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京都の糸へんは嘘つき?

~キモノの流通現場で見えるヤバイこと~


作り手は誰?

キモノ、特に、後染め品の商売をしていますと、不思議なことに出会うことがあります。
(先染め品は、先に糸を染めてから織られた布、つまり織りものです。後染め品は、布に織られた後で染める品、つまり、染めものです。)

呉服屋さん。問屋さん。染匠さん。(糸へんと呼ばれることがあります。)
このような方々が、自社の商材について話すとき、どう考えても意味不明な場合があるということです。

下請けや孫請けとなる外注業者さんへ、加工や製造を発注して出来上がった品物があるとします。

その反物、帯やキモノについて、呉服屋さん、問屋さん、染匠さんの中には、発注指示を行った、あるいは、仕入れたというそんな理由だけで、『自分は作り手だ』と標榜している人がいるのです。

自分はプロデューサーだ、とか、監督だ、とか、指揮者と同じだ、なんて言い出す人までいます。
このような意味不明の発言を理解することは出来ません。

なぜなら彼らの行動を見る限り、全くの流通業者さん、つまり、商売人として映るからです。

(呉服屋さんや、問屋さんの方と、仕事の打ち合わせをします。
そんな時に、彼らが実際に絵筆を手に図案や下絵を描いたり、刷毛を持って反物を染めたりする、その様な制作にかかわる作業姿を全く見かけることはありません。体験すらしたことがないのでは……と、時おり心配になることすらあります。)


他人が作っても、自分が作り手?

町の花屋さんをよく考えます。
花を販売し、花を商材とする花屋さんは、花の小売り屋さんです。
つまり、花の流通業者さんです。
花を作る栽培農家さんではありません。
花屋さんが、『私は、花の作り手です。』と言っているのを聞いたことがありません。

花の取り合わせを考えて素敵なアレンジメントの花束を作ったり、時には、お客さんの床の間やウィンドウに、いけ花をデザインされたりすることもあると思います。
でも、花自体、個々それぞれの姿や特徴は、そのまま保たれています。
花屋さんが、何か手を加えることは無いでしょう。
(白い花を美しい青色へ意図的に変えたり、花の匂いをチョコレートの香りに変えたりする、そんな新たな付加価値を創造し、花自体に付け加えることは無いのでは…、と言う意味合いです。)

ですから、店頭の切り花や生花を指して、
『私が、ここにある花を作りました。』とは言わないでしょう。
(花屋さんの中には、自家農園で栽培して独自の花を作っている方も、デザインやアートの付加価値を持つ花を作っている方も、当然いらっしゃると思っています。)

一方、糸へん(呉服屋さん、問屋さん、染匠さん)の方々を考えると、残念に感じることがあるのです。

言行不一致の人達の中に浸かっているために、自分が見せ掛けをしていることすら気づかないのでしょうか。
これはもう詐欺だ、と思えることもあります。

他人が制作した、そんなキモノが掲載された写真集の表題に、自分自身の個人名で銘打つことがある場合などです。


「制作」の間違いは、ワザと?

キモノ雑誌に「制作 〇△□株式会社」や「制作 ABCきもの店」と掲載されている、問屋さんや呉服屋さんの宣伝とか記事を見かけることがあります。

繰り返しになりますが、問屋さんや呉服屋さんは、卸売り業者や小売り業者です。
製造業者ではありません。
流通業者です。

流通業者ですから、「販売 〇△□株式会社」や「提供 ABCきもの店」と掲載されていれば、よく理解できます。

しかし、雑誌や新聞、その他のメディアの中に、「制作」の言葉が使われてることがあります。
本当にこの言葉の意味を理解した上で、使用しているのだろうか……という疑問が沸いてしまいます。

工芸の世界と同様に、キモノを作る染織分野では、
「制作」という言葉は、作者個人に焦点を当てて、表現や新たな創造性を生み出す場合に使われます。
ですから、制作(クリエイト)されたキモノは、作品(アートワーク)となります。

でも、彼らの行動には、表現する作品作りを感じる取ることができません。

既存の美術品のアイデアを部分的に切り取って、キモノの模様にしたがるからです。
既存の作品の模様や色合いを、外注先へ発注指示しようとするからです。

そして、外注先によって作られたキモノを業者に卸したり、消費者に販売したり、雑誌やメディアに貸し出ししたりして、お金儲けすること、とりわけ、販売(セール)すること、この様な商売の行動こそが、彼らの仕事だからです。

ですから、制作という言葉について、使い方を誤っていることが分かります。
まるで、商売人であるという立場を、故意に隠そうとしているようにも見えてしまいます。


「制作すれば作品」と「製作すれば製品」、どう違う?

流通業者さんにとって、キモノは作品ではなく、製品です。

糸へん(呉服屋さん、問屋さん、染匠さん)の方々は、自分の手を実際に動かすことがありません。
キモノは、自社ではなく複数の外注先が協働して、製造されます。
多数の手を集めて作られるのですから、その行為は製作となります。
一人の作家が自分の手を動かして創造するような、制作ではありません。

出来上がったキモノは、販売目的の、製品(プロダクト)となります。
表現を発表するために展示する、作品(アートワーク)ではないのです。

小売り屋さんや問屋さんが、自社の商品となるキモノを宣伝する場合には、アート分野で使われる「制作」という言葉では、誤解を生じます。

ビジネス分野で使われる「販売」や「提供」という言葉で言い表すのが適切です。


コンプラ違反?

刷毛を実際に持って地色を染めたことも無い、そんな販売業者が
『私が、このキモノの制作者です。私が、作りました。』と言えば、それは間違いです。
セールストークの域を超えています。
「弊社で、制作しました。」は、妄言ではなく、虚言を吐いていると言えるのではないでしょうか。
(まるで産地偽装のよう……。)


キモノの流通現場では、不思議でヤバイことに出会います。

<おわり>

PROFILE
中井 亮 | Nakai ryou
1966年生まれ。京都在住。
誂呉服模様染め悉皆経営。 そめもの屋。
友禅染めを中心に、古典柄から洒落着まで、様々なジャンルの後染めキモノ製作に携わる。
また、中高校生へ基礎美術の指導を行っている。
  
個人作品では、日常で捉えた事物を空想視点から置き換えて再構築し、
「着るキモノから見るキモノへ」を主題に制作する。

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