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【3.11から11年】平穏な日々の訪れに祈りを込めて「平泉」へ

前回に引き続き、自分の災害の記憶を思い起こすために、2011年の東日本大震災直後に執筆した原稿を紹介したい。新潮社のモバイルサイトに連載していたときのものである(2011年8月掲載)。

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風評被害による観光客の減少に苦しむ福島、宮城、岩手の温泉地をめぐる7泊8日の旅も、いよいよ最終日。宮城県・鳴子温泉郷をあとにした僕は、さらに北上して岩手県へ。

目指すは、平泉。しばらく温泉以外のパワースポットに足を運んでいなかったから、というのが訪問の理由だが、駐車場のおじさんの話によると、「今週末、正式に世界遺産に登録されるかもしれない」とのこと。そう、僕が平泉を訪れたのは、世界遺産登録が決まる1週間前だった。

平泉は、12世紀に東北地方で栄えた奥州藤原氏ゆかりの地。戦乱の後、「平泉を仏の住む極楽浄土にしよう」と考えた初代・藤原清衡(きよひら)によって造営された中尊寺や、日本最古の庭園として知られる毛越寺(もうつうじ)などが登録の対象となっている。

最初に散策したのは「毛越寺」。境内に入ると、まもなく大きな池が現れた。大泉(おおいずみ)が池というらしい。

しかし、これといった建造物は見当たらず、どこをどう見学したらいいかわからない。正直に言うと、僕は日本史にはあまり明るくないし、平泉に関する予備知識もほとんどなかった。「もう少し勉強しておけば、この殺風景な庭園にも感動できるかもしれないのに……」。

無知な自分を反省しながら、池をぼんやりと眺めていると、うしろから30名ほどの団体客がやってきた。集団が池のほとりで止まると、ツアーガイドが大泉が池の説明をはじめた。「池の中央部には勾玉状の中島があり……、昔は中島まで橋がかかっていたとされ……」。ふむふむ。僕は団体客の中に紛れ込み、ガイドの解説に耳を傾けた。このような歴史スポットでは、観光ツアーにくっついて、ガイドの説明を盗み聞きするという裏技がある。

ガイドの話によると、奥州藤原氏滅亡後、すべての建物が焼失したが、大泉が池を中心とする浄土の世界を表現した庭園は、ほぼ完全な状態をとどめているのだという。

燃えてなくなった建物をイメージしながら、あらためて庭園を眺めてみた。さっぱり知識がなかった10分前よりも、はるかに美しく見えるから不思議だ。先ほど「殺風景だ」という感想を抱いた自分はどこへいってしまったのやら。

平泉観光のクライマックスは、やはり中尊寺だろう。こちらも境内の堂塔のほとんどが焼失してしまったが、唯一、1124年中尊寺建立当初の姿を今に伝えるのが、国宝建造物第一号の「金色堂」(こんじきどう)。

堂の全体に金箔が押されている阿弥陀堂は、まぶしいほどに黄金に輝いている。かつての日本は、「黄金の国ジパング」と呼ばれていたが、ヨーロッパの人は金色堂を見て、そのように名づけたのではないだろうか。それほどのインパクトがある。

実を言うと、僕は金色ピカピカのアクセサリーなどは悪趣味だと思ってしまうほうだが、金色堂に関しては別。生まれて初めて「金色」が美しいと感じた。

僕が平泉を訪れた日は、世界遺産登録前の平日だったので、それほど観光客は多くなかった。むしろ少しさびしいと感じたくらいだ。しかし、世界遺産に登録された今後は、内外の注目を集めることになる。平泉が震災復興のシンボルになって、東北全体が元気になれば、これほどうれしいことはない。

平泉の近くにもいくつか温泉施設が存在するが、「パワースポット温泉」としておすすめしたいのが一関市にある祭畤(まつるべ)温泉「かみくら」。平泉の西に位置する山あいの一軒宿だ。「かみくら」は神座と書き、神が降り立つ特定の場所を指す。

杉木立の中に建つ大浴場には、内湯と露天風呂が並ぶ。内湯は20人以上が入れそうな大きな湯船で、しっとりと肌にまとわりつく感触の透明湯が源泉かけ流しにされている。

木をふんだんに使った館内は、まだ新しく、清潔感があふれる。2008年にリニューアルオープンしたばかりの宿だが、同年6月、岩手・宮城内陸地震の被害を受けて、およそ半年の休業を余儀なくされた。そして、今回の東日本大震災。「あのときの恩返しをしたい」と、被災地に支援物資を送ったり、被災者を受け入れたりしたそうだ。

奥州藤原氏は、平和への祈りを込めて、極楽浄土の思想を寺院や庭園に表現した。現在の東北の地にも平穏な日々が一日も早く戻ることを願わずにはいられない。


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