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教育が目指す『人格の完成』とはなにか?
こんばんは、ソルティーです。
教育基本法では人格の完成を目指しています。
第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
でも、僕たちって人格の完成ってワードで「なんとなくこんな感じ」って伝わっていますけど、具体的にどういうもの?っていうのは知らないし、考えたこともないはずです。
今回はこの人格の完成について考えてみたいと思います。
昔の教育基本法では
昭和22年の頃でも、教育基本法というのはありました。
しかし、この頃の教育基本法では今とはニュアンスがまったく異なるものとして存在しています。
第一条 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
似ているようで文章が少し異なっていますね。
人格の完成を目指しているのは同じですが、その目的が大きく変わっているんだなと読み解けます。
昭和22年(1947年)と言えば戦後直後の教育です。
この頃は、「お国のために」が合言葉のような感じだったのは、国家に有用な人材の育成に偏っていたためとも言えるでしょう。
これからの教育基本法で目指している人格の完成とは
戦後の教育は人間各個人の人間としての完成を目指すものだと宣言するものでもあったと思います。
国が引っ張るのではなく、国民一人ひとりが立つような国に変わって欲しい。それが『民主的』という言葉にかけられた願いなのかなと思うのです。
その上で人格の完成とは
個性・価値観・自己理解などの個性の要素を磨くこと
倫理観・道徳観・常識・教養といった人間性の要素を磨くこと
思いやり・協調性といった社会性の要素を磨くこと
にあることなのかなと。
そういう意味では、これからの教育は
『自分の頭で考えて、自分で行動できるようになる』
ことが大きな理想像として持っているのではないかなと思うのです。
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