地上5センチをふわふわ浮いて生きなさい
心療内科の診察室の椅子に私は座っている。
「こんにちは」と先生が挨拶する。
「こんにちは」と私はうつむいて答えた。
「あれから、ひと月たつけど最近の様子はどう?」先生が黒縁の丸メガネの奥で微笑みながら私に問いかける。年齢は四十代半ばといったところか。
白衣の下にネイビーブルーのワイシャツ、ノーネクタイの第一ボタンをはずして着こんでいる。ボトムはチノパンで、カジュアルな、年かさのお兄さんといった感じで、とっつきやすそうな印象を受ける。
子供の天使みたいな柔らかそうな猫毛で、天然パーマだろうか毛先がくるくるしているところと、ところどころ外側にはねている部分がある。見た目ナチュラルそうだが、頭の中身は別の意味でナチュラル、つまり少し天然気味だ。
「特に、変わったことはありません。最近は暇なときに本を読んでいます」
「本ね、どんな本を読んでいるの?」
「哲学とか、心理学の新書とか」
「哲学ねえ、本の題名は?」
「マイケル・サンデルの『Justice』です。マイケル・サンデルというのは1980年代のリベラル・コミュニタリアン論争で脚光を浴びて以来、コミニュタリアリズムの代表的論者として知られています」
先生はちょっぴり苦い顔をした。わたしは先生がその話を好まないのだ、とすぐに察知して黙り込んだ。
「その本はあなたの病気を治すには適切じゃないような気がするなあ」先生は鼻筋に掛かったメガネを押し上げて私を見た。
そして続けた。「あなたには合わない本だと思うよ。君は経済学者にでもなろうとしているのかい?」
「とくに経済に興味はありません」と私は答える。私の言葉のトーンや話し方に注意を払いながら先生は、「今はね、いろんなことを考える時じゃないんだよ」と優しく諭す。
「でも、考えてしまうんです。考えていろんなことを知って、自分というものを知って、自分の気持ちをはっきりさせて、自分と世の中の立ち位置をきちんと決めていかないと、精神的に立っていられない気がするんです」
「考える、というのが悪いといっているんじゃないよ。考えるのはいいことだ」と先生はカルテになにか書き込んでいる。
私の症状についてメモしているのだ。この先生は患者の前でパソコンを睨んだりしない。自分の手でカルテを書き、時々書く手を休めて患者をぼんやり眺めながら、低い声でぼそぼそと質問をする。その間合いがいい。
私は先生、黒江 彰先生というのだが、この人に出会うまで数か所の心療内科や精神科を渡り歩いた。ドクターショッピングというやつだ。
心療内科にかかるのは時間を要する。スマホでクリニックを検索する。クリニックに受診の問い合わせをする。受付嬢に病の状態を説明する。初診の予約をお願いする。良さそうなクリニックを見つけて予約を申し込んでも、
「そうですねえ、今とても混んでいて予約でいっぱいなので、来月の中旬あたりになりますが、宜しいでしょうか?」と尋ねられる。
「そんなに長く待つのですか?」私は悲嘆にくれる。しかし受付嬢は淡々とした声でこう返す。
「ええ、大変申し訳ないのですが予約でいっぱいなので」
仕方なく、即日診察療してもらえそうなクリニックに掛かってみると、医師のクオリティが低すぎる。
待合室は閑散としているのに一時間以上待たされて、やっと受診となると、医師はこちらの話もろくに聴かず、パソコンのキーボードをぱちぱち打ちながら、薬の検索をして処方箋を出しておしまいになる。
そうじゃないのだ。患者は『話を聴いてもらいたい』のだ。自分に寄り添ってほしいだけなのだ。
その一番大事なことに注意を払う医者はいない、というのをドクターショッピングの末、私は理解せざるを得なかった。
黒江先生は高校時代の、唯一ただ一人の友人の紹介で知った。
友人は言った。「なんでもっと早く言ってくれなかったの?黒江先生を紹介するよ。予約は混んでいるけど、私は高校生の頃から先生に診察してもらっているから、私の紹介なら先生はすぐ受け付けてくれるよ」
そうなのだ。灯台下暗しとはこのことだ。早速言われた電話番号に電話して、友人の名前を告げ、その方の紹介でお願いしたいのです、と伝えると即予約が出来た。
あっけなかった。私は今まで遠回りしすぎた。もっと早く友人に相談すればよかったのだ。
