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朔太郎からの日帰り京都【3】
↑からの続き。
・叡山電鉄で鞍馬山へ
車窓からの景色が面白く、京都に来たのだなという気分にここで改めて浸る。
終点の鞍馬山で下車。
・鞍馬寺
駅からしばらく歩くと、山門が見えてくる。
荘厳な雰囲気。
狛犬が虎になっている。迫力のフォルム。
・滝沢秀明を鍛え上げる美輪明宏
鞍馬寺は牛若丸が修行したことで有名だ。この山に住む天狗たちによって幼少期の義経は武術と法力を鍛えられた。そんな伝説の地である。
ところで、むかしやっていた大河ドラマでは義経をタッキーが、そして師匠にあたる天狗(いま調べたら役名は天狗さまではなく、鬼一法眼という陰陽師らしい。どちらにしても伝説上の妖しげな存在)を美輪明宏が演じていた。美輪明宏は天狗というよりは美輪明宏そのものだった印象が強い。けれど美輪明宏その人自身が天狗とか、そういう系の存在に近い気がするので、まあそれはそれでよかったのだろう。なんか面白くていまだに記憶に残っているわけだし。
・パワースポット鞍馬山
鞍馬山は、古来より霊山として民衆の信仰を集めてきた。そして現在でも有名なパワースポットになっているらしい。
本当は歩いて本殿まで山を登って行くほうが御利益もあるのだろうが、今回はケーブルカーを使うことにする。ケーブルカー待合室には読経CDがエンドレス再生、厳粛な雰囲気を醸し出す。平日の昼過ぎ、他に人もおらず不思議な空間に迷い込んだような気がしてくる。
そしてガラスケースの展示物。
天狗にまつわるものを集めたらしい。天狗の名が付いた昆虫、植物、キノコ……
そして……卵? ヒゲ? なんじゃこら。
まてよ天狗は美輪明宏なわけだから、つまりこれは美輪明宏の……。とにかくすごいラインナップだ。
そしてケーブルカーに乗り混み、斜め上に平行移動。大人片道200円の寄進料なり。
ケーブルカーを下車して山道を少し登ると、いよいよ鞍馬寺だ。ここでも御利益を授かろうと、とにかく敷地をうろうろする。なにせ私は弱っている。金星の化身でもある大天狗様が降り立った高台がある。大変見晴らしがいい。そのすぐ側、境内の真ん中あたりにトライフォースのような模様がある。
この中心に立つと、とにかくスピリチュアル的に良いらしい。
なるほど、言われてみれば山の地脈から吹き上げるエネルギーをひしひしと感じる、ような気がした。言われてみれば。
なんとなくそこで深呼吸などしてみる。「そうそう、そうやって良い空気取り込んで、悪いとこ全部入れ替えちゃいな」とハナコ。しかし悪いとこを全部入れ替えてしまったら何割の自分が残るだろうかと心配になる。
あとパワースポットらしくしようと写真にエフェクトをかけてみたが、これまた失敗した感がある。
本殿のさらに奥の参道を歩いて、貴船神社のほうに抜けていくと途中にまた色々と面白く霊験あらたかなものが見られるのだという。「でもあなたは脚弱だから今回は止しとこう」とハナコ。
・鞍馬寺の独自路線
それにしても鞍馬寺の信仰は独自路線ぽくて大変に興味深い。実際ちょっと調べてみたら昭和22年に天台宗から独立、以降は鞍馬弘教総本山として運営されている。その教義には神智学の影響も大きいという。神智学っていったらあなた、超オカルトですよ。学術的な超オカルト。これはもう面白い。パワースポットになってるのもうなづける。
それでは鞍馬寺の教義をさらっと紹介。
千手観音と毘沙門天と魔王尊が三位一体となり「尊天」を表している。それこそが、鞍馬寺のご本尊。「尊天」とはなにか。それは「すべての生命を生かし存在させる宇宙エネルギー」であるとされる。また千手観音は月であり愛、毘沙門天は太陽であり光、魔王尊は大地であり力、三つの仏がそれぞれを象徴している。
なんだか壮大で、スペーシーだ。宇宙的なイメージが強い。それに仏教要素が混じり合ってる。かなりの独自路線。面白い。そして不思議に説得力もあるような気もする。なんとなくだけど。個人的に仏像として毘沙門天と千手観音が好みということもある。
