その度に師は、ぼくに新しい視点をくれました。
母校では探究学習のプログラムがあり、学問領域を問わず幅広い物事に関心を持っていたぼくは、自身の好奇心の本質がどこにあるのかを考えました。
そこで行き着いた答えが「人間とは何か」です。
人はみなそれぞれが違っていながら、しかし、同じ世界に共存し、みんなが共感するような普遍的なものがある。
そんな人間が面白いと思いました。
この世の多くの学問と社会的事象は、そのほとんどが何らかの形で人間に関わるものであり、ぼくにとって全てが研究対象です。
そして、ぼくは、より人間を深く理解するために勉強をしようと思いました。
それぞれの科目の勉強は、物事を考える視点や方法を与えてくれました。
ある人が世界をどう認識するかは、その人が有している知識と経験に影響されます。
知らないことは認識できない、それについて考えることもできないのです。
様々な学問に触れ幅広い教養を身につけることは、一流の大学に合格するためでも、ビジネスで成功してお金持ちになるためでもありません。
自分の見識を広げて知識を体系化し、自分の世界観をつくるためです。
それによって、自分はどのように生きるのがよいかを考えることができます。
また、自分だけではなく、よりよい社会をつくっていくためにはどうすればよいか。
様々な価値観や背景を持った人がいる中で、何をすることが人に優しくすることになり、他者に手を差し伸べることができるのか、本当の思いやりを持つことができます。
何のために学ぶのか、それは自分がもっと立派な人間になるためです。
京大受験の青春
大学受験での志望校は、京都大学の総合人間学部でした。
京大はともかく総合人間学部というのは「何それ??」と思う方がほとんどでしょうね(^^)
総合人間学部では、人間科学系、認知情報学系、国際文明学系、文化環境学系、自然科学系の五学系から主専攻と副専攻を選びます。
総合的な視野を持って人間を探究したいぼくにとってはピッタリな学部だったのです!
国を牽引する官僚を養成するために創設された東大(旧東京帝国大学)に対するアンチテーゼとして、京大(旧京都帝国大学)は純粋に学問を追究するために創設されました。
そのため、ノーベル賞・フィールズ賞を始めとする自然科学の実績や、哲学や古典などの一部の学問領域の研究では、京大には東大を凌駕するものがあります。
その要因には、京大が伝統として掲げてきた「自由の学風」があります。
また、京大は「変人の巣窟」だとも言われます。
学問の発展には自由な発想と飽くなき知的好奇心が不可欠であり、時代を変える大発見のために各々の奇想天外な行動を容認したのです。
そのため、京大では白い目で見られがちな個性に寛容で、多様性に溢れています。
……と言っても、これは前時代的な話で、京大の「自由」は今や形骸的なものとなっています。
毎年、入試で立て看板(タテカン)が作られたり卒業式でのコスプレ大会が実施されたりしていますが、それは例年のものを踏襲するだけで新鮮さはないし、その表面的な「奇抜さ」に意味や知性は宿っていないですよね。
ただ、こうした京大の幻想を愛する者たちがお硬い大学当局と抗争をすることで、かろうじて今でも変人文化が受け継がれています。
ちょっと話が逸れたけど、そんな京大の中で、ある意味で最も京大らしいのが総合人間学部です。
自分の学術的関心を本気で追究している人もいれば、課外でアクティブに自由な活動をしている人もいるし、大学構内で寝転んで気ままに過ごしている人もいる。
テーマを問わず、何をしてもいいし、何をしなくてもいい。
そんな究極の自由があるのです。
あまりの自由さに自分を見失って途方に暮れる、なんてことも京大ではよく聞く話です。
ぼくはそんな京大に憧れたんです。
「自分は自分の道を生きる」ということに強い執着を持ち、しかし、自分の価値観が周囲から理解されずに苦悩することもありました。
京大でなら、真の仲間に出会えるかも知れないと思ったんです。
そして、京大にいる面白い人間たちと出会うことを楽しみにしていました。
しかし、志望したものはいいものの、ぼくの母校は田舎の非進学校で、過去に京大に合格した人はおろか受験した人さえいませんでした。
記念すべき京大受験者第1号となったのです!
