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親孝行は自分のために
私は親と色々あり、あまりいい感情を抱いていない。
縁を切りたいと思ったことは一度や二度ではない。
でもできなかった。
どこかで、親に愛されたい気持ちが消えなかった。
期待しては裏切られ、期待しては裏切られ、その繰り返しでここまできた。
母親とはこうあるべき、父親とはこうあるべき、なんでそうしてくれないんだ、なんで私にだけそうなんだ、という感情に苦しめられた。
母親といえど、父親といえど、私とは別人格であり、1人の人間。私の母親像、父親像を当てはめるのは違うんだ、と考えられるようになったのはごくごく最近のことだ。
だから私は距離を置くことにした。
物理的にも、心理的にも。
そうすることで、彼らは私の親ではなく一個人であるということを意識するようにした。
すると、憎しみに満ちていた心は比較的穏やかになった。
過去にされた仕打ちも、浴びせられた言葉や暴力も、自分に向けられた刃としてではなく、過去の一つの出来事として考えられるようになった。
そんな時、親に癌がみつかった。
親が死ぬのかもしれない、そんな恐怖と、後悔したくないという思いが巡った。
そして青木さやかさんのコラムを思い出した。
青木さやかさんも、親が嫌いで、親との確執に悩んだ人生だったそう。でも信頼できる人に、親と仲良くするのは自分のためだと諭され、晩年は関係修復のため色々な努力をしたとあった。
「親と仲良くするのは自分のため」
この言葉が、私と親との関わりを見直すきっかけになった。
親を憎んだまま、恨んだまま生きるのはとても辛い。
親が生きているうちは、愛されなかったことに執着して憎み続け、親が亡くなった後は、確かにあった愛された記憶を集めながら何もできなかった後悔に苛まれる。
そんな人生は送りたくない。
でも今さら、無条件に親と仲良くすることはできない。
今までされたことを、全て許すことはできない。
だからせめて、頼まれたことはやる。もちろん、できる範囲で。
見返りを求めず、何を言われても、嫌な気持ちになったとしても、これは自分のためだと言い聞かせながら。
そうすると、自分も救われる。
親からの頼み事を受け、面倒ながらも病室に届け物をした帰りに、そんなことを思った。