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【2】筑波大学を中退して旅に出た話②

大学を中退して、沖縄の離島でリゾバをして、海外バックパッカーになるまで。
ぼくの大学生活、後半戦!

【前回のあらすじ】

京大に落ちて筑波大に進学したぼくは、1件のDMから思いがけない出会いを果たす。
彼女はぼくが京大に求めていたお互いを高め合える仲間であり、初めて出会った「自分と同じタイプの人間」だった。
彼女と過ごす日々の中で、ぼくは学校や大学の中にはない「本当の学び」とは何かを見出していく。

しかし、彼女は毒親から離れるため、また、自身が不信感を抱いた進学校の級友や教員達とは異なる道を進むため、そして、真の自由を手に入れるために、大学を辞めて遠き沖縄の海へと旅立って行ってしまった。
残されたぼくは、自分はこのまま大学に通い続けるべきなのかと自問するようになる。

↓「彼女が」筑波大学を中退した話はこちら




まちづくりサークルに入る

大学に通う意義を再検討するために、他学類の授業を取ってみたり(筑波大学は他学類の授業が自由に取れて比較的履修の自由度が高い)、イベントに参加したり交友関係を広げてみたりと、色々やってみました。

時系列としては件の彼女が大学を去る以前のことなんだけど、大学のまちづくりサークルに所属したことが1つ目の転機だったと思います。

「まちづくり」といっても、文字通り街の設計をするわけではなくて、学生と地域の人の関わりをつくり、一緒に地域を創生する活動をするものです。
『「ここが好き」と言えるまちをつくる」がキャッチコピーでした。

具体的には、高齢者の居場所づくりとして毎月サロンを開き、そこに学生を呼び込みました。
JAと協働して、来てくれた学生には規格外で廃棄予定だった野菜をプレゼントすることで、一人暮らしの学生が参加するモチベーションを作ると共にフードロスにも貢献していました。

また、各シーズン毎に、学生も地域の人も自由に参加できるマルシェを開きました。
これは、元大学教員で、現在は放置自転車問題を解決するための活動をしている自転車屋さんと共同で開催しているものです。

マルシェの様子

筑波大学はキャンパスがあまりに広大なので、大学構内の移動に自転車が必須です。
そのため、多くの学生が自転車で駆け抜ける爽やかな場所でもあるのですが、その分マナー違反の駐輪や自転車の盗難、卒業生による不法廃棄など、様々な問題が起きていました。

そこで、その自転車屋さんは放置自転車を回収して修理し、オシャレ自転車に改装して貸出しするというアイディアを思いつきました。
購入ではなくレンタルにすることで、いらなくなった後に棄てられることを防いでいます。

マルシェはこの自転車屋さんの敷地を借りているもので、学生の活動に協力する代わりに、オシャレな店舗をアピールし、来場してくれた方に自転車の試乗をしてもらうことでお店の宣伝効果を担っていました。
このように、この団体では、無駄をなくしみんながWin-Winになることを意識していたように思います。

自転車屋さん

マルシェでは、有志の学生に出店してもらったり、筑波大学の音楽団体によるコンサートを開いたり、地域の飲食店に屋台を出してもらったりしました。
多くの人に活躍できる機会を与えると同時に、ここに来てくれた人が自由なコミュニケーションを楽しめる場所としました。

他にも社会福祉協議会から委託され、様々な活動をしています。
元々は、筑波大学社会工学類の先輩が、都市計画演習という授業の課題で地域活性化を考えたことが始まりだったそうです。
演習が終わった後、授業だけで終わりにしないでこの活動を継続できないかと考えたことで、このサークルが発足しました。
まだ、発足して数年の駆け出しの団体ですが、その分これから自由に新しいことに挑戦していける可能性があると思います。
名前は伏せておきますが、気になった方はぜひ調べてみてネ(^_-)-☆

なぜぼくがこの団体に加入したかと言うと、今まで社会奉仕的なことをしてこなかったという反省があったからです。
それまでのぼくは、自分がどう生きるか、自分にとっての幸せは何かということを考えてきました。
そして、それを実現してきたという自負があります。
だからこそ、これからは自分のためだけでなく、広く社会のために生きたいと考えるようになりました。

そこには、自分は他人とは価値観の異なる人間だという想念もあります。
ぼくは何事においても自分なりの意味を見出すことが重要だと考えていましたが、そのようなポジティブな捉え方は誰にでもできるものではないのかも知れません。
また、ぼくが幸せだと感じることを、みんなも同じように幸せだと感じるとは限りません。
そこで、みんなが幸せになるためには、認知を変えるのではなく、そもそもの環境を変えることが必要なのではないかと考えるようになりました。

