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ナチュラル・ワインという偶像 ナチュラル・ワイン特集:序章 (無料公開)
ナチュラル・ワインは偶像と成り果てたのだろうか。原理主義の信奉者が押し付けた「らしさ」は、いつしか厳格なレシピと化し、人と自然の共生関係を再構築するというナチュラル・ワインの本懐は、重要視されなくなっていった。偶像としてのナチュラル・ワインと、その本来の在り方の間に、決定的な解離が生じている現状を放置し続ければ、その先には不可避な死が待ち受けているのかも知れない。私には、今のナチュラル・ワインが、まるでカート・コバーンの様に思えてならないのだ。
カート・コバーンはロックそのものだった。しかし、その先進性に保守派は行き場の無い戸惑いを抱き、グランジという新しいカゴをわざわざ創り出して、カート・コバーンを偶像化した。歴史的名盤「ネヴァーマインド」の発表から30年が経過したが、今でもカート・コバーンはグランジという小さなカゴの中に閉じ込められている。より広義で見たとしても、オルタナティブ(本流では無い)・ロックの一派で止まっている。保守派は往々にして、自らが守ろうとしている価値観自体が、様々な進化の結果として生まれたという事実から目を背け、新たな進化を徹底的に否定するという自己矛盾に陥っている。その厄介極まりない無自覚な拒絶が、ありのままの自分でいることを望んだカート・コバーンと、偶像として求められた彼の在り方の間に破滅的解離を生んだ。享年27歳、偶像であり続けることを拒んだカート・コバーンは自ら命を絶った。
名曲「Smells like teen spirit」を聴きながら、ナチュラル・ワインの行末に想いを馳せた。ナチュラルワインにも、同じ運命が待ち受けているのだろうか。オーガニック・ワインというオルタナティブ・ワインの一派として、終わってしまうのだろうか。極端な異臭と欠陥を「らしさ」として求められたまま、冷徹な懐疑者と熱狂的な信奉者の狭間を漂い続けるのだろうか。約8000年もの間、無農薬、無添加物がデフォルトであった過去を無かったことにするクラシック派の矛盾と、自らをアナーキズムやアンチカルチャーと紐付け、まるで本流ではないかのような自己演出を続けるナチュラル派の矛盾が解消しない限り、この二極化に歯止めはかからないだろう。
筆者には、多くの人々が見て見ぬふりをしているように思えてならない。クラシックとは常にアップデートされていくものであるということを。香りや味わいの清濁は、ナチュラル・ワインの本質とは一切の関連性が無いということを。そして何より、クラシックもナチュラルもすべからず、ワインそのものであるということを。
定義
計4回に渡る本特集をより正確に理解していただくために、以下の言葉に関して、SommeTimesとしての定義を明確化しておく。定義を明確化する目的は、偶像化された狭義以外を知り、その可能性を広げていくためであり、新たな偶像を生み出すことでは無い。そして、以下に述べた定義は、全てが重複可能なものでもある。つまり、ワイルド・ナチュラルでありながら、クリーン・ナチュラルでもあるワインや、ナチュラル・ワインでありながら、クラシック・ワインでもあるワインも存在するということだ。
オーガニック・ワイン
ビオロジック、ビオディナミ、パーマカルチャー、自然農法等に準じた栽培を行った葡萄で造られたワイン。認証の有無と醸造方法は問わない。
ビオロジック・ワイン
ビオロジックの認証を取得し、栽培、醸造共に、認証団体の規定に準じて行われたワイン。
ビオディナミ・ワイン
ビオディナミの認証を取得し、栽培、醸造共に、認証団体の規定に準じて行われたワイン。
サステイナブル・ワイン
オーガニックワインの諸条件に加え、減農薬農法(リュット・レゾネ)を含めた、持続可能型農業を採用したワイン。認証の有無、醸造方法は問わないが、カーボン・ニュートラル等でワイン造りに関連したあらゆる環境負荷への対策をとっているワイン。