私はこういうことが良くある。私は基本的に人を信用していない。なぜなら私の周りの人間は、いつも私の期待を裏切ってばかりいるからだ。彼らは私を利用することにはたけている。
一方、私は彼らに利用されているということに気が付かない。私は人が困っているときはお互い様というスタンスなので、何か相談されたり、手伝うことを要求されることがあったとしたら、特に何か見返りを求めることもなく彼らの要求に応じる。
そのあと、私が何か自分一人でやり遂げるには困難な出来事に遭遇したとして、彼らに助けを求めても、今忙しいから、自分も同じような状況だからとかいう理由で、話もそこそこにその場を退場されてしまうか、電話を切られる。
人にはそれぞれ事情があるから仕方がない。仕方がない、とあきらめるのは簡単なことだが、諦めてばかりの人生を生きていると、次第に自分が無力な人間でしかないという感情に支配されて、自分の生きていく場所がだんだん狭くなっていく。
半年前の五月、桜がすっかり緑の葉桜になったゴールデンウイーク明け。私は初めて黒江先生の診察を受けた。
先生は黒縁の丸いメガネをかけていた。天然パーマで目鼻立ちのはっきりした顔立ちなのに、目じりが下がっていてどこかユーモラスな、ほっとする印象を見る人に与える先生だった。この人なら、私の話を聴いてくれるに違いない、私はそう確信できた。
実際、先生の簡素なスチールデスクには、ノートパソコン一台が置いてあったが、黒江先生はキーボードを打って診察するというあの嫌なやり方をしなかった。
この世ではないはるかどこかを茫洋と見ているような、視点の定まらない目をして私に相対していた。私が、「ここを聴いてもらいたいの」と心で自然と念じた時だけしっかりと話し手の心を受け止めるように、瞳の中を見た。
「先生、私…私のこと話してもいいですか?」先生は軽く首を左に傾けた。
「いいですよ。私も君の話を聴きたいからね」先生はやさしく私にそう言ってくれた。「この人なら話してもいい」私は自分に言い聞かせた。そこで私は深呼吸をして心を整え、自分が人生の一番最初に感じた悲しみについて語り始めた。
「小さいころから母親に虐待されていたんです。母は私を構ってくれなかった。三歳の時、妹が生まれました。
彼女は未熟児で生まれて、生まれてから半年間入院していました。心臓に穴が開いていました。穴は自然にふさがったのですけど、ずっと病弱でした。
妹が生まれて半年後、退院するとき、私は父に連れられて一緒に病院に行きました。母は妹を抱いていました。私は急に不安になって、母に駆け寄りました。
母が妹に気を取られて、私を忘れてしまうのではないかと私は恐れて、母に手を繋いでもらいたかったのです。ところが私が精いっぱいに差し出した手を、母は邪険に払いのけました。
その時、私は母から愛情を受けることを諦めました。いつでもさみしかったし、辛かったし、友達もできなかったし、本だけが私を慰めてくれました」
「本が好きなんだね」と先生は言った。
「本は好きです。本は紙ですが、紙じゃないんです。紙のかたちをした人間なんです」と私は言った。
「紙の形をした、人間か。面白い表現をするんだね」と言って先生は微笑んだ。「変ですか?」私は不安になった。
「いや、変ではないよ。素敵な表現だ」
「そう、ですか?」また私は不安になった。先生はそう言いながら私のことを実はどう思っているのか気になった。その不安を打ち消すように先生は穏やかな声で私に言った。
「あなたは感性が豊かだね。私も本を読むのが好きだけど、『紙の形をした人間』という表現は思いついたことがないよ。君のいうとおり、本の中には書いた人の魂がやどっている。だから確かに本は紙の形をした、人間なのかもしれないね」
「あ、わかってくださいました?」
「全部はわからないよ。誰でも他人のことを百パーセント理解するのは無理だ。でも君の心の世界はとても豊かなんだ、ということは分かった」
私は泣いた。涙がとめどなくあふれ出して、顔中が洪水になった。鼻水が止まらなくて、ハンカチを取り出そうとバックを探っていた時、先生はデスクの上のティッシュを箱ごと差し出した。
「抱えてなさい」
私は膝の上にティッシュボックスを置いて何枚もティッシュを引っ張り出した。そして「ごめんなさい、鼻をかみます」と断って、派手な音を出して鼻をかんだ。