しかし、ぼくは今までそうした活動をしてこなかったので、何をどうやったらいいかが分かりません。
だから、ひとまずは既にある団体に参加してみて、そこで社会奉仕のあり方を学んでみようと考えたのです。

実際には、学生団体であれNPOであれ、名前のある団体が真に奉仕的な活動をしていることはほとんどありません。
そこには、彼ら自身の社会的な成功を収めたいという思いが見え隠れしています。
そうした偽善を早い内から感じ取ってしまっていたから、今までぼくは「社会」で何かすることに意義を感じられなかったのです。
しかし、かといって何もしていない自分が偉そうにものを申すわけにもいかないと思いました。
また、実際にやってみたら何か発見があるかも知れません。
だから、ひとまず行動に移して、意味は後から考えることにしたのです。

それで、実際にやってみて分かったことは、「まち」とは人と人とのつながりがつくっているということです。
また、「ここが好き」だと言えるまちは、「ここにいる人たちが好き」だと言える場所だと思いました。
マルシェに来てくれた人の楽しそうな顔を見ることや、そこで人々の交友の輪が生まれていくことにやりがいを感じていました。
元々ぼくが興味を持っていたのは「社会」よりも「人間」だったのですが、ぼくの中で「人」と「社会」が確かに繋がった瞬間でもありました。

↓「人間とは何か」の探究についてはこちらから


休学を検討して京都に赴く

まちづくりサークルで活動していると、あるイベントのお誘いが舞い込んできました。
それは、かつてこのサークルに所属していて、休学を経て国際から障害科学に転向し、現在は別の団体で活動している人からのお誘いでした。
その団体は「ふくし(福祉)」をテーマに関東と関西を拠点に活動していて、今度は京都の船岡山公園でオープンパークというイベントがあるようです。

まちづくりサークルの代表によると、彼女は以前にこの船岡山のオープンパークに参加したことがあって、その経験から着想を得てつくばのマルシェを考案したそうです。
代表から「誰か一緒に京都まで行ってオープンパークに参加しないか」と提案があり、ぼくも同行することにしました。

オープンパーク自体も面白そうだと思いましたが、それ以上にぼくは、筑波大学を休学して現在は京都で活動しているという元メンバーに興味を持ちました。
彼女の話を聞いてみれば、自分のこれからの進路について何かヒントが見つかるかも知れないと考えました。
しかも、その地が偶然にも京都であることに、何か縁のようなものを感じていました。

↓京都と京都大学に対するセンチメンタルはこちら

イベントは土日ぶっ通しで、日曜の深夜に夜行バスに乗って京都からつくばまで帰り、そのまま月曜日1限に出席するという弾丸旅行になりました。

各地から色んな人が集まり、自己紹介とディスカッションをした後、イベントの責任者から自分達の活動の紹介がありました。
彼はまた、今後の課題と共に活動に抱えているジレンマについて話し、参加者たちに解決のアイディアを求めていました。

ぼくは彼のそんな姿に感銘を受けるものがありました。
まず、ただ自分がやりたいことをやるのではなく、様々な背景や立場のある人々に配慮し、みんなにとって良いものとするためにはどうしたらよいかと真摯に向き合っていること。
そして、自分の弱さや悩みを今日会ったばかりの人達にさらけ出し、他人の意見に耳を傾けようとしていることです。
普通自分の活動を紹介するならその魅力をアピールしたいものだし、自分の優れているところを売り込んだ方が社会では優位に立ち回れるものです。
それをしないことに、ぼくは誠実さや謙虚さ、内面の問題に向き合う強さを感じ取りました。

オープンパークの様子

オープンパーク当日は、たくさんの人々が来場してとても賑わっていました。
オープンパークではただ出店や企画があるだけでなく、その場に集まった人達による深い交流がありました。
自分がしている活動や興味を持っていること、人生で大事にしたいことなど、それぞれが自分の内面について、普段はあまり他人に話さないことまで語り合っていました。
自分の心の深いところにあるものを自然と話せる、それぞれの思いがみんなに受け容れられる。
そんなアツい会話が会場のいろんなところで自然と勃発して、次々と新しい交流が生まれる、そんな不思議な空間でした。

ぼく自身も久し振りに本音を話せたような気がします。
自分は本当は京大に行きたくて妥協して筑波に来たのだということを、あまり堂々とは言えなかったし、自分は周囲から浮いていたから本当に自分がやりたいことを学友と共有することもあまりできませんでした。
「人間」に関心があること、知識や経験から自分だけの世界観を構築すること。
それを言葉にして、目の前にいる相手に伝えることで、「そうだ、自分がやりたいことはこれだった」と思い出すことができた
ように思います。