ワイルド・ナチュラル
栽培はオーガニック・ワインに準ずる。醸造に関しては、以下の点が遵守されている。
1. 何も足さない(必要最小限の亜硫酸添加を例外とする)。
2. 何も引かない(混入物を除去するための粗い濾過を例外とする)。
3. 何も止めない(自然な発酵工程を阻害するあらゆる人為的介入を行わない)。
クリーン・ナチュラル
栽培はオーガニック・ワインに準ずる。醸造に関しては、以下の点が遵守されている。
1. 何も足さない(必要最小限の亜硫酸添加、シャンパーニュ製法のように製法上、亜硫酸以外の添加が必須である場合を例外とする)。
2. 必要最小限しか引かない。
3. 必要な場合にのみ止める。
4. 上記の項目が全て、ワインに過度の欠陥的特徴が生じ、テロワールの個性を失する結果を防ぐために行われる。
ナチュラル・ワイン
ワイルド・ナチュラル、クリーン・ナチュラルの双方を含む。
クラシック・ワイン
特定の産地において、長期間に渡って形成され、一般的にその産地の総体的個性として認知されたスタイルが、明確に現れているワイン。広く認知されることが重要であるため、そのスタイルは必ずしも恒常的なものでは無い。
認証は得ていないが、パーマカルチャーを基軸とした葡萄畑
ナチュラル・ワインとテロワール
極端な原理主義的ナチュラル・ワインが、テロワールの精緻な表現に至るケースは極めて稀である。特にワイルド・ナチュラルの多くは、可能な限り自然な栽培によって純化されていたはずのテロワールを、過度に生じた欠陥的特徴が多い尽くしてしまっている。ビオロジックやビオディナミで健康に育った葡萄は、ワインとなるために必要と考えられるほぼ全ての耐性を自然に備えているが、一つだけ致命的に耐性に欠けている部分がある。それは、稚拙で怠惰な醸造に対する耐性だ。「何もしない」という原理主義に造り手の稚拙さと怠惰さが迫るほど、葡萄の数少ない脆弱性は、限りなく自然のままであろうと願う造り手の想いとは裏腹に、深刻な欠陥を生じさせる。テロワールとは、放置すれば勝手に立ち現れてくれるような、生易しいものでは無いのだ。
そもそも、テロワールという要素に人は介在すべきではないという論理は、根本的に破綻している。自然は放置すれば、自然のままであり、何ものにも転化することはできない。「ただそこにあるだけ」、それが自然の本質だからだ。人が自然の中に葡萄畑という境界線を引き、葡萄品種を選んで葡萄樹を植え、様々な畑仕事を行い、収穫し、葡萄を破砕してワインにする。ワイン造りとは、そのどの段階においても、人無くしては成り立たない。行き過ぎた原理主義は、ワイン造りそのものを否定していると言っても過言では無い。
筆者はナチュラル・ワインの一部、もしくは大部分がテロワールを失している要因は、極端な放置型醸造による欠陥的特徴の過剰な現出だけでは無いとも考えている。もう一つの重大な要因は、ワイン文化の軽視にある。ここでいうワイン文化とは、何千年にも渡って磨き上げられてきた、テロワールを形作り、ワインとして表現するという文化のことである。
ワインは嗜好品だ。つまり必需品では決してない。少なからず自然を変形させ、農薬を過度に使用すれば生態系を破壊し、電気を使用して醸造し、ガラス瓶に詰め、温室効果ガスを排出しながら輸送する。地球規模の気候変動に歯止めがかからない中、ワイン造りという行為が自らを正当化していくためには、その場所に葡萄が植えられ、ワインとなることの価値を改めて見直していく必要がある。その価値とは、その場所に葡萄があったからこそ生まれた、絶対的な価値である。つまり、テロワールのことだ。
ナチュラル・ワインが原理主義に縛られている限り、テロワールの精緻な表現を放棄し続ける限り、その存在意義は緩やかに、だが確実に失われていくだろう。時代はすでに、あらゆる局面におけるサステイナブルな在り方を最重要視しているのだから。
