「いちごの棒のお菓子が食べたい」
意味深なタイトルですが、今日の三男の出来事。
つくばのつくるひとCafeというキッチンレンタル兼コミュニティスペースがあるんですが、そこにはお菓子が置いてあります。
前に来た時にお菓子を食べたらしく、
「いちごの棒のお菓子が食べたい!!」
ずっと連呼をしていました。
しかし、このお菓子は10円なのです。
たかが10円。されど10円なのです。
もちろん、三男は10円を持っていません。
「お菓子を食べるには10円が必要なんだってよ」
こんなやり取りから始まった今日の三男のストーリーです。
10円はお前のものじゃない
10円が必要だと分かった三男、一体どんな事を言うのかと思ったのですが…
「え、お父さんのを使う」
ん?
お父さんの10円を?
さも、当然のように10円をよこせと?
「いや、違う。10円はお父さんのだ。でも、何かをしたら10円をゲットできるかもよ?」
「え〜、じゃあお母さんから10円もらう」
寄生かっ!!
自分のものと他人のものというのの境界線が分からない。
これが小学校1年生あるあるです。
「いや、お母さんに言ったとしても10円はお母さんのものだよね?」
10円を何かすればゲットできるということになんとか気づいて欲しい!
お金はない。しかし、お菓子はほしい
「う〜〜ん」
もどかしい!何かすれば良いんだ!
何でも良いんだ!
「あ!」
お、ひらめいた。
「お母さん、10円ちょうだい!」
分かってなかった!!(笑)
「しょうがないな〜」
いや、そこでお母さんもあげちゃった!!(笑)
しかし、10円がなかった様子…ナイス!
なので、すかさず声をかける。
「お金はね、何か他人が嬉しいなって思うことをやってあげるともらえるんだよ。じゃあ、例えばお父さんとハグ!」
「え〜、どう?どんな?」
最近、改めて抱きしめてなかったので、恥ずかしがりながら抱きしめ、抱きしめられる。
「うん、満足した。ちょっと待ってて」
ということで10円を渡す。
なんとか笑顔で10円を渡せた。
例え子どもであろうが、ルールはルール
ちなみに今回のことだけど、子どもであってもルールはルールだと思う。
お店としては10円が必要。
どうして10円が必要なのか?それは感謝の念だ。
お菓子を作ってくれて
お菓子を置いてくれて
お店がここにあって
今日お店にいてくれて
ありがとう
これは子どもだから許されることではなく、社会として存続するために必要なことだ。
そして、子どももいつか大人になる。
いつかはやることなのだ。
今からでも、考え、学ぶ必要があるのだ。
なんでも良いから自分で何かをし、価値を受け取る。
それをさせたかったのは僕のエゴだったのだが、ちゃんとお菓子はゲットできた。
そういう小さな成功体験を積み重ねるお手伝いをしていこうと思った今日このごろだった。