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インタビュー【絣産地の女たち2020】 vol.02末續日富美さん(AIGOTO)・前編

《織元の娘としてできること》

藍染め作家の末續日富美さんは、「AIGOTO」のブランドで藍染めの洋服や小物などの作品を製作しています。
藍染め手織りの久留米絣織元である「緒方絣工房」の娘として生まれ育った末續さんに、ご自身の藍染め製作や、ご両親の作る久留米絣への思いをたっぷり伺いました。

【プロフィール】
末續日富美さん(AIGOTO)
1973年生まれ。緒方絣工房の長女として生まれる。
結婚後、3人の子育てをしながら藍染め作家として活動中。


末續さんと初めてお会いしたのは、久留米絣のイベント会場でした。
反物や久留米絣の洋服が並ぶブースがほとんどの中で、藍染めのロングカーディガンやTシャツなど、おしゃれでシンプルな「AIGOTO」の作品を見かけて興味を引かれ、ブースに立っていた女性に声をかけたのがきっかけです。それが末續さんでした。
久留米絣の着物をすらりと着こなしている末續さんは、話してみるととても気さくで明るく、そして絣や藍染めへの強い愛情を持っている人でした。

●「AIGOTO」について

――末續さんのブランド「AIGOTO」を始めようと思ったきっかけを教えてください。

本格的に藍染めをやってみたいと思い始めたのは、結婚した後ぐらいからですね。
子供の頃から縫物をしたり、ものを作ることは好きでした。インテリアや洋服に興味があって。藍染め手織りの久留米絣織元の家に生まれ育って、両親がすごいものを作っているというのは何となくわかってはいたんですが、うちはそれが当たり前の環境だったから、若い頃は自分で藍染めをやってみようという気持ちは特にありませんでしたね。365日忙しく仕事をしている母を身近で見ていたので、大変な仕事だ、という印象の方が強かったです。

就職した後、工房が参加するイベントの手伝いなどをしていくうちに、もともともの作りが好きなこともあって、徐々に久留米絣や藍染めに興味を持ち始めました。でも、仕事をしながら30工程ある絣の制作を覚えていくというのは実際のところ難しくて。

結婚を機に仕事を辞めましたが、夫の転勤で何度も引っ越しがあり、子供も小さかったので子育ても忙しくて、藍染めをしたくてもなかなか集中して制作する時間は作れませんでした。
そんな中でも、自宅で生地の絞りの作業をしておいて、長めに帰省できる時に子供たちを親に見てもらいながら実家で藍染めをして作品を作っていました。製作した作品は、久留米市で開催される「藍・愛・で会いフェスティバル」や筑後市の工房が行う「絣の里巡りin 筑後」などの久留米絣のイベントに出して販売していました。

13年ほど前に夫の転勤で久留米に戻ってくることができて、その頃ぐらいから本格的に藍染めを始めたんですよね。当時、2人いた子供を、思い切って保育園に預けて。
もの作りをやりたいということはもちろん、子育てだけに没頭するのではなくて、藍染めを通して自分を表現したり、世間とつながりを持ちたいという気持ちも強かったんです。

自分の実家で制作できるので、子育てはしやすかったですね。例えば子どもが病気になった時や、何か行事が入った時にもサポートしてもらえたので。
主人の実家も協力的で、展示会やイベントの時は主人のご両親が子供たちを預かってくださったりして、私の活動をサポートしていただけたのですごくやりやすかったです。
ただそれでも、子供たちが小さい頃のことは記憶がないぐらい忙しかったので、本当にしっかり製作し始めたのは、ここ4、5年ですね。

初めて「AIGOTO」の名前で展示会をしたのは、10年ぐらい前です。3人目の子供が生まれて半年ぐらいの時に、お母さんたち何人かでギャラリーを借りてイベントをすることになって。出展するために何か名前を考えないと、ということになり「AIGOTO」と付けたのが始まりです。そこから少しずつイベントの出展の話などが来るようになりました。

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――「AIGOTO」では、主にTシャツやワンピースなどの製品染めの藍染め作品を制作されていますね。柄や服のパターンなどはご自身のデザインですか?

専門的に勉強したことはないのですが、柄を作る絞りのデザインはほぼ自己流です。洋服のパターンは、一緒に服を作ってくださる縫製の方と相談したり、自分が好きな形をイメージしたりして決めています。藍染めの柄や色を見てもらいたいので、どちらかというと割とシンプルなデザインが多いですね。

藍染めはどうしてもちょっと「古いもの」というイメージがありますよね。自分の同世代の人たちや、若い人に「あ、こういうデザインも藍染めなんだ」って、受け入れてもらえるようなものを作りたかったんです。
あとは子供服ですね。自分の子供に着せた時に、周りから「藍染めっぽくないね」と言われるような、これまでのイメージとは違う可愛い藍染めの子供服を作ろうと思って。

〈藍染めについて〉
藍染めは、タデ藍の葉に含まれるインディゴの染料成分によって糸や布を染色する方法です。久留米絣と言えば藍染め、のイメージを持っている方も多いと思いますが、久留米絣が作られるようになった200年前から現代まで産地で使われ続けてきた、大切な染料のひとつです。
インディゴの成分は水に溶けません。藍で綿の生地や糸を染色するためには、すくも(藍の葉を3か月かけて発酵させたもの)と水と養分を混ぜ合わせた液を作り、微生物の力でインディゴの成分を還元させる「発酵建て」という伝統的な手法を用います。

