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たのしい自己陶酔 【青二才の哲学エッセイ vol.19】

先日、緊急事態宣言の延長が発表された。一人でいることに抵抗のない私であるが、流石に少しきついなと思うときが出てくるようになってきた。元々LINEとか電話とか面倒だなと思いがちな私は、この状況になってもそれは変わらない。Zoom飲みも正直気乗りしない。そういう感じなので、一人の中で楽しみを見出すことにしている。今回はその一部を記す。(以後、「なんて寂しいやつ」禁止)

走る

マスクをして、人通りの少ない道を選びながら走っているのでお許し頂きたい。
とにかく時間があるので、今は長い距離を走ることに挑戦している。普段は走っても3kmとかだったので、走り始めからとてもきつい。いざやり出すと苦行である。プロの陸上選手は無心で走っているらしいが私にとっては難しかったので、最近は大好きな箱根駅伝のランナーになった気分で走る。日テレのアナウンサーの実況を脳内再生するとなお良い。
この前は自分でも驚いたのだが、ゆっくり6kmくらい走ってから急に、足が、体全体が軽くなった。こんなに気持ちいいランナーズハイは初めてだった。気分が良くなってペースも上げて、気づいたら12km走っていた。(距離計測アプリで測ったから間違いない)走ることはしばらくやめられそうにない。今の情勢が落ち着いたら取り急ぎハーフマラソンに出たい。なんだかいけそうな気がする。

本を読む

普段なかなか読めなかった本に手が伸びる。最近は山崎ナオコーラさんの「かわいい夫」を読んだ。夫や家族との生活を綴ったエッセイだ。独り身の私。ちょっとさみしくなってしまった。ただ、エッセイ自体はめちゃくちゃ面白い。山崎さんはの作品はこれに限らずどれを読んでもそうだが、表現が上手くて「ずるいな」って思ってしまう。

掃除

いっぺんにやると億劫なので、気分が乗った日に1箇所を決めてそれなりに綺麗にする。過去最高に部屋が綺麗で自分でも驚く。ただもうやるところがないので困った。

素振り

ゴルフクラブがあるので、部屋のスペースを充分にとって素振りをする。飽きたらゴルフクラブのまま野球のスイングもする。それにも飽きたらプロ野球選手のモノマネを始める。全身が映る鏡があるのでそれで確認も可能だが、似てなさすぎてビビる。宴会芸になりそうもない。

麻雀のオンライン対戦

最近緊急メンテナンスが多い。多分アクセスが集中しすぎているのではなかろうか。宣言の影響は意外なところにも及ぶのだと勉強になった。

歌う

基本的にはずっと音楽をかけているのだが、たまにお隣さんの迷惑にならない程度の声で歌う。最近は回数が増えてきたような気もする。感情を込めて歌うと気持ちがいい。明るい曲ではなく、孤独や絶望を歌った曲の方がなお良い。感情移入しやすいからだろうか。


起きている時間の八割はこんな感じだ。充実しているような、いないような。どこか物寂しさを感じる気がするが致し方ない。

ただ改めてじっくり思い返すと、何かに集中している時は大体、自分で自分に酔っているんじゃないかと思う。何かやるときには自分の中で、少しながらも良くしようとしている。それで「前よりできてる俺すげー」ってなって浸っている部分がある気がする。ずっと一人の生活であるから、それで楽しみを見出して、なるべく自分の気持ちを明るく保とうとしているのではないか。客観的に見たらなんか気持ち悪いので、身近な人に話すことはないだろうが、別に言わなかったらいいだけだ。

少し話は飛躍するが、自分で自分に酔えるということは、努力を長続きさせる一つの要素になるのではないかとも思う。「自己陶酔」という言葉だけを目にすると、ナルシスト、自己中心的で自惚れているというイメージがまず出てくるかもしれない。ただ、「自己陶酔」は、自分で自分のことを認められる、自分のことを好きでいられている状態、とも言えるのではないか。何より、楽しい。努力している最中はなかなか人から認めてもらえることもなく、つらいことも多い。ただ、途中途中で以前の自分を超えられたことに対して自己肯定感に浸れたら、楽しく継続できそうな気がする。実際、地道な鍛錬ってつらくてつまらないのだ。私はそうでないとやっていられない。

「自分で自分に酔う」って言うとやっぱり抵抗ある人もいると思うけど、自分の世界でひっそり留めておけばいい。ただし、私は浸っている最中に無意識のうちにニヤニヤしているのが出ていたらしく、気持ち悪がられたことがある。気づかぬうちに態度に出てしまうことがあるのでご注意頂きたい。

「浸っていますが、何か?」と言えるくらいのメンタルが欲しいなぁ。

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