ポップソングの危険性と音楽美学 その2
はい、前回は、ポップソングをバラと言ってみたり、結果的集団志向と言ってみたりと、皆さんを混乱させたかと思いますが、
前回の記事を軽くまとめます。
ポップソングは人気の結果論
↓
市場の維持のための類型化
↓
作為性の欠如
こんな感じです。
前回の内容は「ポップソングとは?」という内的な考察をし、作り手目線での危険性を書きました。
今回は、見方として聞き手目線かつポップソングの属性に注目し、それがなぜ危険性に繋がるのか客観的データを交えて考察していきます。
では、まず、現在の音楽市場の現状をグローバルに見ていきましょう。
IFPI(国際レコード産業連盟)によると、2021年の国別音楽市場ランキングは次の通りです。
1位アメリカ
2位日本
3位イギリス
4位ドイツ
5位フランス
6位中国
7位韓国
8位カナダ
9位オーストラリア
10位イタリア
アーティスト別の売り上げでは
1位BTS Kpop
2位Taylor Swift pop
3位Adele pop
4位Drake rap/hip-hop
5位Ed Sheeran pop
6位The Weeknd R&B/soul
7位Billie Eilish alternative
8位Justin Bieber pop
9位SEVENTEEN Kpop アイドルポップ
10位Olivia Rodrigo pop
一応、各アーティストのApple Musicに書かれたジャンルをざっくりと並べてみたのですが、皆さんは違和感を感じませんか?
(Apple Musicではアルバムごとにジャンル分けされている。)
それは
「日本が音楽市場では2位なのに日本のアーティストがいねぇぞ…!」
とかじゃなくて
popという括りです。
ランキング上位ってことはどのアーティストも人気であり大衆受けがいい(pop)ということですよね?
なのに、なぜ抽象的なpopとR&B、hip-hopというある程度具体的なジャンルが並列しているのか。
逆に考えると、5位のエド・シーランの曲は、エレクトロニック、またはR&B、hip-hopなどでも良いはずです。
「いやいや、そんなん見方の問題でしょう。その人がヒップホップって思えばそれで良いじゃない。」
確かにそうですね、ジャンルなんて個人の解釈に任せて、何でもいいか。
と言ってもいいのですが、
言いません。
先ほどのエド・シーランの例からわかることは、前回の記事で定義した結果的集団志向としてのポップ以外に、多様なジャンルの括りとしてのポップがあることがわかります。
具体的に言いますと
エド・シーランはR&B、hip-hopなり多様なジャンルの曲を作っています。
それゆえ、一々ジャンルごとに載せていくのは面倒なので、抽象的な括りであるポップで統一しようということです。
これは一見、わかりやすい表現に見えがちですが、ポップという括りが抽象的であるがゆえ、聞き手がポップをポップのまま認識してしまうと、具体的な音楽への探究の阻害に繋がります。
「ああ、この音楽はポップか、
あ、これもポップだ。
ポップって何だろう?(ググる)
ん?人気?ポピュラー?
じゃあ流行ってるやつは全部ポップか!」
となってしまうかもしれません。
私は言語には2種類の用途があると思っていて、
1つは意味、もう1つはイメージです。
つまり、後者はその言語の使われ方が、言語の意味として認識される。
ポップは後者のイメージに特化した言葉だと思います。
わかりやすそうなものほど中身がなかったりします。(それが悪いことは言いませんが)
さらに、ポップは、人気や大衆という音楽の外側にあるものを括ったメタ的なジャンルです。
(オルタナティブなんかもこれにあたります。)
それは、
「なんかわからんけど、楽しそう、良さそう、面白そう。」
と言ったような、浅い聴衆を増やすことに繋がります。
もちろん、誰しも最初から深い探求ができるわけはなく、浅いとこから始まるとは思うのですが、問題は多くの人がずっと浅いとこに留まっており、そこに安住することです。
整理します。
ポップ
↓
結果的集団志向/多様性/イメージ/メタカテゴリー
じゃあどうすればいいのか?
Apple Musicにしろ、Spotifyにしろ音楽サービス、音楽メディアは、アーティストやアルバムについての簡素な説明に留まらず、コード、リズム、楽器等、音楽性についての記述を追加してもいいのではと個人的に思います。
要は、「何となく音楽が好き」という人のための入口を作ってあげてもいいんじゃね?
ということです。
前回は、ポップの定義
今回は、属性としてのポップ
ここで終わってもいいのですが、ポップソングのコード進行等にも書きたくなってきたので、
次回は『その3 実体としてのポップ』ということで書きたいと思います。
今回の記事は尖度が増していますが、
ポップソングが音楽産業を支えていることは事実で、音楽を享受する者は、反ポップスだろうと、その恩恵を認識する必要はあると思います。
しかし、私が言いたいのは
皆が浅瀬のビーチで遊んでいるが、沖まで出てマグロを獲ろうとする人がもう少しいてもいいのではないか。
そのために、漁業組合が沖に出る魅力を伝えていく必要がある。
ということです。
ちなみに私はサーモン派ですかね。
(余談ですが、今回の記事の見出し絵は私が描きました。別に褒めても褒めなくてもいいんですよ。)
次回に続きます。