藍染め染色に携わる方はどの人も「藍は生き物だ」と言います。気温や湿度や養分など様々な条件で日々状態が変わっていく繊細な藍液の調子を経験や感覚を総動員して整えながら、あのあざやかな藍色の染めが行われているのです。

参考文献:
『地域資源を活かす 生活工芸双書 藍』
(吉原 均・山崎 和樹・新居 修・川人 美洋子・楮 覚郎・宇山 孝人・川西 和男 /著、農山漁村文化協会 /発行、2019年)

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――藍染めの大変なところ、楽しいところを教えてください。

私が藍染めを始めた頃は父がまだ元気だったので、藍建てのやり方は父と母の両方から教わりました。本格的に製作を始めるようになったころにはもう、父が体調を崩していたので、母から習いつつ、相談しつつですね。
藍の調子を見ることと体力的なことが一番大変かな。生地は濡れると重くなるので、それを手作業で絞るのが重労働です。
うちの工房は設備が整ってないんです。冷暖房が一切ないので、夏は暑く冬は寒い。その環境で作業して、体力がいつまでもつかという不安もありますね。

藍建てには、徳島のすくもを使っています。天然の素材にこだわると、その分、手間も時間もコストもかかります。そのバランスをどこまで取るのか、ポイントをどこに置くのかも本当に難しいですね。

楽しいのは柄を開く時です。染めた柄を解いて水にさらしてみるのは、すごくワクワクしますね。わぁ、こんな柄ができたんだ、って。青と白のグラデーションに綺麗に染まったのを見て、ひとりで喜んでます。失敗する時もありますけどね、最後の最後で(笑)。

――販売についてはどう考えていますか?

そうですね、やっぱり自分の商品を気に入ってくださってずっと買ってくださる方にお会いできることや、気持ちよかったよとか、AIGOTOさんの作品が好きなのよ、とか言っていただけるのは、本当に嬉しいですね。
実はあまり接客が得意じゃないんですよ。でも、お客様と直接お話しできるのは楽しいです。
本当のところは、やっぱリ黙々と染めている時が一番楽しいんです。あとは、こんな作品を作ろうとか、今度あんなの作ってみたいな、とか考えている時。大変だけど、自分で思った以上の作品ができた時は、すごく嬉しいですね。

――次の作品のアイディアはどんなところから来るんですか?

Instagramを見ている時や、出先で雑貨屋さんを見て回ったりしている時ですね。今までになかったような組み合わせを考えてみるのが好きなんですよ。

――筑後市で生産されたガーゼを使った作品も製作されていますよね。どんなきっかけで始められたのですか?

きっかけになったのは、biblioticさんという、八女市の土橋市場にあったお店です。そこで筑後市の平田織布工場さんのガーゼのハンカチを取り扱っていたんですよ。
私はその頃、藍染体験をやってみたいと思っていて、同じ筑後市でコラボのような形で出来たら、という話をbiblioticの店長さんに相談したんです。それで、その店長さんが間にきちんと入ってくださって、AIGOTO GAUZEというラインを立ち上げることにつながりました。

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●久留米絣織元の娘

――織元の家に生まれ育った末續さんにとって、久留米絣は身近な存在だったと思いますが、子供の頃の思い出などを教えてください。

亡くなった父が元気だったころは、父が主に藍染をして、母がデザイン、下絵、織り、縫製などやその他の細かい仕事をしていました。もう一人、やはりもう亡くなった叔母が管巻きや糸張りやその他の雑用などを母と分担してやっていました。

子供の頃の私にとっては、父はずっと染め場にいるイメージでしたね。糸を藍染めして、絞って、叩いてという繰り返しの作業で全身に藍を浴びるから、いつも藍染めの特有のにおいがしていたのが印象に残っています。夏場は額から汗をぽとぽと流しながら、一所懸命糸を絞っていました。母も毎日作業をしたり、ミシンをかけたり、織り場にいたりという感じでずっと仕事をしていました

家族のほかには、近所のおばちゃんたちが織り子さんとして通ってきてくれてました。うちの工房は3時のおやつの時間があるんですよ。ちっちゃい頃は、そのおやつの時間に工場に行って、おばちゃんたちと一緒にお菓子を食べたりしてましたね。

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母の緒方早雪さんは、今も織りや縫製の仕事を続けている。

糸の精錬と括りだけが外注で、それ以外の作業は全て家族でしていましたよ。
絣の制作は30工程あるので、とても1人で全部の工程をまかなうことはできないんです。それぞれの工程に人がいないと作ることができない
うちの工房で言えば、おばが細かい作業をしてくれて、括りの職人さんや、織り子さんたちがそれぞれの仕事を請け負ってくれて、初めて絣を作ることができるんです。そうやって成り立っている仕事なんだということを、子供の頃からずっと感じていました。だからこそ藍染め手織りの絣の良さを、たくさんの人に知っていただきたいと思っているんです。

後編では、末續さんが力を入れている情報発信のこと、着物のことについてお話しいただきます。どうぞご期待ください! (文責:冨永)

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