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メタ音楽評論/小難しい音楽評論と映画評論

まず、メタ音楽評論とは、音楽評論を評論するといった意味合いで私が勝手につけた名前のため、そういったコンテンツが確立しているわけではありません。

なぜ、評論について考えようかと思ったのかと言いますと、
近頃、アルバムレビューなんかを見ていて、
「なんか小難しい、割に想像しづらい。」
とか思ったからです。 

そんな性格が悪りぃコーナーですけど、レビュアーを馬鹿にするものではないのでレビューする人もしない人も暇だったら見てください。

頻出評論ワード/登竜門としての評論ワード

「洗練された音」
「高揚感」
「浮遊感」
「疾走感」
「空間性」
「幻想的」
「爽やか」
「最高峰」
「新境地」
「ソリッド」
「ノイジー」
「メロウ」
「トリップ」
「エネルギッシュ」
「サイケデリア」
「ノスタルジア」
「シューゲイザー」

この中には私自身使っている言葉もありますが、客観的に見た時、
正直、わかるちゃあわかるけど、ある程度の前提知識が必要。
ということです。
例えば、「浮遊感」。
洋楽だとMy Bloody Valentine
邦楽だとスーパーカー(スリーアウトチェンジの頃)あたりのバンドにこの言葉が適していると思います。
重々しいシューゲイザーのエフェクトの上に、細く優しい声が乗っている。
確かに、エフェクトの海に溺れず、その上を漂う感じは、まさに浮遊感であり、適した言葉だと思います。
ただ、まあまあ音楽が好き、といった一般ピーポーにパッと伝わる表現ではないですよね。
もしかすると、これは
「ググレカス」
という暗示であり音楽マニアへの登竜門なのかもしれません。
そういった視点で見ると、映画評論と比べ、音楽評論は少し敷居が高いのかもしれません。(映画評論との比較は下に詳しく書きます。)



構成/文脈の必要性

構成を見てみましょう。
多いのは、最初に、カルチャー、歴史、レーベルなどバックグラウンドの説明、そして、アルバム、個々の曲へと。広い視点から狭く具体的な視点に。
例えば
「彼女は〇〇年生まれで、〇〇出身で〇〇を受賞、〇〇レーベルからリリースされたこのアルバムは、〇〇カルチャーのエッセンスを大いに含んでおり、〇〇年代の〇〇を完全に再現している。また、グルービーかつ1音1音が限りなく洗練されており、〇〇の最高峰と言っても過言ではないだろう。」

うーん、なんかまどろっこしいんですよね。
「エッセンス」の使い方違うし、それなら「要素」でいいんジャネ。
とか思っちゃいます。
他にも、何々生まれ、何々出身とかは、何々レーベルとかのバックグラウンドは読み手が気になったらwikiなり何なりで調べると思うので(wikiに載ってないようなマイナーなアーティストなら話は別ですが)、バックグラウンドは別枠でアルバムレビューは簡素に曲についての説明だけでいいのでは?と思う人もいるかと思います。

ただ、擁護的な意見も述べますと、音楽を語るにおいて文脈は欠かせないということも言えます。
「音楽を楽しむことはどういうこった?」
という広い視点で見て、
「知らんがな、好きな曲聴ければいい。」
という意見もあれば
「文化やジャンルから、相互的に楽しむ。」
の様な意見もあります。
私も、ジャンルについての記事を書いてるので後者に値しますが、
どのような繋がりを持っているのかという歴史的、文化的側面を
楽しむ、すなわち音楽の特性を抽出し、より大きいもの、広い視点と関連づけるということです。
これは前者が「感じて楽しむ音楽」後者が「考えて楽しむ音楽」ともとれるでしょう。
先ほど
”アルバムレビューなら簡素に曲についての説明だけでいいのでは?”
と書きましたが、
では、歴史や文化に頼らず、「曲自体を説明すること」について考えてみます。