オープンパークが終わった後は、関係者たちで座談会(というか打ち上げ)があり、ここで例の筑波を休学したという彼女と膝を詰めて話す機会を得ました。

てっきりぼくは転入学か何かして今は京都に住んでいるものだと思っていたけど、つくばから京都まで通っているそうで、すごいバイタリティだなと思いました。
彼女が所属している「ふくし」の団体は東京にも拠点を持っているので、普段はそことオンラインを中心に活動しているのだろうけど。

彼女は「ふくし」の活動を通して、生きづらさを抱えている人に寄り添っていきたいと話してくれました。
大学に行って、就職活動をして、そこで何十年も勤続して、もしかすると結婚して子育てをして。
そういう普通のルートから外れてしまってもよくて、「こういう生き方もあるんだよ」ということを伝えたいと語っていました。

実際に彼女は道を外れて新しい生き方を見つけ、それで生きやすくなったけれど、しかし、今までの自分が大切なことを見落としていたということにも気づいたそうです。
自分がここでこの活動をすることにどんな意味を見出すのか、それをちゃんと意識できていたら休学する前ももっと苦しくなかったのかも知れない。
逆に、環境を変えたところで自分自身に向き合うことができなければ、結局生きやすくなることはない。
ぼくが認知を変えるだけでなく環境を変えることも必要だと考えたように、彼女は環境を変えるだけでなく認知を変えることも必要だと考えたようです。

いずれにしても、自分が今やるべきことにしっかり向き合うことが大切なのです。
そのやるべきことがここにはない、あるいは、ここを去ることが必要だと思うなら、それはやはり今すぐに去らねばならないのです。

ぼくは悩みこそあれ、鬱でも不幸でもなかったから、ここを去ることにまだ踏ん切りがつきませんでした。
その前に、ぼくはつくば・筑波で自分のやるべきことをしっかり果たせているのだろうか。
自分の思いをちゃんと人に伝えることができているだろうか。

人はそれぞれ違っているから、自分の価値観が必ずしも他人に受け容れられるわけではありません。
時に人を傷つけてしまうこともあるし、周囲から疎まれ自分が傷つくこともあります。
あるいは、相手の成長のために必要なことだと思ってその改善すべき点を指摘したとしても、その通りには受け容れられず、悪意を以て自分を加害していると受け取られることもあります。
自分をさらけ出すとは、非常にリスキーなものです。

ぼくはもう一度、筑波の学友やまちづくりサークルのメンバーと向き合ってみようと思いました。
自分は特異だからこそ、自分にしかできないことがある。
もし、つくばを去るときが来るのなら、その役割を果たしてからにしようと考えました。

夜行バスを待ちながら、同行したまちづくりサークルの代表ともじっくり話をする機会を得ました。
「自分が本当にやりたいことは何か」
「どんな『まち』を目指しているのか」
本当はもっと理念を大切にして活動したい、と彼女は言っていました。

理想や目的、意味など、抽象的なことを考えるのが得意な人と、どんな企画をどのように運営して、そのために、どのタスクをいつまでにこなして、というように具体的なことを考えるのが得意な人がいます。
目先のタスクに追われて目的意識が曖昧になると活動が形骸化してしまうが、理想論ばかり振りかざしても具体的な行動が伴わなければ意味がない。
だから、具体と抽象はどちらも必要で、その両輪が適切に噛み合ってこそ物事は上手く運びます。
そして、その抽象の方ができる人は稀有であり、これができる人がトップに立つべきだというのが彼女の意見のようでした。
彼女は代表の後継として、ぼくは推薦したかったようです。

それに対してぼくは、自分の理想を実際の活動に落とし込むのは困難だと思っていて、関心も「人間」や「自己」に向いているから、社会奉仕的な活動には向かないと思っていました。
他のメンバーはみんな、つくばという都市や地域での交流が大好きで活動しているけれど、ぼくにはそこまでの熱意がなかったからリーダーはやれないとも思いました。
代表はそれに、「寧ろ違う領域の人間だからこそ、みんなには無い視点を持っていて新しい風を吹き込める」と返したのだけれど。
結局その場では、「自分は他にやりたいことがあるから、この団体での活動だけに全てを注力することはできない」「自分のやりたいことを追究する人間だから、責任を負いきれない」とやんわりお断りしました。

自分が休学・退学を考えているとは、とても打ち明けることができませんでした。
そして、自分を必要としてくれている人がいるという事実が、ぼくの旅立ちを引き止めようとしていたのです。

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