死ぬ事ばかり考えてしまうのはきっと生きることに真面目すぎるから
好きと嫌いがわからない。
「なんでもいいんだ、お前なんて」
そんな呪詛に取り憑かれていた
高校生の頃、わたしは郡山市にある
プロテスタント教会で英会話を
習っていた。
夏の暑い日のこと、レッスン後に
教会の牧師先生から、飲み物を
勧められた。
「カルピス、アイスコーヒー、紅茶があるけど、どれを飲みたい?」
先生は初老のアメリカ人男性だった。
「なんでもいいです」
serveしてくれる人に負担がかからないように、1番作るのが簡単なものを。
という、意味での「なんでもいい」
だった。
すると牧師先生は、少し怖い顔をして
わたしを見た。
何か気に障るような事を言っただろうか?
牧師先生はこう言った。
「アマント、わたしは何なにが好きです、何なにが欲しいです、とちゃんと言わなきゃ、ダメだよ。なんでもいい、という返事は、相手の好意を無にすることだよ」
そう諭された。
「カルピスがいいです」
わたしはそう答えた。
牧師先生は微笑みながら、キッチンに立ち、氷入りの冷たいカルピスをserveしてくれた。
わたしは幼い頃から母に我慢を強いられて育てられた。
「我慢しなさい、わたしをイライラさせるな、お前はなんでもいいんだ。わたしの言う通りにしてればいいんだ」
その繰り返しが、わたしの心を削いで行く。
相手に手間をかけてはいけない。わたしは我慢しなければいけない。わたしはなんでもいい。
それからわたしは、誰かに「何が好き?」「何が欲しい?」と聞かれると
「なんでもいい」と答えるようになった。
わたしの望みは叶わない。わたしの意思は通らない。わたしはなんでもいい。
心を石にした。
自分の好きと嫌いがわからなくなった。
わたしはわたしの心に蓋をした。
わたしさえ我慢すれば全ては丸く収まる。
わたしはわたしの感情を放棄したのだ。
感情を放棄すると、何をしても楽しさを覚えない。
高校二年生のとき、クラスの友人が数人、わたしの部屋を見たいというので、
わたしは、彼女達を自宅に招いた。
わたしの部屋には、ベッドと机と、スチール製の本棚が二つあるだけ。
ある子が呟く。
「アマントの部屋って、ぬいぐるみも無いの?まるで男の子の部屋みたい。あ、でも本はたくさんあるね、これ全部読んだの?」
「全部読んだ。本しか興味無いんだ」
「ふうん、そうなの」
わたしの部屋にいても、さほど居心地が良くなかったのだろう。
友達とわたしは、近所の公園に行った。
わたしは、友達が何かして遊ぶのをただベンチに座って眺めていた。
彼女達の輪に入るより、彼女達が遊んで笑っている様子を見ているだけで、満足していた。
そうなのだ。
いつでもわたしは、傍観者だった。
傍観者というよりも、観察者だった。
わたしは、彼女達が何を好きで何が嫌いなのか、だけを観察していたのだ。
ただ、わたしのことを友達と認知してくれている、という事実だけで満足だった。
友達がいる。わたしは認知されている。
居場所がある。
わたしに必要なのは「人」ではなくて
わたしが居てもいい「場所」だった。
わたしはいつも、ここはわたしが居ていい場所かどうかわからない。
どこかにわたしがわたしのままで、我慢せずにいられる場所があるはず。
そんな思いを引きずって生きてきた。
結婚をした。
相手を好きかどうかわからなかった。
感情を放棄しているわたしに夫は苛立ち、DVが始まった。
25年続いた。
離婚して、やっとわたしはひとりになった。そして帰る場所を全て失った。
ひとりになって、なんでもいいの呪詛から、抜け出そうとしていたある時、
やっとわたしは、初めて「好き」と言える人に出会えた。
魂が震えた。理屈では考えられないくらいの感情と、帰るべき場所に帰れたような安堵感を覚えた。
1年3ヶ月の間、わたしはただ、ただ
自分の本当の自分の感情に向き合った。
「本当のお前に戻りなさい」
亡くなる少し前に彼が言った言葉。
彼は命と引き換えにわたしに「好き」を
教えてくれた。
そして今、わたしは、自分の「好き」を見つけた喜びで、毎日子供のようにワクワクしながら生きている。
体は、疲れやすく、頭はハッキリしない時があるけど、
わたしはただひとりの「好き」な人に愛された思い出があるから、それを頼りに
今日も「好き」に囲まれて、静かに暮らしている。