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日々過ぎていく

 夏目漱石の作品が好きで、よく読んできた。中でも、次に引用する『硝子戸の中』は、朗読カセットブック(のちにCD盤も)まで、購入して愛読、愛聴するほどの作品だ。

すべてこれらの人の心の奥には、私の知らない、また自分達さえ気のつかない、継続中のものがいくらでも潜んでいるのではなかろうか。もし彼らの胸に響くような大きな音で、それが一度に破裂したら、彼らははたしてどう思うだろう。彼らの記憶はその時もはや彼らに向って何物をも語らないだろう。過去の自覚はとくに消えてしまっているだろう。今と昔とまたその昔の間に何らの因果を認める事のできない彼らは、そういう結果に陥おちいった時、何と自分を解釈して見る気だろう。所詮我々は自分で夢の間に製造した爆裂弾を、思い思いに抱きながら、一人残らず、死という遠い所へ、談笑しつつ歩いて行くのではなかろうか。ただどんなものを抱いているのか、他も知らず自分も知らないので、仕合せなんだろう。

『硝子戸の中』三十 夏目漱石

 ここは、漱石が、彼の持病について、他人から容態を訊ねられたことから、思索したことの抜粋である。読者の自分には、太字の部分が、ものすごく心に響いた。朗読版の日下武史さんの渋い声で、今でも、いつでも、思い出すことが出来るほどである。

 誰もが、必ずいつか死ぬ。それを知って、ものすごく怖くなった小学生の時、誰もが、みんなそうなんだと気づいて、妙に安心した時、今60代半ばに差し掛かる自分は、49歳で亡くなった彼の達観に驚く。平均寿命が短いからこそ、早く悟るのだろうか。青空文庫で、ネットに繋がれば、すぐに再読できる幸せを感じながら。

余談 青空文庫は、ルビまで振ってくれているので、漱石の当て字の漢字の誤用も面白い。

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