「感じる」と「考える」/音楽と映画の違い

「感じる」と「考える」。

それでは、音楽と映画の違いを参照して、これを見ていきます。
まず、ざっくり言いますと
映画は「考える」いわゆる考察に向いていて、音楽は感じるものなので、考察しづらいんです。
具体的に言いますと、
映画は「〇〇が〇〇なので、この描写は〇〇を意味しているのだろう。」
というロジカルな思考ができますが、
音楽で「この音は川の流れを再現しているのだろう。」
と言ったとこで正解に近づけないからどうしようもないのです。
映画でも、それが言えると思うかもしれませんが、
映画は、日常という共通認識の元に成り立っているため、映像の中のキャラクターの動作や感情が自らの生活を参照して、意味があるものだと理解することができる。
よって、謎を描くことができ、正解に近づくこともできます。(少なくとも論理的考察ができるため、その過程を楽しむことできる。)
しかし、音楽は曲において音という実体があるのみで、そこに意味を持たせることは難しいのです。
勿論、「トライトーンは悪魔の音だ。」の様な音の個別性に基づく意味づけはあるのですが、それが日常に浸透しているものではないため、共通認識として意味を持たせることは難しい。
ゆえに、音楽で考察をするには、歌詞、文化、歴史など一歩離れた視点で見る必要があり、音自体への言及は限度があるということ。

こう見ると、音楽は音自体への考察という点で、共有できる様な判断材料が乏しく、そもそも評論、言語化に向いていない気もします。

ちょっと疲れたので映画のレビューでも見てみましょうか。

映画評論/評論におけるイメージ

関係ないのですが、私は映画が好きです。(特にホラー)
近々、映画についての記事も書くつもりなので興味にある方は楽しみにしててください。
はい。

では、私が最近見た映画(数回目ですが)でキューブリック監督の『2001年宇宙の旅』のレビューを見てみましょう。

高評価のレビュー例
「SFの金字塔。美しく青きドナウの音楽と壮大な映像が美しい。」

低評価のレビュー例
「好き嫌いが分かれる。退屈。」

1000文字以上書いてる方も多くいましたが、それは取り上げづらいので簡素にまとめられたレビューを選びました。
とりあえず、わかったことは映画レビューは良くも悪くも分かりやすい。

先ほどの”共通認識”を掘り下げますと
いわば、イメージが湧くか、否か。ということ。
SFと言った時、大体の人が宇宙や未来をイメージできると思います。
少なくとも、サイケデリックやオルタナティブよりは一般的な用語ですよね。
それゆえ、価値観が共有しやすく、
「この映画、面白そうだから見てみよう。」
ということになると思います。
一方、
「この曲は、サイケデリックでボヤけた音像が独特の陶酔感を引き起こし、その中に浮かぶメロウかつ妖艶なコーラスが陰鬱な闇の中に僅かな光を感じさせる。」

イメージ湧きますか?
まあ、なんとなくはイメージできるかもしれませんが、
映画ほどではないことと、最初にも書いた通り
用語の理解と音楽経験
などの前提知識が必要であるということ。

中には、非常に文学的な美しいレビューを書いてる方もいます。
そう言った文章を書くのが苦手な自分からしてリスペクトしかないですが、
正直、「分かりにくい。聴いた方が早い。」
と思う自分もいるのです。

ちなみに、『2001年宇宙の旅』で使用されている「美しく青きドナウ」。


まとめ

簡素にまとめますと、
音楽評論は、音のみに言及することは難しく、歴史や文化などの文脈に依存することが多い。また、音に言及するにしても、用語が限られており、評論というよりは感性の表現として文学に近い。

映画だと、「つまんない。」とか言えますけど、音楽に関しては「何がつまらないか。」を判断するためにも、一つ上の階層に立ち歴史や文化に触れ、やっと考察ができると言った感じですね。

また気が向いたらメタ音楽評論、書こうと思います。












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