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妄想と霊感

どちらかと言えば、私は妄想の多い男である。
少しだけ霊感も強い。
だから、たとえば、何かをする時、私はよく有名な誰かを思い浮かべて、自分がすっかりその人になったつもりになっていることがある。降臨術など知る由もないが、結構本気でなりすましている。

最近、ふとしたことから、家の近くの宿泊施設に、アリーナやプール、トレーニングセンターなどが併設されていて、宿泊客に限らず、外部の人間も利用できることを知った。それも驚くほどの低価格で。
寄る年波には勝てない。私の体力は年々衰える一方だ。そこでその施設のジムにしばらく通うことにした。

とにかく何事もスタイルから入るタイプだ。
そこに出かける車の中では、Spotifyでダウンロードしたブルーススプリングスティーンの一連の曲をかける。
老いゆえに日頃はなよなよしている精神を少しワイルドにしておこうと試みる。英語は決して得意ではないが、車中で私はシンガーになりきって、蛾鳴り声で歌う。

施設に着き、受付の女性の前では、普段のおしゃべりとは違い、寡黙を装い、たとえば都会の高級ジムにきた阿部寛のつもりで、低い声でぼそぼそと話す。

そこのトレーニングルームにはそこそこの器具もそろえてある。
まずは上半身を鍛える。
負荷をかけたバーベルを持ち上げるとき、私はロッキーいや、ランボー、まあ、どちらにしても、もうシルベスター・スタローンのつもりでいる。
大胸筋が盛り上がった厚い胸板の妄想の中の私は、たとえば、目の前でか弱き女性がよよと泣き崩れれば、「大丈夫ですか」と優しくその胸に受け止める。そんな光景を想像している。

次は腹筋を鍛えるとき。
この時はもう私はいつの間にか俊敏なボクサーに変わっている。
いまなら本当は井上尚弥だろうが、私はよく首都高で自動車事故にあい、早世した伝説のチャンピオン、大場政夫に変わっている。からだを持ち上げ、最後にくいっと左右にひねる。その時私は大場の鋭いワンツーを放っている。最強の挑戦者であるオーランド・アモレスは私の鬼気迫る攻撃にたじたじだ。

そして、ルームランナーを使ってランニングするときは、スマートな女性に変わっている。
この時はもうこの人しかいない。                       FBI訓練生、クラリス・スターリング。
そう、あの美しきジョディーフォスターが私の中に舞い降りる。
映画「羊たちの沈黙」の冒頭シーンで静かな森の中を走るクラリス。    少しかいた汗が我ながらセクシーだ。現実の私の顔はむしろ相手役のアンソニーパーキンス演じるハンニバル・レクターに似て、体つきはフランケンシュタインの出来損ないのようではあるが・・・。

マットの上で仕上げのストレッチをしながら、目の前の大鏡を見る。
もうそれは現実の私に戻っているが、年の割にはスマートだ。
これなら、今パートに出ている施設のお客様の間を、羽生結弦選手か、浅田真央選手のように鮮やかに、すり抜けて行けるだろう。

と、その時、背後から声がした。
振り返ると前に三人の女性が立っている。
声をかけてきたのは、その中で一番年嵩らしい上品なおばあちゃんである。
「こんにちは。私たちはこの施設に宿泊している者ですけど、ごめんなさい、あなたの所作がとても美しいので、つい、声をかけてしまいましたよ」
「所作などと・・・私はガサツなばっかりで、それにこう見えても相当年を食っていて、体力の衰えが激しいものですから、最近、このトレーニングルームに通い始めたという次第で・・・」
「いえいえ、私から見ればあなたなんか、まだまだ青年のようですよ」
「失礼ですが、お歳は?」
「もうあちらの世界に近いですよ、・・・歳です」
「えっつ、それじゃ、昭和・・年生まれ、私の母と同い年です。なんか、嬉しいです。偶然とはいえ・・・実は先日母の誕生日が近くて、田舎に贈り物をしたところです。今まで親不孝ばかりして、そんなことしたこともなかったのに、初めてくらいかな、母に贈り物なんて・・・」
「誕生日はいつですか?」
「…月…日です」
「え、じゃあ、これもまた偶然。この人と全く同じですね、娘なんです。あなたのお母様と一緒で…月…日生まれ」
中の女性が前の女性の陰から顔だけを覗かせて、こちらに軽く会釈した。何処かで見たような顔だ。
「と、天秤座ですね」
「その後ろにいるのが孫娘で、月に一回、二人で私をこちらへ連れてきてくれるんですよ。私もそれが唯一の楽しみで・・・お母様は今どちらにお住まい?」
「…県です」
「あらあら、これもまた・・・孫はその…県で生まれたんですよ。ちょうど、娘夫婦が転勤でそちらの地に赴任している時期でして、それじゃあ、遠くて、なかなかお母様にも会えませんね」
二番目の女性の背後からこれもまた顔だけを覗かせて、孫娘はこちらにぺこりと会釈した。
今どきの若い女性とは違う雰囲気の、素朴な顔立ちだ。これも何故だか懐かしい顔。
ふと、私の中で、直感するものがあった。
少し前に起きたエピソードを、会ったばかりだが、三人に聞いて欲しくなった。
「実は、私、この近くの施設にパートに出ていて、先日こんなことがありました。その施設はここと同じで宿泊施設も兼ねているのですが、お客様はお若い方が多い。それなのに、その日いつものように掃除してますと、珍しくひょこひょことロビーに向かって歩いてくる老夫婦がいる。男の人はどうやら足が少しお悪いようで、それを傍らで女の人が支えて、歩いている。それを見ていると、何だかすごく懐かしい気持ちになって、いつもはそんなことしないのに、思わずそのご夫婦にこちらから話しかけたんです。そしたら男の方が私に向かって飛び切りの笑顔で・・・。でも私がふと目をそらした瞬間に二人は突然私の前から消えてしまいました。後で気付いたのですが、その日は父の命日でした。私は少し泣きました」
「親ってのはそういうもんですよ。あなただってご存知の筈でしょ」
「わかってます、わかってます、わかっているから今も涙をこらえているんです」
涙があふれ、零れ落ちたとき、きっと三人の女性はあの時と同じように、眼前から消えてしまうだろうから・・・。
その時、頭上から、江原啓之美輪明宏が相次いで私の中に入ってくる。

「これは決して、嘘や偽りではないのよ。目に見えていることだけが人の絆ではない。感じようと思えば、いつだって、どこに至って、感じることが出来る。そうして私たちは自分の魂を磨いていくの。この世界で悲しいことや苦しいことがたくさんあったって、決して嘆くことはない。その時こそあなたの魂はいつも以上に綺麗に磨かれているのだから」

さて、この話にどう、おちをつけようか?

少し前に観た映画で「蜜蜂と遠雷」というタイトルがあったが、それを見習って、「妄想と霊感」と名付けてみたものの、どうもこの話は信じてもらえない気がする。信じるか、信じないかとはもはや都市伝説レベルの話だ。

しかし、考えてみれば、こんな出来事の一つや二つ、皆さんの周りでもあるような気もするのだが・・・。

いかがですか?

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