小諸城址 懐古園 藤村記念館にて考えるの巻き
懐古園シリーズ、まだまだ続きます❗️
次に訪れたのは、懐古園内の小さな建物。
藤村記念館(とうそんきねんかん)
前回も少し触れましたが、小諸市にゆかりのある詩人・小説家の島崎藤村に関する資料館です。
藤村は7年間、小諸で国語と英語の教師をしていました。
記念館には当時の写真の他、藤村直筆の詩や、曲の楽譜、小説に関する資料が展示されていました。
そして、わたしがそこで初めて知ったことは、
彼が部落差別を受けていたと言うことです。
部落差別とは、江戸時代の身分制度で下に置かれていた人々が、一定の地域に住むことを義務付けられていたため、その地域の出身者が差別され、仕事につけなかったり、結婚を断られたり、疎外されること。
わたしにとっては、歴史の教科書で見かけた、くらいの昔の話と思いきや、母が言うには近年でもときどきこの問題が新聞に取り上げられていることがあるらしい。
子供達からは好かれていた藤村だったけれど、部落出身であることが明るみにでると、親たちから強い反発を受け、争いを避けるため教師を辞職したそうです。
人間の、差別の心って何なんだろう。
動物の世界の弱肉強食とか、縄張り意識ともどこかちがう。
未知のものへの不信感?
自分のほうが優れているという優越感?
自分は周囲の人と同じという安心を得るため?
わたしには、なんでもいいから理由をつけて八つ当たりしてるだけのように思えることもある。
障害者とか、LGBTとか、外国人とか、
いろいろな人たちがいる。
それぞれに、それぞれの常識がある。
健常者と呼ばれている人たちだって、育った環境の違いなどで価値観が大きくわかれたりする。
どれが正しいわけでもなく、違っているんだからぶつかり合うこともある。
それでも、その違いを認め合いましょうって、近年は多様性という言葉が飛び交っている。
わたしも、例え相手が自分と違った常識を持っていたとしても、
会話したり、一緒にお茶でもしてみたら、
意外に気が合っちゃうこともあるんじゃない❓
って考えている。
相手を好きになれないなら、できるだけ関わらず放っておけばいい。
わざと傷つける必要はない。
だけど、部落問題は上述した考え方では解決できないような、
もっと根深くて異質な感じがする。
わたしに結論なんて出せないけど、
時間の流れとともに消滅して行くのかな。
それとも人間という生き物は
新しい時代がきたとしても、
また誰かを傷つける理由を探し出してしまうのか、・・・
見出し画像は藤村記念館の近くに咲いていたツツジです。
花がすきではない人も、無意味に踏みつけたりしないでね。
(最終回につづく)