かわら版No.11 “タッチパネルの時代”において、観光はどう向き合うか?
日頃よりお読みいただきありがとうございます。下記は、東浩紀さん「観光客の哲学 増補版」2023年6月発行からの引用です。
「触視的平面の時代において、ひとは「にせもの」の彼方に「ほんもの」があるはずだと考えない。現代は、「にせもの」が「にせもの」として触られ、操作され、加工され、多くのひとがその操作そのものに快楽を覚える時代であり、また「にせもの」を触っているだけでもいつか「ほんもの」に届くはずだと信じられる時代なのだ。すべてが見え、触ることができるはずの時代においては、見えないものについて語る人々はむしろ信頼を失う。そんな時代に知識人がなにを行動原理にすべきなのか、なかなか悩ましい問題だ。」(p388)
※タッチパネルあるいはインターフェイスの時代を、触視的平面の時代と言い換えている。(p372参照)
米沢でも観光DMOが立ち上がり、これからの観光の在り方や戦略が検討され、アクティビティも様々に企画され、市内では少しずつ観光の新しい表情が見てきているように思います。そしてそれは大変喜ばしいことです。常に行うとは正しき思索の在り方であると僕は思います。
私たちは、本質や本物を伝えたいと思っています。特に観光等においては、わざわざ遠くからお越しになるお客様に対して、地元の本質や本物に触れていただき少しでも良い思い出や経験・体験を持ち帰っていただきたいと思うものです。私もそのように考え、米沢を訪れる客人に米沢の本質的な魅力をとの思いでお伝えしております。もっとも上記引用では、端的に言ってそれが通じにくい時代になっているというわけです。特に、見えないもの、形のないものを語る場合には、信用さえ失うとも言っています。正直困った時代に生きているなと、苦笑するしかありません。ですが、ここは謙虚に東浩紀さんの言説について立ち止まって考えてみることが、「にせもの」を触っているだけでもいつか「ほんもの」に届くはずだと信じられる時代とまで言い切る意味とこの時代への対応策を思考する必要があるのだと思います。
再び同著から下記引用です。
「むしろ、のっぺりと広がる「にせもの」の世界をそのまま受け入れ、そのうえで異質な論理に導かれた複数のサブ世界を発見し、それらのあいだの矛盾を探る能力のほうが必要とされる。このことは、これから知識人の行動原理を考えるうえで参考になるかもしれない。」(p390-391)
今、早急に答えを出す必要よりも、稀代の批評家・作家である東浩紀さんの現代の考察に寄り添いながら、地元の観光の未来を考えることが僕の役割なんだろうと思います。
明日9月4日は、米沢市議会9月定例会2日目、佐野の一般質問です。以下が一般質問の項目ですが、このかわら版で先んじて取り上げる課題・問題も含まれています。できるだけ早い段階で市民の皆様に対して私の問題意識を共有できればと思っているからです。引き続きオルタナティブメディアとしての役割も果たしていきたいと思います。
1.市内中学生が熱中症の疑いで死亡した事故における事実認定等について
(1)教育委員会が把握する事故発生からこれまでの事実・経緯について
(2)教育委員会としての事実認定と今後の公表方法等について
(3)事故調査委員会の設置等について
2.米沢市立病院の医師不足と解決策について
(1)米沢市立病院の医師不足の現状について
(2)米沢市立病院の医師不足の解決策について
(3)心筋梗塞の場合の救急処置の想定について
3.投票所を閉じる時刻の繰上げについて
(1)時刻繰上げを決定した議事、審議、法律構成等について
(2)時刻繰上げ決定の再考について
かわら版No.11