だからこそ、人と自然が共生関係を築きつつ、ワイン文化の根幹たるテロワール表現を重視するクリーン・ナチュラルは、ワインそのものの未来を担っている。クリーン・ナチュラルはアンチカルチャー的に生じた新たなカテゴリーということでは無い。ワインという存在が、地球と、社会と、文化と共生していくための導き手なのだ。
完全に森と一体化した、自然のままの葡萄畑。このような極端な例も存在している。
クラシック・ワインとテロワール
全てのクラシック・ワインがテロワールを精緻に表現しているわけでは無い。特定のワインがクラシックな例として認められるには、ある程度纏まった範囲での総体的個性が認知される必要がある。そして、その全ての個性が、テロワール主導で作り上げられたものでは無い。クラシック・ワインの中には、人為的介入の範囲が非常に大きいものも多々存在しているため、介入を最小限に留めた際に大きく異なる味わいとなることも少なくない。例えば、ブルゴーニュのムルソーは、コート・ドールの白ワインの中でも際立って芳醇な味わいで知られてきたが、バトナージュと新樽を排したムルソーは、煌びやかなミネラルに満ちたワインとなり、一般的に認知されているムルソーのスタイルとは大きく異なる。カリフォルニアのシャルドネも、過熟と新樽を控えたら、シャブリのような味わいになるAVAもある。ニュージーランドのクラシックなソーヴィニヨン・ブランは、パッションフルーツや青草の香りの元となるチオール類を最大化させるために、栽培、醸造が最適化されている。
テロワールを真に表現するために、人為的介入は必須であるが、行き過ぎた介入もまた、テロワールを湾曲させてしまうのだ。
欠陥か個性か
欠陥的特徴を一括りにして善悪二元論で論じると、様々な語弊が生じる。正しい調和の中に存在していれば欠陥ではなく美点となるものもあれば、僅かな現出でも破棄の対象となるような深刻な欠陥まであるからだ。しかし、テロワールの純粋な表現という観点から見ると、欠陥的特徴の多くは醸造上のエラーであるため、僅かな現出でもテロワールを失する要因となり得る。
【ブレタノマイセス】
酵母菌の一種である腐敗酵母菌ブレタノマイセス(通称ブレット)は、葡萄畑や醸造所に潜んでいる。その繁殖力は強力で、支配的になった場合は、馬小屋臭とも表現される強烈な異臭を生じさせる。葡萄畑にも潜んでいることから、特にヨーロッパの伝統産地においては、調和の中にある少量のブレタノマイセスは、複雑なテロワールを形成する要素の一つとして考えられることも多い。その場合は、野性味やなめし革と言った好意的な表現が用いられる。フランスのシャトーヌフ・デュ・パプやラングドック・ルーションの様に、ブレタノマイセスの痕跡が当然の様に見受けられる産地は、実際に数多く存在している。ブレタノマイセスは亜硫酸の添加によって、容易に抑制することができる。
ブレタノマイセスが支配的になったワインに対して、瓶詰め後の決定的な対処法は存在しない。デキャンティング等の即効性を求める対処法は、非常に限定的な効果に留まる。リリース時には支配的であったブレタノマイセスも、5~10年程度の熟成によって、美点とも捉えることができる変化に至るケースがある。
【ネズミ臭】
発酵中、もしくは熟成中のワインが過剰に酸素にさらされたときに起こると考えられている、細菌汚染の一種。現時点での研究では、乳酸菌が主因である可能性が高いとされているが、酵母菌のブレタノマイセスとの関連を指摘する研究結果も報告されている。葡萄畑からではなく、醸造過程におけるエラーであることから、テロワールとの関連性は認められない。好気的環境や、ラッキングや瓶詰め等の液体の移動の際に発生してしまうことが多いとされている。海外では「ネズミ小屋」、「腐った牛乳」とも表現される強烈な異臭を放つため、テロワールを完全に破壊する最悪の欠陥的特徴とされている。日本においては、「マメ臭」という俗称が定着しており、原理主義的愛好家からは、深刻な欠陥と捉えられていないが、筆者は、ネズミ臭はブショネと同レベルどころか、むしろ明らかな人的エラーであるため、不可抗力的側面もあるブショネに比べると遥かに悪質な欠陥だと考えている。
