故郷がないっ!
(自分のアイデンティティはどこにあるのか)
そんなことを考えながら学生生活を送っていたのには理由がある。
私は家族の住む大阪から遠く離れた大分の大学に入学した。
その大学は生徒の半分が海外からの留学生、残りの半分もほとんどが大分県外から集まっているという少し変わった大学だった。
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その大学では一年生の基礎科目に「地域理解」という授業がある。
25人くらいの少人数クラスに分かれ、それぞれが自分の出身地について、特色だったり歴史や文化などを発表して「日本」への理解を深めつつ、レポートの書き方とかプレゼンとかの基礎を学ぶ。
そんな大学の中で、一年生同士が初めて顔を合わしたら「どこ出身?」という会話から関係性がスタートする。
#ドコ中?の全国版
新しく知り合った学友たちは皆、お互いの地元の話をし、相手の地元や文化を理解し、関係性を深めていく。
そんな環境だったこともあり、自然と故郷とか地元とかを意識せざるを得なかった。
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私は「どこ出身?」と聞かれれば「大阪」と答える。人生で1番長く住んだし、幼稚園〜高校と人格形成に大きな影響を持つ時期を大阪で過ごしたからだ。
けれど、父親が転勤族だったこともあり、岡山→兵庫(2)→千葉(2)→大阪(2)と、住む場所がコロコロと変わっている。
※カッコの中の数字はその府県内で引っ越した回数。
だから幼馴染なんてものはいない。
小学校も5年生になるタイミングで転校したし、中学受験をしたので、そこからまた新しい社会にいた。
「大阪出身」とは答えるものの、大阪のどこにも自分の故郷なんて無かったし、「帰るべき場所」も見つけられなかった。
自分の故郷を持つ友人が羨ましかった。
しょうがないことだけど、少しの嫉妬のようなネバついた感情と、どうやっても自分のピースが埋まらない哀しさみたいなものを感じていた。
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そんなある日、2人の留学生と話していたときのこと。
2人とも、ルーツは中華系でタイ国籍だけど、香港の高校に通い、英語を話していた。(もちろん彼らは北京語も広東語も話せる。そしてタイ語も日本語も話せる)
世界は広いというか、複雑すぎて色々着いていけない。
けど、私は2人に聞いてみた。
「君らのアイデンティティはどこにあるの?」
2人とも顔を見合わせて答えた。
「うーん、国籍がタイだからタイかな?」
「ホームタウンとか欲しくならないの?」
「まぁ、家族には会いたくなるけれど場所は特に。ややこしいけど、これが自分だから別にいいかな。」
2人はあっけらかんとした様子でそう答えた。
(そうか、そんなもんでいいのか)
私は2人の普通すぎる様子から、それまで重く重く考えていたことが、一気に心の中から消えていくのを感じた。
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私はそんな多様性に溢れて、時々カオスな大学生活がとても楽しかった。
両親とはそれほど仲が良くなくて、実家は帰りたい場所ではなかったから、愉快な友人達がいる場所を、自分の居場所に決めた。
アイデンティティの拠り所は「どこでも生きていける、強いて言うなら大阪」になった。
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アイデンティティに悩んだ大学時代から、十数年経って、改めて思うこと、
それは、留学生2人との会話で得たものは純度の高い自己受容だったのだと思う。
故郷が無いことをどこか引け目に感じたり、ネガティヴに捉えていた私は、周りの人に対して、どこか斜めに見てしまったり、(地元は無いけど)自分の方がこんなに…とマウントを取りにいこうとしていた。
けれど、故郷が無くたって、自分の存在は何も変わらないと気がついて「そのままの自分でも大丈夫」と思えてからは、違う意見や違う価値観を持っている人を見かけても「それもあるね」とただ受け容れることができるようになった。
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そんな故郷の無い私は東京で就職し、ワーキングホリデーでカナダに行き、帰国してまた東京で就職して、今は福岡にいる。
福岡は本当に生活がしやすい都市だけれど、きっと私にとっての永住の地ではない気がする。
故郷の無い私の放浪人生は続く。