好きなことと才能は一致するのか
自分のやりたいことを探すとき、必ずと言っていいほど出てくるキーワードが「好きなこと」と「得意なこと=才能」です。これを明確にしないと、自分のやりたいことが見つかりません。
才能は好きなことの中にある、という言葉が自己啓発の世界にはあります。
ですが、好きなことが必ずしも才能のあることと一致するのでしょうか。
そのことを考えさせられる出来事がありました。
最近、ふとパズルゲームがやりたくなって「ぷよぷよテトリス」の新作を始めました。
ぷよぷよは2連鎖しか組めなくて、テトリスはゆっくりと穴を埋めながらたまに4段消しができるというレベルなのですが、どちらも好きです。
テトリスをそこそこ練習して対コンピュータ戦でたまに勝てるようになってきたので、オンライン対人戦に入る前に関連動画を見ると、自分のプレイではありえない速度でガンガンとブロックを組み上げていくではありませんか。
ぼくのスピードを自転車だとしたら、世間のスピードはまるで新幹線です。
これを見たとき、
「自分には才能がないから下手」
「世間の人は天才だから上手」
と思いました。
ぼくはまだ始めてから日が浅く、練習量が足りていないのはわかります。
しかし、目も思考も手さばきもまるで追いつかず、Tスピンと呼ばれる基本テクニックの理論もチンプンカンプンで、これは自分には向いていないなと痛感しています。
ここから本題に入ります。
現時点で明らかにテトリスの才能がないぼくが、何年も練習すれば果たして世間の人みたいなプレイが可能になるのでしょうか。そうは思えないのですが……。
自己啓発によると「才能=好きなこと」と定義されるケースがあります。
好きなことは長く続けられる
↓
長く続けると経験の多さにより上手になる
↓
やがて才能があると言われるレベルに到達する
という理論で、誰にでも才能はあると主張されています。
ここでぼくが考えているのは「好きなことを長くやっても才能の育つレベルは人によるのではないのか?」という疑問です。
まず、天才と呼ばれる人たちと同じことをやったとしても(それができる時点で天才なのですが)、必ずその天才と同じことができるレベルまで才能が開くとは限らないのではないでしょうか。
次に、本当は才能がないのに「好きなことをやり続けたら才能が開花する」と信じてやり続けるのはどうなんでしょうか。
実際には誰がどんな才能をどのレベルで持っているかわからないので、好きなことをやるしかありません。
才能うんぬんより、好きなことをやり続けることが幸せなんだと割り切れたらいいのですが、このモヤモヤした気持ちは晴れません。