ネズミ臭は通常のワインのpH値では揮発できないという特性があるため、香りからの検出は不可能とされているが、主因物質の一つとして特定されているアセチルピロリンという化合物は、ワインのpH値が高い状態の場合、僅かながら揮発し、だだちゃ豆やポップコーンを思わせる香気を発する可能性が指摘されている。また、アセチルテトラピリジンは、弱アルカリ性である人間の唾液との接触により中和された際に揮発する。なお、人の唾液のpH値は個人差が大きいため、軽度のネズミ臭は全ての人が感知できるわけではない。ネズミ臭は亜硫酸の添加によって、容易に抑制する事ができる。
ネズミ臭に侵されたワインは、基本的には抜栓後にネズミ臭がより強く顕在化していく。これはワインが酸素と接触することによって、徐々に酸度が下がっていくため、結果的にネズミ臭が容易に揮発できるレベルまでpH値が上昇するからだ。長期間の瓶熟成をした場合、抜栓後からネズミ臭が現出するまでの時間を遅延させることができる場合があるが、ワインの汚染レベルとpH値によって必要な熟成期間には大きな差が生じる上に、正確な予測を立てるのは不可能に近い。なお、完全に消失する可能性は極めて低いため、あくまでも発生の遅延であるという認識に留めておくべき。
抜栓後、かなりの時間を経てネズミ臭がほとんど消失するケースが稀にあるが、ワインそのものが劣化しない範囲内での消失は、非現実的である。これは抜栓後のワインが一旦は酸化によってpH値を上昇させた後、ワインの酸化のもう一つの作用である、空気中の酢酸菌がワインに含まれるエタノールを酢酸へと変える作用によって、再びpH値が降下することが原因だと推測される。
銅イオンはネズミ臭の影響を僅かに抑制することが可能であるが、ワインに銅を浸すことによって、銅イオンとワインに含まれる他の成分の結合も起こる得る為、非推奨。過度にネズミ臭が生じたワインに対する最も現実的な手段は、pH値を下げるために、強い酸性のもの(レモン果汁等)を料理に加える、もしくはより強い刺激(特にニンニクが効果的)のある味わいでマスクする、の二通りが考えられる。それでも難しい場合は、破棄するしかない。
【酸化】
ワインが酸素に過剰に晒された時に発生する。極めて頻繁に混同されているが、酸化は欠陥であるが、醸造上の酸化的特徴は欠陥では無い。酸化したワインは、強くローストしたナッツや醤油の様な香りを発し、果実味を大きく失うのに対し、酸化的特徴はフレッシュなナッツや林檎の蜜の様な香りとなり、果実味が失われない。欠陥としての酸化は、自然の酸化作用に耐えうるだけの酸、タンニン、フェノール類等が備わっていない葡萄を、不用意に亜硫酸無添加醸造した際に頻出する。完全に酸化したワインを復元する手法は現状存在していない。産膜酵母が自然発生する様な環境で酸化的特徴が生じた場合は、テロワールの一部として捉えることもできる。
【還元臭】
ワインが嫌気的環境に晒された時、及び発酵中のワインに窒素が欠貧した際に発生する。軽度の場合は、火打ち石の様な香りを発し、欠陥とはされず、クラシック・ワインの中にこの香りが出ているワインは多々存在している。重度の場合は、亜硫酸の揮発に由来する腐った卵を思わせる硫黄臭(白ワインで特に顕著)や、チオールに由来する焼けたゴムの様な強烈な香り(赤ワインとオレンジワインで特に顕著)が生じる。
