なぜか空也が好き
空也上人ってご存知でしょうか。
高校2年生の頃、歴史の教科書で出会ってから、私は何故か空也上人が好きだ。
空也上人とは、平安時代、民間に浄土宗を広めたとされ、口から出ているのは「南無阿弥陀仏」を視覚化したものらしい。
昔mixiやLINEのアイコンにしていたくらい、何かに取り憑かれたように好きだった。
ただ、罰当たりですが、教えとか生き様とか、そういったことに感化されたわけではなく、顔とか口がああなったいきさつとか、何ともいえないあのフォルムに惹かれただけです。すみません。
衝撃的な第一印象を今でもよく覚えている。
ある日の歴史の時間、教科書を開くと彼が居た。一目見た瞬間から目が離せなくなった。そして込み上げるものを止められなくなった。
歴史の授業は、一つの時代を何時間かに分けて行われる。つまり、そのセクション中は何度も同じページを開く。
生き地獄だった。
開くたびに肩が揺れた。後ろの人に肩の震えがバレていないか気が気でない。
うつらうつらと意識が遠のき、船を漕ぐ生徒が多い歴史の授業。
静寂な空間で、間違っても吹き出すわけにはいかない。何故笑ったのかと聞かれても、「空也上人がツボで。」といったところで、誰が共感してくれるだろうか。
一度友達に言っても、「そう?まあ独特やけど、そんなに?」と返された。どうやら私だけのようだ。
「空也上人がどうしても、ダメで。でも、大丈夫です。すみません、気にせず続けてください。」と、半笑いで息も絶え絶えで答えられたら先生も困るだろう。気持ち悪すぎる。
クラスメイト30人に"気持ち悪い人"の烙印を押されて堂々と出来るほど肝は座っていない。
「じゃあ今日も○○ページから」と、また授業が始まる。みんな当然のように教科書を開く。
私はもう頼むからやめてくれと心で念じながら恐る恐る教科書をめくる。
そして出てくる空也。込み上げる何か。震える肩。
その繰り返しだった。
あれから、十数年後。
未だに私は空也が好き。
何故空也が好きなの?と聞かれても、理由はわからない。何故か執拗に好きだとしか。
何か縁があるのかもと考えたこともある。
昔バガボンドを読んでいた頃、吉岡清十郎が好きだった。武蔵と清十郎が最後に戦ったのが京都北区紫野の蓮台寺野。今はとある大学になっている。と書かれてあった。その時はふーん、そうなんや、くらいにしか思っていなかった。
しかし数年後、私はその大学に行くことが決まった。武蔵と清十郎のことはすっかり頭から抜け落ちていた。指定校推薦でたまたま行けそうな大学がそこだっただけだ。
入学後に気付いて鳥肌が立った。導かれたような感覚を抱いた。
だから空也上人を好きになったのも、何か理由があって導かれたのかもしれない。とずっと思っているけれど、特になさそうだ。調べても何もピンとこない。
いよいよ理由がない。
ただ何となく好き、気になる。というふわふわした空也への想いは、変わらず抱き続けている。
そして昨年、空也上人像が所蔵されている六波羅蜜寺にて初めて対面を果たした。
これまでの想いが堰を切ったように溢れ出たらどうしようと心配していたけれど、杞憂に終わった。
身が引き締まる思いを無理矢理感じようと必死だった。
空也は思った以上に前傾姿勢だった。そんな邪念が浮かんでは消えた。
これからも多分、私は空也とともにあると思います。ホームグラウンドに帰ってきたような感覚さえする、不思議な存在です。
そういえば、吉岡清十郎と蓮台寺野のことを思い出し、久しぶりにバガボンドについて調べていたら、吉岡伝七郎との戦いは三十三間堂だったようだ。
三十三間堂は昨年、空也に会った六波羅蜜寺と同じ日に訪れていた。
今こうして見ると確かにそうだ。
武蔵のよだれと、伝七郎の内臓が蘇る。
何故気づかなかったのか。
カメラに収まりきらない外観と、1000体以上の千手観音像は想像以上の大迫力だった。お堂の空気がひんやりと冷たく、何となく居心地が悪かったのが印象深い。
どうやら私は今のところ、空也よりもバガボンド、もとい吉岡一門とご縁があるようだ。
実家帰ったらバガボンド読み返そう。