自信がなくてもいいじゃない 【青二才の哲学エッセイ vol.7】
少し前に、仕事で失敗をした。新しい案件を自分一人で突っ走って行動してしまったのが大きな原因である。あんまり書くと治りかけの傷口がまたぱっくり開いてしまいそうだから伏せさせて頂く。周りの人達の手助けもあり、その仕事自体はなんとかなったし、会社としてさほど大きなダメージにもならなかった。だが、私自身そのときは、なかなか気持ちの切り替えがつかなかった。自分の中で自信をすっかり無くしてしまい、その失敗と関係のない業務をやっていてもどこか自分に半信半疑の状態だった。こういうのは大抵、時間が解決してくれるものとよくいうし、そのときもそれでなんとかなってはいる。実際それでいいのかもしれないが、どんなことがあっても自分に自信を持っていられる自分であったら、なんていいだろうと思う。自分に自信を持ちたいというのは今に始まったことではない。そういう人への憧れもずっと心の奥底にある。自分を変えたいという思いもある。何より、自信がない状態というのが長いこと続くのは嫌だ。そんなことをきっかけとして、私の中にある自信という感情について考えてみた。
自信を持つためにはどうしたらいいかを考える前に、このエッセイの狙いでもあるので、哲学っぽい問いを立ててみる。「そもそも自信とはなんだろうか」。自信を辞書で引くと「自分で自分の能力や価値などを信じること」とある。「自分に自信がある」と言えるときは、自分の能力や価値を信じられる状態にある、というときだ。それはどんなときだろうか。これまでの経験、成功体験、身につけた知識からということや、人から「〇〇さんなら大丈夫だよ!」とか「できるよ!」とかいう風に背中を押してもらえたときもあるだろう。頭いいね、とか、かっこいい、かわいい、センスある、上手い、面白いとかいう他人からの承認を得られた時も自分に価値を感じられる。また、良いか悪いかは別にして、自分と、他人や社会全般の人達を比べて自分の方が優れていると感じられたときも当てはまるであろう。これらとは違って、理由や大した根拠もなく自分に自信を持っているというときもある。なんとなくできそうな気がすると思えたり、言ってみたりするのがそれだ。ただこれも自分の中で、無意識のうちに全く関係のないところから根拠となるものを探し出しているのかもしれないが。ざっと洗い出してこんなところだろうか。
逆に、「自分に自信がない」と言えるときは、自分の能力や価値を信じられない状態にある、というときだ。上に挙げた例のそのまま逆を考えるとわかりやすいと思う。失敗体験を思い浮かべたり、そもそも経験や知識がなかったり、人からけなされたり、人と比較して劣等感を抱いたり、といったことだ。書いていてげんなりしてくるし、想像して頂けると思うのでこのへんにする。
ここからは最近になっての気づきであるが、自信があろうとなかろうと変わらないものがある。それは、自身のあるなしどちらの状態であっても、今ここにいる自分が考えている、ということだ。なんだか当然のことを言っているようであるが、自信という感情は他の誰でもないこの自分に対してだけである。自信を持つか持たないかのその対象となるものは、「自分の能力や価値」である。つまり、今現在の自分の能力や価値に対して、信じているか信じていないかの違いでしかない。自信があってもなくても、今の自分の能力は変わらない。未来においてやるかやらないかで違いは生まれてくるであろうが、今この瞬間のできること自体は変わらない。これまで蓄積されてきた自分の知識や経験、歴史は揺るぎないものだ。
先に書いた仕事の失敗で自信をなくしたということに当てはめてみると、そのとき自信をなくしたということは、自分なら問題なくできると能力を見積もっていたが、そうはいかずに、自分の能力に失望した、と言える。思っていたほどではなかったということだ。ここで言えることは、繰り返すようになるが、私という存在、能力そのものは取り立てて変わっていないということだ。内面のみならず、他人からどう見られているのかも自分が思っているほどに変わっていないかもしれない。他人からどう思われているかをどう考えるかも、あくまで私の心である。前向きに考えるなら、今の自分の能力・実力が把握できたうえに、その失敗という経験が得られたとも言える。
少し逸れたが、こう考えていくと、私に必要なものは自信なのだろうかと思えてくる。自信を持とうとして仮に自分に自信だけを持たせたところで、それで何かが変わるわけではない。自分自身の能力やできることが変わらずそのままであるならば、また何か行動に移した時に失敗して、その自信が崩れていくのがオチなのではないだろうか。何か望むものが欲しいのであるならば、自信をつけようとするのではなく、その自分の能力を高める他ない。これまで蓄積されてきた知識や経験、自分の歴史は揺るぎないものであるから、これからも積み重ねていけば、その事実だけは疑うことはできない。私にはその積み重ねが足りないのかもしれない。タイトル通り青二才の私だ。これから体で確かめるのみである。
【関連書籍】
今回は失敗から自信をなくしたというところから出発した話でもあり、失敗について論じた以下の本を紹介したい。個人だけでなく組織としての失敗の話も多いが、失敗について様々な見方ができる良い本だと思う。失敗を失敗というだけで終わらせず自らの糧とするためにどうしたらいいかというヒントを与えてくれる。
「失敗学のすすめ」 畑村洋太郎 講談社文庫
哲学ch.のHPに読後の感想を上げているので参考にどうぞ。
https://www.philosophy-ch.com/book/detail/19
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