デキャンティングやスワリング等の手段で、ワインを空気に触れさせると、不快臭を揮発させることも可能ではあるが、現実的な時間内で揮発するとは限らない。また熟成によって、還元的特徴が潜むことがあるが、逆により強まってしまうケースもあるため、確実な予測を立てた対処は非常に難しい。銅との接触によって還元の影響を抑制することができる場合もあるが、ネズミ香への対処と同様に、銅イオンと他の成分の結合も起こり、ワインを変質させてしまう可能性がある。還元臭は醸造過程において発生する欠陥であるため、テロワールとは関連性がない。
【揮発酸】
発酵が長期に渡った場合、好気的環境下におかれた場合等に発生し、支配的になると、除光液の様な鋭い香りとなる。最悪の場合はワインを酢に変えてしまうため、各国の原産地呼称制度で含有量が規制されているケースも多い。ワインに含まれる揮発酸の中でも、不快臭として欠陥扱いされることが多いのは、酢酸と酢酸エチル。実際には、ワインの香味を構成する重要な要素の1つであり、正しい調和の中で存在している場合は、梅、ラズベリー、パッションフルーツを思わせる香味をもたらし、ワインに複雑性を与える要素として、必ずしも欠陥として捉えられるわけではない。揮発酸はデキャンティングや瓶熟成等によってある程度緩和することは可能であるが、消失させるための決定的な対処法は知られていない。
ナチュラル・ワイン(特にワイルド・ナチュラル)には揮発酸含有量が高いワインが多く見受けられるが、揮発酸はあくまでも醸造時に生じたものであり、葡萄が自然にもつ酸では無い、つまりテロワールとの関連性はない。
【ローピネス】
ワインに強い粘性を伴った糸状の物質が生じる欠陥。ローピネスが生じた場合、ワイン自体も相当程度の粘性を伴う。発生は極めてレアではあるが、近年報告例が増えている。乳酸菌から生じた欠陥と考えられており、亜硫酸添加によって抑制できる可能性が指摘されている。味わいそのものには影響がほとんど無いが、質感が変異するため、明らかに正常ではなくなる。
過度の欠陥がもたらすもの
筆者自身は、ネズミ臭以外の欠陥的特徴に対しては、調和を破壊する強度のものでさえなければ、例えそれがテロワールを失するものであっても、相当程度寛容である。しかし、今回の論点はそこではない。ネズミ臭が発生したワインは即破棄する、という認識が広く一般化するのはおそらく不可避だ。そうなった場合、造り手がどれほど自然に対する敬愛をそこに込めようと、彼らのワイン造りは、「破棄=無駄」という無慈悲な現実の前に根底から否定されるだろう。無意味なワイン造りをいつまでも許容し続けられるほど、既に地球の自然環境には余裕が無いのだから、テロワールの表現という確かな価値の再評価を含めて、ワインは自らの存在意義を改めて問い直していく必要がある。
次章では、人為的介入に関してより深く考察していく。
<筆者プロフィール>
梁 世柱 / Seju Yang
La Mer Inc. CEO
1983年大阪生まれ。2003年にNYに移住後、様々なレストランにてソムリエとして研鑽を積む。
2011年starchefs.comよりRising Star NYC Sommelier Award受賞。
2012年Zagat SurveyよりZagat 30 under 30 NYC Sommelier Award受賞。
同年、Wine Enthusiast紙より、America’s 100 Best Wine Restaurant Award受賞。
世界最大のソムリエ激戦地での連続受賞は日本出身のソムリエとして唯一の快挙となった。
2012年に日本帰国後は、ミシュランガイド三ッ星店も含め、都内のレストランでシェフ・ソムリエを歴任。
2017年、オーストラリアにて開催されたSomms of the Worldに、World’s 50 Best Sommeliersの一員として招聘。
2018年、La Mer Inc.設立。代表取締役社長兼CEOに就任。
ワインジャーナリストとしてワイン専門誌に多数寄稿後、SommeTimesメインライター兼編集長に就任。