ヘタクソの戦い方 【青二才の哲学エッセイ vol.9】
先日、上司に連れられ、初めてゴルフの打ちっ放しに行った。
私は学生時代に野球をやっていたこともあり、やればすぐに打てるようになるだろうと高をくくっていた。だってボール止まってるんだもの。余裕でしょ。
ところが、狙い通りに打つどころか、そもそも芯に当たらない。真っ直ぐに飛ばない。ひどい時はボテボテのゴロになったり、空振りしたりもする。立てたフラグをしっかり回収するあたり私は真面目な人間である。とにかく、何球打っても糸口が見えない。ここで初めて「ああ、プロゴルファーってすごいんだな」というなんとも当たり前のことを身をもって知る。体で凄さを知ることが、一番説得力のあることのような気がする。
50球くらいむやみやたらにブンブン振って、ボテボテの当たりを連発したところで、周りを見渡すと、みんな気持ち良さそうにパシパシ打っている。なんだか恥ずかしくなってきた。ここでやっと、「そういえば自分って運動神経なかったわ」ということを思い出す。気づくのが遅い。これまでなんどもこういう現実を突きつけられてきたはずなのに。今日は上司に「おっ、なかなか筋がいいね」とか言われちゃう予定だったのになあ。悲しいが、持って生まれた運動神経は変えることができないし、わたしの場合、体がすぐ思うように動いたりはしない。埒が明かないので、とりあえず一旦中断し、グーグルを頼りに打つ場所のすぐ後ろの椅子で「ゴルフ初心者向けのトレーニングメソッド」とか書いてあるサイトを発見し、熟読することにした。
最初のメニューは、「スイングの振り幅を膝から膝までにし、力は五割くらいで、体重移動はせずに打ちましょう。」というものだった。思いっきり振り上げて全力で振っていた私にはちょっと抵抗があった。上司も周りの人もそんな小さなスイングをしている人は誰もいない。そんな私の気持ちを見透かすようにそのウェブサイトには「芯に当てる感覚を覚えることが大事です。我慢して打ち続けましょう。」の文字。気持ちを当てられてなんか悔しい。書いている人はこういう身の程知らずな初心者に何人も出会ってきたのだろうか。とりあえず騙されたと思ってやってみることにする。
その通りに一振り。パシッといい音がする。おお!なんかゴルフっぽい!気持ちがいい!文明の発達って素晴らしい。とりあえずその後もしばらくはそのフォームで打ち続けてみた。全部が全部芯に当たるわけではないが、確率は格段に上がった。「これはもうコツ掴んだだろ」と思って調子に乗り、思いっきり振り上げて全力で振ってみる。鈍い音とボテボテの当たり。やっぱり近道はないのだ。自分の学習能力のなさに心底げんなりする。書いてある通りに我慢して小さい振りで軽く振ることを続けることにする。小学生の頃に、ひたすら素振りをしていたことを思い出し、なんだか懐かしい気持ちになった。
日を改め、またその上司と打ちっ放しに行き、今度は腰から腰、肩から肩という感じでだんだんと振り幅を大きくしていく。とりあえずそのサイトのいう通りにしてみると、芯に当たる確率も飛距離もさらに伸びていった。練習している最中は下手くそなりに夢中だった。こんな風に自分の成長を目に見える形でわかりやすく実感できたのはいつぶりだろう。純粋に楽しめている自分がいた。
さて、私は携帯で調べてばかりで上司には聞かないのかと思う人もいると思う。私自身が自分の世界に没頭したいことと併せて、上司は運動神経が良いが口下手なこともあり、大して口を挟まず、お互いがお互いのやりたいようにやっていた。上司のほうが私の性格を踏まえた上で放っておいたというのもあるだろう。それなりの期間の付き合いなので、こっちの方が大きいかもしれない。自分としてはその「あまり干渉しすぎない」というのがとても有り難かった。ボソッとたまに「ボールの位置を変えてみろ」くらいなのだ。これが結構的確である。あまりにグチグチ言われると面倒くさくなってしまう私だ。私がまずは楽しんでいる状況というのを最優先してくれたように思う。上司のこういうところは好きだ。
先に書いたように、私には運動神経はない。ただ、体を動かすこと自体はとっても好きだ。ふと考えると、学生の頃の部活もこれくらいマイペースに練習ができていたら、野球そのものをもう少し純粋に楽しめていたのかなと思う。部活動の練習内容を批判したいわけではなくて、その対象は自分自身の周りへの見方にある。上手いやつは自分のできないことがいとも簡単にさらっとできてしまう。それを見て「なんで自分はできないんだ」と卑屈になっていた。また、自意識過剰かもしれないが「なんでできないの」というような視線が強く自分に向けられているような気がして、それも嫌になった。要するに、周りを必要以上に気にしすぎていたのかなと思う。上手いやつと同じことをやったって、一足とびにそれが同じように出来るわけがないのだから、自分のできるところから練習すればよかったのだ。どんな練習をすべきかという点において、今の自分の能力は他人と比べる必要があるが、これから自分が何をすべきなのかについては比べるべきでない。「ヘタクソ」と言われても、「自分なりにコツコツ努力して見返してやる」と強く思えるくらいの図太さがあの頃に欲しかった。現在進行形のゴルフのように、自分の中で「できるようになった!」という喜びと楽しさが見出せれば、努力は勝手に続いていくものだ。
早くコースに出たい。また壁にぶち当たっても、今回は頑張れる気がする。
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