危篤連絡と心の持ち用
危篤連絡を受けた時
2ヶ月前に受けた家族の癌告知。積極的治療を受けている過程で入院が発生し気が気ではない日々を送っていた矢先の夕方、病院から「今すぐ来てください。」と電話がきた。リアルな世界では「危篤です」と病院は言わないものなんだと、冷静に思ったもので、病院に駆けつける約2時間の間は、仕事相手への連絡、親しい友人へLINEを送りながら自分の心を整えていた。迷子になったような気分といえば想像がつくでしょうか。
「呼吸数が減り、血圧が低下し、意識が弱い」
駆けつけた病院では他の家族がすでに面会を終え、病院のロビーで待っていて、彼等の様子は50m先からも伝わる悲壮感。会話もそこそこに私は病室に駆け入る。
看護師さんから受けた説明は「呼吸数が減り、血圧が低下している。意識は弱い。」だった。これを聞いても私はピンとこない。彼女が言いたいのは「非常に危険な状態で万が一は今夜もたないかもしれない。」の解釈だったと後から気づいたのは、「コロナ渦ではありますが、私さえ可能なら付き添い看護が可能です。」看護師さんからの提案だった。
病院とは「危険」などの先を断定するよな直接的な単語は言うことはなく私たちは状況から察しなければならいことに気づいた。
これが「危篤」ということなのかと初めて腹落ちした瞬間。
「希望があると思う」者と「安らかに眠らせてやってと思う」者
この時は知らなかったが、癌治療の過程で「呼吸数減少、血圧低下、意識低下」が続く場合、戻ってくる人は殆どいない状況だった。私は病状を見た後でも
「なんとかなるっしょ!行けるしょ。明日はくるしょ。120%元通りになるしょ」と回復することを疑わずに、病院のロビーで待つ他の家族のもとに向かっていた。
現実を見てうなれだれている家族は「これは延命治療でしかなく、このまま眠るように死なせてやるのが幸せなのではないか?だって辛そうだ。」という考え。
180度の違いに驚き「え?なんで?もうそこ行く?」と言ったのをうっすらとだが覚えている。
この瞬間から付き添い看護 2週間の期間中「希望があると思う」者と「安らかに眠らせてやってと思う」者のの違いについて考え続ける期間ともなった。
そばにいる家族の心の持ち用は患者にも伝播するものだ。
「心の持ち用」と「家族の力」についてはまた別途書いていく。
「付き添い看護」とは
患者に付き添いながら看護するという意味。
幼いお子さんが入院する際や、手術前後などに病院から近しい家族にだけ提案される家族ができる看護の仕組み。
日本は今もコロナコントロール下で多くのことが運営されていて、病院はコロナコントロールの最たる場所。医療関係者の感覚では90%の病院が患者がいかなる状況であっても面会謝絶。危篤状態だとしても家族と過ごせずに最後を迎える患者がいる。(2022年9月末現在)
とても異常な状態であることを理解してもらいたい。
幸運にもこの病院では、条件を満たしさえすれば「付き添い看護」を許可している。これも、ごく最近ようやく解禁されたと聞きいろんな巡り合わせがあり今がある。「だからきっと大丈夫、そう大丈夫私たちは大丈夫」と呪文のように毎日口にしていた。
病院からの「付き添い看護」提案は私の人生の中で一番価値ある事となった。
コロナコントロール下の「付き添い看護」の条件
・PCRテスト陰性。
・期間中病院から一切外出しないこと。
・病室での飲食は禁止。
看護中に必要な買い物は、病院1階にあるLAWSONそして、友人たちから届く品物で過ごした。友人たちは家族の回復と、私の健康を案じてあらゆるものを送ってくれた。この病院では通販商品の受け取り、宅急便の対応もしてくれたが、多くの病院では面会謝絶な上宅急便の受け取りもだめという病院もたくさんる。
付き添い看護者のベッド
病院に駆けつけたその日はPCRテスト前のため、病室がある病棟内のカンファレンスルームを借りて、パイプ椅子ベットを作り睡眠。
1時間の間に15分だけの面会が毎回できるので、癌と抗がん剤の影響で浮腫のひどい脚をマッサージをして過ごした。緊張感と使命感からほとんど寝ることはなかったが、横になれたことで疲れはとれた。
パイプ椅子ベットで使用した掛け布団2枚は入院レンタル品を活用した。最初に就職した会社で徹夜の時によくやっていた会議室の椅子ベッド技術がここで役立つ。人生に無駄はないとはこのこと。
PCRテスト陰性結果を受けて本格的な付き添い看護生活に突入した日から簡易ベットを使用した。災害避難時に提供されるベッドと同じ。パイプ椅子ベッドよりは格段に寝心地は良かった。これもレンタル品でベッド、敷布団、掛け布団、枕、カバー付きで380円/日。2週間以上の滞在となった場合1回交換される仕組み。
付き添い看護1日の目の夜 返事が返ってこない
生まれてからずっと私が名前を呼べば必ず返事を返してくれた人から返事が返ってことない日が来るとは、それが今だなんて、衝撃がすごすぎて泣くのを流石に堪えきれなかった夜。
泣いていても何にもならないから、初日は手を握りながら寝た。
付き添い看護期間中に多くの人が私に質問きたのは、「何日間看護するの?」だった。何日間続くのか全くわからないのが看護生活。
ここは絶対負けたり弱ってはいけない局面で、看護とは何かもわかってないけれど、やる気にだけは溢れる1日目の夜を迎えた。
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