「いつも泣くのをこらえていたんだね」私の鼻水を吸って、丸められたティッシュを受け取りながら、先生は言った。
「鼻水がしょっちゅう出る人は、涙をこらえているんだよ。涙の出口が詰まっているから、鼻水になって出てくるんだ」
「そうなんです。いつも泣けなかったんです。泣いちゃだめだと思っていました。泣いたら母に負担がかかると思って。
お姉ちゃんなんだから泣いちゃいけないって母親に言われて。我慢して。いつの間にか意固地な性格になって。母としょっちゅうぶつかり合って。
お前なんか生まなきゃよかったって言われて。お前は可愛くない。妹の方が愛嬌があって可愛いっていわれて。お前なんかなんでもいいって言われて。お前を産んでごめんねっていわれて」
私が泣き止むまで先生は黙って私を見ていた。私を見ながら、先生は茫洋とした視線を空に向けていた。その感じは例えていうなら、猫が不思議そうな顔で宙を見ているあの状態に酷似していた。
私が泣き止んだところを見計らい、カルテに目を通しながら先生は言った。「あなたは三十歳なんだね。まだ若いね」と。
私はとんでもない、とかぶりを振った。
「三十歳は、もう若いという歳じゃないです。友達は結婚しているか、仕事に精を出していそがしすぎるか、どっちかです。
私は実家暮らしで猫を飼っていて、ろくな仕事につけない派遣労働者で、その派遣の仕事も最近のコロナで激減してるし、
コンビニでアルバイトしようとしてもごちゃごちゃした細かい仕事があって、慌てて混乱してしまうから使い物にならないし、
シフトで一緒になったベトナムの外国人労働者に、ミスをした時にちって舌打ちをされたこともあります。
もうどうしていいかわかりません。妹は二十歳の時に結婚してて子どもが一人いるし、そのことを材料にして母親に
『あなたを産んで悪かったわねえ、かわいそうねえ』って嫌味たっぷりに言われています。もう本当に役立たずの自分が嫌」
「役立たずって、どうしてそう思うの?」先生は尋ねた。
「今いったとおり、私には普通の人が普通に出来ることができないんです」「そうかあ、あなたはそういうふうに思うんだ」
「普通、そう思うんじゃないですか」「ふつう、ねえ…」そうねえ、と言いながら先生はあごに手を当てて考え込んだ。
「あなたがそれを思うなら、私はまったく普通ということではなくなるなあ」と先生はまた考え込んだ。
「いや、先生は普通じゃなくていいんです」「どうして?私もあなたのいうところの普通になってみたいと思うよ」
「だって先生は普通じゃないですか?こうしてクリニックも経営できてるし、お医者さんとして尊敬されているし。私、先生を尊敬しています。
先生にたどりついて、私は救われました。他のお医者さんにもたくさんかかったけど、みんなパソコンの画面見てて、お薬の検索して私の話なんか聞こうともしないで、
『あ、不安になるのね。そう。じゃあ今回はデバスだしときますか?』って言って処方箋出してそれでおわりなんですもの」
「そうかあ、救われるって言ってくれてありがとうな。あなたの救われるという気持ちはありがたく受け取らせていただくけど、
自分としては、その言葉は自分の承認欲求の充足に過ぎないとも思えるし、ちょっと違うなあ。受け取っていいのかなあ。
そんなんじゃダメなんだよなあ。自分が患者さんから、感謝の言葉が欲しいと思った時点で医者失格だ、と私は思うんだよ。だから…私はあんまりいい医者ではない」
「先生ご自身がいい医者かどうかと、お思いになるのは別として私にはいいお医者さんだと思います。だからいい医者じゃない、なんて言わないでください」私は懇願した。
「そっか。じゃあ、わかった」
「え?何がわかったんですか?」
「うん。あなたはね、いずれ良くなっていくよ」
「どうしてそんなことがわかるんですか?いい加減なこと言わないでください。こんなにダメなわたしがいずれ良くなるなんて考えられません」
「ダメじゃないよ、あなたは」
「いや、私はダメな人間です」
「そうかあ、あなたは自分をダメな人間とおもうのか。じゃあね、私のとっておきのウラ話をしようか」
「とっておきのウラ話?」
「そう。恥ずかしいから他の患者さんに言うなよ」
「はい」
