【コラム】南チロルの風:4
不安な気持ちと闘う
時は2000年4月、ミラノからブレッシアに向かう電車の中。
時間は夜の8時過ぎ、電車から見える町並はオレンジ色の街灯が連なっているものの景色も雰囲気も暗く、マサ少年は座席にも座らずコンパートメント横の廊下でスーツケースにもたれていました。
以前に2回ほど行ったことのある場所だったのですが、今回ほど心細く思ったのは、小さい頃連れて行かされたスイミングスクールの初日以来でした。
通常ミラノ–ブレッシア間は特急列車を使うと1時間弱で到着するはずなのですが、何も知らず各駅停車に乗ってしまい1時間経っても着かない不安な気持ちも相重なって、電車の端で小さくなっていたことを思い出します。
ようやく着いたブレッシアの駅前で早速目に留まったのは、現地に住んでいるアジア人たちの口喧嘩模様。
明らかにイタリア人より外国人の方が行き交っている様子でした。
僕の不安に拍車をかけた光景だったことは言うまでもありません。
その場から逃れるために足早にタクシーに乗り込み、お世話になるレストランへ向かいました。
その名もミラモンティ・ラルトロ。
当時そのレストランには日本人のコックさんが何人か働いていると聞いていたのですが、着いてみると誰一人いなく日本語も英語も通じないイタリア語のみの環境でした。
唯一英語を話すベルギー人のコックさんが荷物運びを手伝ってくれて、「ここで寝ろと」言われたのは彼と同じ部屋で廊下側の小さなベットでした。
外国人とルームメイト、言葉のわからない環境、当時の山下少年の心境は「期待<不安」でした。
「明日10時に来いと言われたけど・・・・」
逃げたくなる気持ちを抑えつつその日は横になりました。
イタリアの町場レストランのカルチャーショック
翌日、10時に出勤するとイタリア人のコックさん達が黙々と仕込みをしています。
カメリエーレのおじさん上司ウンベルト氏に指示を仰ぎ、荷物を更衣室に置かせてもらい、制服に着替えて、レストランへ向かいました。
そうすると、みんなが笑うのです。
「こんなに早く制服に着替えるもんじゃない」
そういうイタリア人達は私服のまま掃除やセッティングなどを行い、ご飯を食べて営業が始まる前に制服に着替えるのです。
日本のホテルではウンベルトのような年輩のサービスマンがジーパンをはいて掃除をしたりグラスを磨いたりする光景など見ませんし、想像もしなかった状況にはじめのカルチャーショックを覚えました。
このミラモンティ・ラルトロは、マウロ・ピッシーニ氏というオーナーと、妹のダニエラが兄妹でホールサービスを担当しています。
料理長はダニエラの旦那さんでフランス人のフィリップ・レヴィーユ氏が腕を振るうブレッシア料理とフランス料理の融合した創作料理。
正直、ちょっと重たい料理でしたが、当時ミシュラン1つ星のレストランの味は本当においしいお皿ばかりです。
このレストランの見所は、1200種類以上あるワインリストと、4台の大きなキャリーで運ばれてくるチーズのワゴンサービスです。
チーズがお好きな方は、本当にたまらないチーズのセレクトぶりです。
それだけレストランのチーズサービスに対するこだわりがあったのだと思います。
実際、研修生のマサ少年はそのチーズワゴンサービスを1回しかやらせてもらえませんでした。
今回はここまで。次回はいよいよ初日のレストランの舞台へ。
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