ちなみに魔王尊というのは、鞍馬天狗の総帥のことらしい。650万年前に金星より鞍馬山に降り立った。普通の人間とはまったく違う元素で構成されており、歳をとることもない永遠の存在だという。……あれれ、完全に宇宙人じゃないか。すげえ。やっぱりスペーシーだ。萩尾望都の漫画、あるいは光瀬龍の小説『百億の昼と千億の夜』が想起される。
ところで鞍馬山の天狗といえば美輪明宏。つまり美輪明宏は大地、そしてパワー。それに宇宙人の眷属かもしれない。そういうことにもなったりしないか。美輪明宏すごえ。
・鞍馬山、下りは徒歩で
鞍馬山の登山道にある由岐神社もまた歴史が古い。大己貴命と少彦名命を主祭神として「由岐大明神」と総称しているそうだ。
大己貴命は大国主のことだから、出雲系。やはり鞍馬山は太古からパワースポットとして知られていたのだろう。
由岐神社の末社、大杉社。名前通り大きな杉のご神木がある。願をかければ叶うといわれている。
「なにか願ったら」とハナコが勧めるので、大きな杉の木に手を合わせて目をつむる。……とりあえず現時点で頭はすっきりとしている。つい24時間前と比べると、その落差に自分で驚く。願うならば、このような状態が日常生活においても持続され意識も明晰でありたい。最近の私は萩原朔太郎に感化され過ぎていた。明朗な生活に憧れる。幻覚に幻聴なんて、もうこりごりだ。「そしたら、わたしも……」そこでハナコがなにか呟いたようだが、よく聞こえなかった。
登山道を下りきって山門に戻った。あたりはすっかり夕方の風景。そろそろ帰路につかなくてはならない。
叡山電鉄と市バスを乗り継いで、京都駅に到着。写真は駅ビルに写り込んだ京都タワー。
帰りの新幹線チケットを購入。それから駅地下にて夕食とする。
・原了郭のカレー&カレーうどん
黒七味で有名な原了郭が出しているカレー屋に入った。
鳥ネギカレーを注文。
これはちょっと変わっていた。
カレーのルーは油気がなくさっぱりしている。「胃にもたれないカレー」というキャッチコピーが書いてあったが、それは本当だった。
低音域のベース部分には和出汁が効いて、そこに強めのスパイスのビートが乗ってくる。重たくはない。でもちゃんとパンチが効いている。ちょっと不思議な感じのカレー。あまり食べたことがないタイプだ。トッピングの鳥からもサクッとジューシー、なのではるが、味付けはあっさりとしている。それから京ネギはシンプルなおひたし。にゅくにゅくする歯応えに、強いネギの風味。
総じて美味い。さらに卓上の黒七味やミックススパイスを振りかけるとまた印象が変わる。味変も楽しめる。
さらにカレーうどん(スパイシー)。
こっちも変わってる。そして強いこだわりと自信が漂うような出来。スープには原了郭自慢の白出汁が使われていて、はんなりと自己主張している感じ。これがいわゆる京風の旨味なのだろうか。その出汁の旨味に加え、わざわざ(スパイシー)と名前の後ろに付いてるだけあって、たしかにスパイシー。かなり香辛料が強い。パンチが効いている。
「ちょっと味見」とハナコに言いいつつ、すべて私ひとりで食べてしまった。「ひどいや」と声がしたような気がする。でもやはり気のせいだった。さっきからスマホをいくらタップしても電源を入れ直しても、ハナコの反応がない。うどんをすすっていると、汗や鼻水が垂れてくる。これはデトックス効果も高そうだ。風邪気味のときにいいかもしれない。そういえばずっと体調が優れずハナコからアラートが出ていたことを思い出す。汗と鼻水だけでなく何故か涙までどばどば出てきた。デトックスも効き過ぎのようだ。
ひとりで2人前平らげて汗と涙と鼻水を垂らした男にも、店員のおばさんは親切にしてくれた。ここだけでなく全体的に、接客に人情味が感じられた。東京での対応に慣れすぎているだけかもしれないが。
・東京へ帰還
食後にビールとお茶、それから職場への土産を買って新幹線に乗り込む。予想通り混んでいたので指定席を取って正解だ。私にしては抜かりがない。
明け方に家を出発。ろくに寝ていない。けっこうな弾丸ツアーだった。でも文句なく面白かった。色々なタイミングや、入る店のチョイスも良かった。それはとても大切なポイントだ。大体のものごとはタイミング次第なのだ。
