noteを始めて、55日間毎日連続で投稿してきました。で、昨日で連続投稿を一旦止めました。
余白を持とうと思ったんです。
noteの投稿を連続55日間やってみてすごーーーくよかったです。
noteの投稿をやってみて
文章を書くことが好きなんだと気づいた
先ず、自分が文章を書くことが意外に好きであることがわかりました。
学生時代は作文・レポート・小論文や卒業論文などを書く機会がありましたが、好きだと思ったことはありませんでした。やらなきゃならないことだったからかもしれません。
今は日記や、気づきなどを手帳やノートに書いています。でもそれは、短い文章や箇条書きだし、他の誰かに読まれる前提ではないので、ハードルはかなり低いです。
noteへの投稿は、少なくても1000文字以上、多い時は2500文字くらい書いたかな。ある程度の文字数だし、他の人に読んでもらう前提なので、けっこう頭も使いました。
自分の仕事が終わってから取り掛かるので、夜中の2時半頃までnoteを書いている日も少なくありませんでした。寝不足の日々。
大変でしたが、それでも全く嫌じゃなかったんです。不思議と。
私はずっと【話すこと】のほうが好きだと思っていたのですが、意外に【書くこと】のほうが好きなのかもと思えた経験でした。
文章を書くのにかかる時間や労力がわかった
55日間という長くはない期間でしたが毎日やったので、『このくらいの量の文章を書くには、このくらいまとまった時間が必要でこのくらいの集中力がいる』というのを体感できました。
文章の内容や書き方がうまくなったかどうかはわかりません。でも、どのくらいのパワーが必要か(どのくらいのパワーが奪われるのか)がわかったので、自分の取り組み方がわかりました。
日本語教師になりたての時も同じような体験をしました。右も左もわからず、そこにある仕事を毎日頑張ってやる、ただただ前に進むだけでした。
420時間の日本語教師養成講座は修了していたので、台湾の日本語学校に入ったら即戦力となって授業を任されました。実際は何もできないんですけどね。
毎日朝から晩まで、様々なレベルのクラスの授業をし、それと同時に教案を一つずつ作っていく。それを月曜日から土曜日までみっちり。時には日曜日まで個人レッスンや会社への派遣があったり。
2年間という短い時間でしたが、あの集中力をもって毎日取り組んでいたので、飛躍的に力がついたんです。あの2年間があったから、今があるとさえ思っています。
今回のnoteへの投稿も1日目から55日目まで、集中力を切らさずに取り組んだことにより、見えたことが多かったです。
頭の中が枯渇した
アウトプットが多すぎて、インプットが間に合わなくなりました。
私は読書が大好きです。仕事・家事・子どもとの時間メインが3つ。その他細々したことがたくさん。それにnoteが加わり、毎日文章を考えたり書く時間が2時間くらい。そうすると、読書の時間がかなり減ってしまったんです。
読書は私にとってインプットや学びでもあるし、気分転換の時間でもあります。その時間が限られてしまったことで、アウトプットする内容を生み出しづらくなりました。
好きなことでもやり過ぎず、余白を持とう
で、結論。
読書をたくさんしたり、他の勉強をしたりしてインプットを増やしていたとします。でも、 【余白】がなかったら、頭の中がごちゃごちゃのまま。
それは机の引き出しに、とにかくペンやら付箋やらクリップやらをどんどん投げ入れている状態と同じ。モノだらけで下が見えない。
そこに余白があったら、ポっと新たなアイディアや書きたいことが頭に湧いて出てくることがあります。
よく言いますよね、子どもにとってぼーっとする時間が大切って。
学校から帰ってきて、習い事に行ったりオンラインでレッスンを受けたり。テレビゲームやったりYouTube見たり。一つ終わったらすぐ次。
私もたまに「早く○○やっちゃいなさい。」って急かしちゃう。だって何もやってないって時間を無駄にしてるように見えちゃうから。
だけど、その【何もしていない】という余白が本当に大事。その余白で、頭を整理したり、何かに気づいたり思い出したりできるんです。
大人でも、トイレに入ってる時とか、シャワー中とか、外を眺めている時とか、そんな時に「これ書きたい!」って思えることが突然どこからか湧いてくる、そんなことありますよね。
だから、好きなことにちゃんと向き合うために、余白を持ちたいと思います。
余白があれば、そこから湧き水が染み出してくるんです。
また明日余白を作って、明後日noteに投稿します。
染