「私はね、すぐ人に騙されちゃうんだ。まだ妻が生きていたころ、五年位前かな?クリニックの休憩時間に布団の訪問販売の人が来てね、
『先生、肩がこるでしょ』と私を見ていうんだよ。私は首を左側に向ける癖があるでしょ?学生の頃格闘技をしていて、試合の時に頸椎痛めちゃったんだ。その後遺症で肩こりがひどくてね。
その訪問販売の人に『肩がこるでしょ』と一発で当てられて、それで信用してフルセットの布団買ったんだけど、いくらしたと思う?」
先生はいたずらっぽく笑いながら言った。「二十万くらいですか?」私はあてずっぽうに言った。
「なんと、五十万円でした。ダブルの掛け敷き布団が五十万円。高いなあと思いながらも、買わせられちゃったんだよね。もちろんクレジットでね。
奥さんが入院しているときだったから、奥さんが退院したときにえらく怒られた。『全く、あなたってひとを一人にしておくと何やらかすかわからない』ってね。
購入してから二週間以上たっていたし、それに毎晩その布団で寝てたからクーリングオフもできなかったんだ」
私は笑えなかった。
「そこ、笑うところだよ」先生は言った。
「別のこと考えてました」
「ほう、何かな?」
「先生って奥さんに死に別れているんですか?」
「ああ、妻ね。体は亡くしたけど、死んではいない」先生はさらっと凄いことを言った。
「どういう意味ですか」私は真剣に尋ねた。
「妻は乳がんでね、三十歳の時に発症して、ステージ1で軽いうちにオペしたから治ったと思っていたんだけど、その後、再発したり、寛解を繰り返して十年間病んでいた。でも、とても強い人で明るくていつもご機嫌よく生きていた。花が好きでね。花以外も植物は何でも好きだった。あと動物。猫」
突然、私の頭の中に髪の長い、ほっそりとしたきれいな女性のイメージが入ってきた。
「そのイメージは違うな」と突然先生が言った。
「妻は髪が短かったし、そんなにほっそりとしていなかった。まあ、この世の最後の頃は随分痩せていたけど、それはそれで魅力的だったかな」
「え?」私はびっくりした。
「先生、もしかして今私の頭のなか、見えた?」先生はこくっと頷いた。
「先生ってもしかして『そういう人』?」先生は再び黙って頷いた。
「あなたも、そういう時があるよね、人の考えていることがすうっとわかるときが」と先生は私に言った。
「そうなんです。だからいつも自分の感情に蓋をしていないと、だめなんです。力入れて、ぎゅって。自分の感情が漏れだしたり、人の感情を受け取ったりしないように頑張っていないとうまくいかなくなっちゃうんです」
「そうだなあ」先生は遠い目をして頷いた。「さっき細くてきれいな女性のイメージが浮かんだでしょ。あれは妻のいたずら」
「え、そうなんですか?」
「そうなんだよ。わたし、こんなにきれいなのよって君にマウンティングしたかったらしい」
「焼きもち焼きの奥様ですね」私は揶揄うように言った。すると、
「そうね、かなりねえ」先生は照れたように顔を赤らめて頭をぽりぽり掻いた。キュートな人だ。
「彼女とはね、日曜日の午後よくビデオで映画を見たなあ。ある日曜日にいつもみたいに私と一緒に取りためた映画のビデオを見ている時、私は一瞬うとうとして眠ってしまった。目が覚めたらたらビデオは止まっていて、奥さんがふっといなくっている」
「あら、お買い物とか、ですか」
「買い物は買い物、なんだけどね、普通の奥さんは日曜の午後に出かけるとしたら、夕飯の食材を買いにいったりするじゃないか」
「あ、先生今、『普通』って言った」
「ああ、そうね、『一般的には』という意味にとらえてね」
「わかっていますよ」私は笑った。先生を揶揄うのは面白い。
「一般的には夕飯の食材を買う、として。でも彼女の場合は違うんだ」
「何を買ってくるんですか?」私はワクワクしながら訪ねた。
「花、だよ」
「花。なんだあ。別に珍しいことじゃないですよね。奥様は花がおすきだったのでしょう?いったいどんな花を買ってきたんでしょう?興味があります」
「それがさあ、聞いてよ。バラの花なんだ」
「あら、素敵な奥様」
「素敵は、素敵なんだけど、その本数がね」
「赤いバラの花、いっぽん、とか?」
「いっぽん、じゃないの。いっぱい、なの」
「いっぱい?」私は笑った。
