営業っている? 【青二才の哲学エッセイ vol.20】
私は普段、法人相手の営業をしている。このところの情勢により、外回りの営業は無くなった。直接顔を合わせる機会というのは全く無くなったわけで、メールや電話でコミュニケーションを取っている。この前はほぼ全てのお客さんに久々のご挨拶がてらDMっぽいメールを送ってみたら、意外と返信があってちょっと嬉しい気持ちになった。普段お客さんのところに行くことをめんどくさがっている私であるが、つながりが感じられると何だかんだ嬉しい。「お体にはくれぐれも気をつけてくださいね」という言葉に温かくなる。社交辞令かもしれないが、それでもいいのだ。こうした言葉たちに私は生かされている。
普段はとにかく「回れ回れ。とにかくお客様のところに顔を出すんだ。」とよく言われてきた。うちの会社には営業はとにかく外に出て帰ってくんなという暗黙の了解みたいなものが存在する(この時間までに外に出ろとかいう謎ルールが設定されたこともあった)。別に頭ごなしに全部が全部否定するつもりもないけれども、今の社会が落ち着いた後でも、こうした営業スタイルは見直す必要があるのではないかと、最近より一層思うようになってきた。そもそも、これからの社会で営業という職種は本当に必要なのだろうか。リモートワークが進み始め、インターネットが発達し、AIがビジネスにも用いられるようになってきた。このまま私は営業をやっていて大丈夫かなという気持ちも正直ある。というわけでちょっと立ち止まって、「営業の存在意義」について考えて、自分の頭を整理する意味でもまとめてみたい。
なお、話が大きくなりすぎてしまうと大変なので、ここでは直接お客様のところに足を運ぶ「外周り営業」に絞る。(会社によってはお店の販売員、テレフォンオペレーターも営業部員と呼ぶようなので)
青二才の私なりに考える営業の存在意義は以下の通り
① 親近感
② 話の流れで発注
③ 直接来て対応をしてもらえるという安心感
④ 相手に合う提案
⑤ 対話による相乗効果
上二つは私の考えたというより、弊社の御上の方からよく言われることであるが、とりあえず机上に乗せておく。
① 親近感
弊社の御上が言うところには「お客様のところに何度も何度も顔を出すことで、情が生まれて、『よく来てくれるし、こいつのところに出してみようかな』ってなるんだよ。そうやって仕事は増えていくんだ。」という理屈らしい。単純接触効果というやつか。非効率では?と思いつつ、言われたらいつも「なるほど」と曖昧な返事をする。
② 話の流れで発注
「何度も何度も行って話をしているとな、話の流れの中で仕事がもらえるようになってくるんだよ」ともたまに言われる。確かにそういうこともあるかもしれない。ただ本当に情とそういう勢いだけで発注を決めているお客さんがいたら私は逆に心配になる。
③ 直接来て対応をしてもらえるという安心感
これは年配のお客さんによくある。「ちょっとお話ししたいことがあるからとりあえず来て〜」とお呼びがかかる。直接来てもらえた方が電話より話もしやすいという人も多い。不安の解消というニーズは満たせそうであるし、私の勤める印刷会社のように物を扱う事業をしている場合は直接見たほうが正確、という面もある。また、上二つに関係していることかもしれないが、「この人は会って世間話がしたいという面もあるな」というお客さんもいる。もちろん人との繋がりって大事だと思うし、仕事だからといって無下にすることもないと思いながら「うんうん」と話を聞く。(ただ歯止めが効かなくなるのだけはやめて欲しい)
④ 相手に合う提案
これは最近よく言われる「提案営業」というもの。お客さんの悩みやこうしたいという思いに対して最適な提案をすることや、お客さんでも気づけなかった点に気づいて提案するということがこれに当たるだろう。重要なこと等、色々述べられているサイトはたくさんあるので省略させて頂くが、相手に合わせてオーダーメイドのサービスをするという点はシステム化しにくいと思われるので、ここに営業の存在価値もあると思う。
重要度は取り扱う製品の単価にもよるだろう。安いものに時間かけても割に合わない。ただし、そこで提案力を見せて他の単価の高い商品に繋げられるなら時間をかける価値があるだろう。会社という器が用意できるサービスにも関わるので、いち営業マンがどうこうできる範疇を超える部分もあるけれども。
⑤ 対話による相乗効果
これは完全に経験談という形になってしまうが、「あーでもないこーでもない」とお客さんと一緒にアイデアを出し合う中で突然思ってもみなかった言葉や考えが飛び出すことがある。それはお客さんの方だけでなく、営業の私においても同様だ。質の高い会議ができるのであればという条件付きだが、行って話す営業の価値はここにもある。もっとも、ビデオ会議が浸透すれば行く必要はなくなりそうであるが。お互いの時間の節約→働き方改革に繋がりそうでもある。それでも対話すること自体の価値は変わらない。
こうして考えを並べて、また、今までの営業としての私も振り返ってみて思うのは、営業は自社の広告塔と言えるのではないか。一番お客さんの近いところにいる営業員は自社の印象に大きく関わる。知名度の低い中小企業ならなおさらだ。
私の勤める中小企業は広告宣伝になかなか時間とお金をかけられないのが現状である。自社を知ってもらう、良い印象を持ってもらうという点で、ダイレクトなコミュニケーションが大きな比重を占める。これまで挙げた対応の良さであったり、的確な提案をするという点ももちろんここに関わってくるが、信頼できそうか、話しやすそうか、という見た目や話し方から出る雰囲気も大きいのではないか。こういうところは他の会社の営業員が来た時にいつも思う。人の振り見て我が振り直せではないけれども、私がお客さんの時に行く時には、イメージアップという点から考えて、「その人のために自社のCMを流す、イメージビデオを流す」くらいの気持ちで行く。
そう思うと前述した①、②のこともまあバカにできないかもしれない。やり方次第ではあろうが、ダイレクトに直接訴えかけることができるので、費用対効果もそれなりにありそうである。
ネットや各種メディアを使った広告宣伝ももちろん大事だ。どっちがどうとかではなくて、いろんな接点の仕方からどう影響を及ぶかを考えたい。ある意味一つのメディアミックスだ。
ただ、最初の方にも書いたけれど、足を運ぶというのは結構めんどくさい。拒絶されたり、嫌がられたりすると心が折れる。ストレスがたまる。実際、営業をやりたくないという人がたくさんいるのも事実。御上の皆様よ、営業部員のモチベーションというところもぜひ考慮して頂きたい。
また、営業は「お客さんの一番近いところにいる存在」でもあります故、そこから得られた情報からの言葉にもぜひ耳を貸して頂きたく存じます。
色々と挙げたが、「お客さんに一番近い存在」ということを生かし、貢献する行動ができているのであれば存在意義はあるのではなかろうか。直接会おうが、メールや電話会議で対応しようが変わらない。手段の違いである。ただ、AIがもっと発達してきたらどうなるのだろうか。取って代わられる存在になりはしないだろうか。必要なくなるときがいつか来るのだろうか。人間の情緒的な部分が関わってきそうであるが、ここは持ち越して考えてみたい。
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