ぼくだけでなく先生方にとっても初めての経験で、各教科の先生方が個別でぼくについてくれて、一緒に手探りの状態で勉強を進めました。
数学教師である父とは、一緒に京大の過去問を解いてお互いの解法を見せ合ったり、模範解答のエレガントさに「ううむ、なるほど…」と唸ったりして、問題を通して数学の理解が深まると新発見の感動を語り合いました。
国語教師の恩師には論述の添削をしてもらって、ただ目の前の文章を読むのではなく、その背景にある事象を捉えることを教えてもらいました。
受験対策ではあるけど、その枠組みを超えて深く学問を追究し、師と対話する。
あれは青春だったなと、今でも懐かしく思います😌
現役時の判定はずっとEやDばかりで、成績が伸び悩んだ時期もありました。
自分には無理なんだと挫けかけたときもありましたが、そんなときも先生方はぼく自身よりもぼくの成長を信じて指導を続けてくれました。
そして、それは根拠のない励ましではなかったのです。
まだ結果や数値には表れていない、これからの可能性を見込んで熱意を注いでくれていたのです。
これぞ教育者の鑑だと思います。
研究職の経歴のある物理の教員に「ぼくには物理のセンスがない。自然現象を感覚で捉えられない」と打ち明けたことがあります。
そのとき、物理の教員は驚いた様子でこう返しました。
「自分には才能がないって言うけど、僕は寧ろ君はめちゃめちゃ才能あると思うよ。
地頭が良いとか計算が速いとか記憶力があるとか能力の高さよりも、自分が考えていることを自分の言葉で表すことができて、自分のやり方で自ら学びに向き合っていくことができる。
そういうソフトな能力の方がずっと素晴らしいことだと思う。
僕からすれば寧ろ君が羨ましいくらいだよ」
良き師に恵まれて、自分は幸運だったなと思います。
かくして、現役時の入試は全然ダメで、浪人してリベンジすることにしました。
正直試験前からまず受からないだろうとは思っていて、ほとんど浪人の意思も固まっていました。
最終的に浪人を決意したのは、「自分には今勉強したいことがまだまだたくさんある」と思ったからです。
勿論、学びは生涯続いていくのだけれど、様々なジャンルの評論を読んだり、難しい英文を和訳するのに頭を悩ませたり、妙な挙動をする小物体の運動方程式を立てて、化学物質の構造推定をするのは、今やらなければ一生やらないと思いました。
普通なら関わらない世界に強制的に触れさせられる機会があるって特別なことですよね。
浪人して某大手予備校に通うと、そこには進学校出身の生徒がたくさんいて、自分がいかに井の中の蛙だったかを思い知るのです。
地域格差や経済格差がどれほどのハンディキャップを受験に与えているか、かなりショッキングなものがありました。
浪人時代について、色々と募る思いもあるのですが、主旨から外れるのでここでは省きます。
浪人時は苦労の甲斐あって合格可能性が五分五分くらいのところまで至ったのですが、結果から先に言えばまたも不合格でした。
やってみて分かったことは「五分五分じゃダメだ」ってことです。
本番のコンディションや問題との相性もあって実力通りの力が発揮できるとは限らないから、余裕を持って合格点が取れるくらいの力がないもいけないのです。
なにせ「合格間違いなし!」と言われるような人でさえ、落ちてしまうことがあり得る世界ですから。
今思えば、敗因は京大に特化した対策しかしてこなかったことにあると思います。
ぼくが受けた年度は出題傾向が少し変わってきた年で、あまり京大らしくない問題が目立ちました。
ぼくは京大の形式が肌に合って、その強みを活かして戦おうと思っていたのですが、本当なら東大でも東工大でも医学部でも何が来ても打ち返せるような確実な力をつけなければならなかったのです。
しかし、それも致し方ないことで、こちらは名門校でもなければ塾にも通ってなかったし、元々特別頭が良いわけでも、知り合いに東大生がいるわけでもありません。
本格的に受験勉強したのも高3と浪人の高々2年で、中高6年間、下手したら小学生のときから猛勉強している連中に勝とうというものなら、的を絞る以外になかったのです。
寧ろ自分でも「よくここまでやれたもんだ」と思います。
特別能力が高かったわけではないけれど、ただ自分だけの学びのスタイルを確立していたから、ここまで成長できたのだと思います。
京大に受からなかったのは悔しかったけど、その後、後期日程で筑波大学に合格し、ここで受験を終えていいと素直に思えました。
結果に満足したというより、自分は勉強をやりきったと思えたからです。
自分の実力にも、これまで努力してきた軌跡にも自信を持つことができました。
今思えば、自分は京大合格のために最適なステップを踏んできたわけではないけれど、それでも全く後悔はありません。
自分が自分らしく生きることができたことの方がずっと価値があります。
実を言うと、結局京大には行かなくてよかったなとも思うんです。
大学を辞めた今、京大に自分が求める学び舎があったのかどうか全く気にならないわけじゃないけれど、まあせいぜい「他よりはマシ」って程度かなと思っています。
「他よりはマシ」ではなく、「絶対にこれが良い!」を選んで生きていきたいです。
結局のところ、京大だって東大や早慶と大差なく、大半は家柄の良いエリートなのです。
その多くは研究職に就くか一流企業へ行くのです。
そうした社会的成功の世界で、ぼくは生きていきたくない。
お金や地位や名誉を生きがいとするような人に囲まれていたら、ぼくの精神は擦り減ってしまう。
だから、自分で自分を誇れるような人間になれたなら、社会からの評価はいらないんです。
京大ブランドなんか無くたって、ぼくはぼくという一人の変人としておもろく生きていくのです。