「いっぱい?両手にいっぱい?百万本?」そういう私に、先生は真面目に答えた。
「百万本は言い過ぎだけど、たしかに両手でかかえきれなかったな」
そう言いながら先生は宙に視線を送った。
「百五十本」
「え?百本越え?」
「そうなのよ。あれにはまいったなあ。活ける花瓶が無くなった。家じゅうの花瓶を、一輪挿しを含めて二十個くらい花瓶があったけど、その花瓶たちを総動員してもまだ活け切れなかった」
「おまけに、あとから花屋から請求書が来てその額なんと」
「なんと?」
「四万五千円。本数が多いのと、自分で運んだから消費税は負けてもらったって奥さんは喜んでたけど」
「凄いですね」
「凄いでしょ?だからといっていつもそんなふうに、無駄遣いする人じゃなかったんだけどね。『こんなにたくさんのバラの花を何故急に?』って尋ねたら」
「尋ねたら?」
「『アキの誕生日、今日だった。忘れていたから』っていうんだよ」
「うわあ、素敵な奥様」
「それに言い忘れたけど、そのバラの花の色は、赤じゃなくて白、だった」
「うわあ、ますます素敵。先生、白いバラの花ことば知っていますか?」
「いや、知らない」
「『純潔』『私はあなたにふさわしい』『深い尊敬』っていう意味があるんですよ。奥様は先生をとても愛していたんですね」
「そうかあ、そんな意味があったのか」先生では感慨深げに頷いた。
「ちょうどその時、メグライアンの出てくる映画を見ていたの。メグライアン、知ってる?」知らない、と私は答えた。
先生はポケットからスマホを取り出して、「メグライアン」を検索した。「アメリカの女優でね『トップガン』という映画にでているよ。トム・クルーズ主演の1980年代の映画ね」
「これは2010年ころの画像だな」と言いながら先生は私にスマホを見せてくれた。
「女優だからいろいろ顔をいじって今は変わってしまったみたいだけど、私はこのあたりの、メグライアンが一番素敵だと思うな。それなりに歳を重ねているのに笑顔がすてきでしょ?」
「先生は笑顔の女性が好きなの?」と私は聞いた。
「私だけじゃないよ。笑顔の女性がすきなのは。男ってね、女の人が笑顔でいてくれると、すごく嬉しいもんなんだよ。小学生の男の子って好きな女子に変なことをして笑わせるか、意地悪して気を引くか、どちらかだろう?私は変なことをして笑わせるタイプだったな」
「そうなんですか?先生って面白い人だったんですね」
「そうね、人が笑っているのを見るのが好きだね。だから患者さんにも早く笑顔が戻ってくるといいな、とは思う。それがなかなか難しいんだけれども」
「その時に観ていた映画が、なんという映画だったか忘れてしまったんだけれども、映画の中でメグライアンがご機嫌でふわふわ歩きながら花屋で意味なくバラの花束を買うんだ。
そうそう、そのあたりで私は寝てしまったんだと思う。それに感化されたのかなあ、うちの奥さん。あの人もふわふわしているひとだったからなあ」
「ふわふわ、ですか?」
「そう、ふわふわしてる、としか言いようのない人だったんだ。ちょうど、地上五センチをふわふわ浮きながら歩いているっていう感じの人」
「浮世離れってことですか?」
「浮世離れ、というのともまたちがうんだなあ。地に足がちゃんとついていて現実生活はできるんだけど、どっか天使みたいな笑顔でふわふわしてる」
「素敵ですね」
「素敵でしょ?」先生はにっこりして続けた。
「だからね、あなたも地上五センチをふわふわ浮いて生きなさい。難しいことは、難しいことを専門にやっている人に任せたらいいんだよ」
そういって先生は言った。
「そうだ、あなたには難しいことや気を張るようなことは、似合わないんだ。哲学書なんて放置して、素敵な絵本や画集を見ていればいい、意味なくバラの花を買えばいい。ただ、僕から言わせるとバラは、花束よりもたった一本買う方がお洒落だと思うけどね」
私は笑った。
クリニックの帰り道、私は駅前の花屋でホワイトローズを一本買った。
華やかで優雅なその香りをかぐと、肩の力がすうっと抜けてリラックスがマックスになる。
私は軽いスキップをする。他の人の目はまるで気にならない。
そのまま空に浮かぶバルーンになってしまえばいい、と思いながら私は地上五センチ上空をふわふわと滑って、駅のコンコースを渡って行った。