「辛い時はいつでも連絡してね」は、言った側の免罪符にしかなり得ない。
これ(タイトル)は言い過ぎだろうか。
もしかしたら、「辛い時はいつでも言ってね」という言葉は、言われた側にとって心の中にしまっておけるちいさなお守りにはなり得るのかもしれない。
ただ、そのお守りの中を覗く時は一生訪れない.....
だって「辛い時」とか「何かあった時」に、そう気軽に頼れるタイプの人間じゃないからこそ悩んでるわけであって、しかも言った側にその悩みを徹頭徹尾背負いこむ覚悟があるとも限らない。(実際はないことが多いように思う。)
先日、私はどうしても救いたいAさんに対して「何かあったらいつでも連絡してね」というメッセージを送った。Aさんからは「うん、ありがとう」と来た。
なぜかずっと心はモヤモヤしたままだった。
今日、母もAさんと連絡をとっていることが発覚した。母はAさんに「毎日あなたの状況を報告してください。」と連絡していて、報告に対して「報告してくれてありがとう、助かります。」と返信していた。
私は自分の薄情さを恥ずかしく思った。母の手法にはあたたかさと切実さが溢れていた。
母の手法の巧みさを分析してみる。
まず、なかば強制的にAさんが自分の気持ちを吐き出す場所を作ってあげているということ。
気持ちを吐き出すという行為は、やっぱり1番重要な行為だ。ただ、気持ちを吐き出す場所を自発的には見つけられない人もいる。
母は、Aさんに「毎日報告する」という使命を与えることで、主観をもって全身で目の前のことを受け止めようとしてしまうAさんの中に、客観が入る余地をつくってあげている。使命があると、謎の義務感が心を少し楽にするかもしれない。
また、母は「Aさんを守りたいから」ではなく「Aさんを心配してると母自身が苦しいから」という理由で、Aさんに報告を頼んでいる。
そのため、Aさんは「母に助けてもらってる」というより「母の役に立っている」という感覚のまま自分の想いを吐き出すことができる。
なんとうまいやり方だろうか。ほんとに、実践的に助けられる方法があるのか、と度肝を抜かれた。
今後私の目の前に、どうしようもなく助けたい人が現れたときに、きっと私はもう「辛い時は連絡してね」とは言わない。
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