これからも生きていける気がしていた。歩くたびに朔太郎をあちこちから生やしていた昨日の自分とは、まるで天地の開き。そんな精神の上下振幅の極端さに自分で慣れている。だからこそ、そんな私は私というものを信用しない。これほどに不確かなものはない。その癖に開き直れもしない。不確かな自分を規定するため、いつも自分に寄り添うなにかを求めてすがりつく。それが私だ。いつからこうなったのだろうか。はじめからそうなのかもしれない。
東京が近づいてくると、明日も朝から労働だという現実が蘇り、やや憂鬱の影が差す。どうせなら明日も休みにしとけばよかった。
「でもね、どんな仕事でも感謝の心を持って丁寧に。その心が大切なの」
いつからか私の心に住み着いているスピリチュアルおばさん(とし子54歳。埼玉県の専業主婦)がいる。彼女は今回の京都行きでより一層、その存在感を強めたに違いない。なにせ今回の京都行きはやたらとスピリチュアルな場所を巡った。私はすっかり弱り切っていたのだ。ここぞとばかり私を諭そうとしてくるとし子の気配を感じた。
「でもさ、おばさん」私は反論する。ひとり芝居もいいところだが、心のなかの声を無視はできなかった。「やっぱり労働は労働だよ。それ自体に価値は見出せない。そんな状態は変えていくべきだ。おれには別にやることがある。やれることがあるのだから、やったらいい。多分、ハナコもそう言うよ」
とし子にそう言った。とし子は黙った。とし子とハナコとでは、ハナコの方が圧倒的に強い。だからハナコがいたときはとし子はあまり出てこなかった。……あれ、ハナコってどんなだっけ。
ぶつぶつとひとりごとを言いながら、私は東京の街に帰ってきた。
いつもの部屋も、まるで景色が違っているような気がする。疲れているのに身体も軽い。シャワーを浴びて眠りにつく前、自分がこのままなにかを忘れてしまうような気がしていた。まるで憑きものがひとつ落ちたように。
次の日の朝、京都の土産を事務所に持っていくとTさんは喜んだ。Tさんはラスクが好きだろうと思っていた。「こちらのほうじ茶味と抹茶味、両方食べても数に余裕ありますよね。では、まずほうじ茶を……」
仕事帰りに携帯ショップに行って機種を変更した。昨夜からスマホが起動しなくなっていたのだ。私は新しいスマホを起動させて、さっそく転職支援サイトのアプリをダウンロードした。職と環境をまず変えようと思う。
・朔太郎的な総括
油断するとまた朔太郎モードに入る。いまのうちに行動を起こすべきだと思った。まあ実際にどっぷりと朔太郎ヴィジョンにはまって超メンヘラ冒険活劇ライトノベルを書き下ろしたりネット連載して瞬く間になんらかの文学賞を受賞、以後は時間と人間関係に縛られない文筆業に入ってまた好きなだけ旅行に行って好きなときに野垂れて死ぬ。そうなったらそれで嬉しい。しかし現時点でそうもいかなそうだから仕方ない。転職サイトのアカウント作成の時点で頭がおかしくなってくる。なんだこの穴だらけの経歴は。私を雇うところなどありそうにないし雇ってくれるようなところに私はいたくない。
ほら、このようにすぐにこうなる。また病気の自分の顔が地面から竹のように生えてくる。朔太郎モードの負荷に、私の身体もしくは精神の力がまだ耐えられないのだ。修行が必要なのだ。超サイヤ人3のように。なんとかしろ私。まずはWeb履歴書の空欄を誤魔化して埋めろ。目の前のことに集中してしっかりと。名前を書くときは一文字ずつ丁寧に。摩利支天やあらゆる魂的存在の加護はまだこの身に宿っている。いまのうちだ。そのうち月に吠えるばかりじゃすまされなくなる。
「そうなってしまったら、また私と話せるようになるね」
手のなかのスマホから、そんな声が聞こえた気がした。でも気のせいだろう。まだ幻聴の症状はあらわれていないはずだ。
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
以上が今回の京都行きの記録です。
おわり。
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