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食うに困らず、物にあふれ、情報が無料で手に入る豊かな(はずの)時代に、なぜ人々は苦しむのか

以前Quoraでこのような質問があり、以下の回答をしました。

何故いま、若者達の自殺が多いのでしょうか。助ける為にはどうすれば良いと思いますか?
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実際に何人か若者と話す機会があり、そこから感じたこともまじえて仮説を立てるならば、
1.若者たちが得られる情報が爆発的に増えた
2.たくさんの情報から、自分の将来や世界の行く末を深刻に憂う若者が増えた
3.なので「私はこういう人間になって人々や世界を良くしなければ!」と、真面目な人ほど願う
4.その理想と、まだ社会に出てもいない(出てもまだ大したことができない)自分の無力さを日々比較しては落ち込む
5.気を抜くような遊び・休みは「自分の将来への軽視」「世界に対する裏切り」のように感じ、気を休めることもできず、徐々に「私って何もできないんだ…」と気力を失っていく
このような経緯をたどるのではないか、と考えています。
(中略)
解決の糸口は探り続けていきますが、問題は1つではなく、こういった要素が絡み合って若者のメンタルモデルを作っていく環境があるのは確かだろうと思います。

Quoraではたびたび「若者の自殺」や「若者の貧困」に関する質問を見かけ回答していたのですが、はっきりした原因や打開策は見つからずにいました。

こういった話題の際に一部の意見として聞くのが、

  • 昔は食うのにも困ったのが今はこんなに食べ物があるのに、現代の若者はたるんどる!

  • 金がないない言うが、選ばなければ仕事はあるんだからとにかく働け!

  • スマホでゲームや動画ばっか見てるからバカになるんだ!

こういった「今どきの若いもんは…」論です。

Quoraでも質問自体がそうなっていた投稿があり、こちらにも回答しています。

しかしこの論調には違和感がありました。「今どきの若いもんは…」は昔からよく言われる話ですが、現代はもっと根本的になにか問題があるのでは?と。当人たちではなく、環境のほうにどうにもできない問題があるのでは?と、根拠を見つける前に感覚で感じていました。

それからずっと「豊かな(はずの)時代に、なぜ人々は苦しむのか?」というテーマに関係する情報を目にするたびチェックしていたのですが、やっと確信めいたものがまとまってきたので、ここらで文章にしてみようと思い立ったわけです。

理由1:今が「かつてない難しい時代」だから

これは山口周さんの以下の投稿から引用しています。

「私がなぜこのタイミングで”人生の経営戦略=ライフ・マネジメント・ストラテジー”について書こうと思ったのか、その理由の一つについて説明したいと思います。

端的に言えば、それは「私たちが、かつてない難しい時代を生きているから」ということになります。

私たちは、近世が始まって以来、かつて人類が経験したことのない低成長時代を生きています。グラフを確認してもらえばすぐにわかる通り、先進国の経済成長率はここ50年、低下の一途を辿っており、2010年代を通じての経済成長率は1%前後となっています。ちなみに同じ時期の日本の経済成長率は事実上のゼロでした。

山口周(note)『いま、なぜ「人生の経営戦略」なのか?』
(2024年7月29日)より引用
https://note.com/shu_yamaguchi/n/n7e1cd7e0df9c

詳しくは山口さんの記事をご覧いただければと思いますが、端的にまとめると「個人個人の選択の良し悪しによって、人生が大きく振れる」、そういう時代になったという話です。

「それは元々そういうものなのでは?」と思う方もいると思います。しかしバブル期以前の「あらゆる産業が右肩上がりだった」時代は、個人個人の選択による人生への影響はそこまで大きくなかったということです。

かつての高度経済成長期、あるいはバブル期のように平均成長率の高かった時代であれば、社会は「とても成長率の高い場所」と「まあまあ成長率の高い場所」のまだら模様でしたから、ランダムに選んだとしても、その結果がもたらす人生への影響はさほど大きなものではありませんでした

付言すれば、そのような社会だったからこそ、新卒一括採用といった、世界にも例を見ない奇怪な制度が世の中に根付いたということもできるでしょう。

山口周(note)『いま、なぜ「人生の経営戦略」なのか?』
(2024年7月29日)より引用
https://note.com/shu_yamaguchi/n/n7e1cd7e0df9c

しかし時代は変わり、日本は30年以上の停滞期に入りました。根本的な問題の1つは、企業や教育機関のとっている戦略や方針が30年経ってもさほど変わっていない点でしょう。

  • 少しの改善は見られるが、基本的に「答えのある問題の正答率を上げる」教育

  • いまだに続く「新卒一括採用」

  • デジタル化、DXが大事だ!という割に進まない「デジタル人材育成」(経営者や役員も自身が触れずに丸投げ)

  • 商流の間になんとか挟まってマージンを頂こうとする「超多階層の発注構造」(人にやらせようとする人材ばかり増え、技術者が減っていく)

  • コロナ禍が明けたらリモートをすべて止め、全員出社に戻して安心してしまう「旧態依然の労働環境」

キリがないのでこの辺にしますが、教育にしろ仕事にしろ、「大きな組織」に寄りかかってなんとなく人生うまくいく時代は終わったと考えたほうがいいでしょう。

自分の人生の良し悪しが天と地ほどの開きがある選択が、個人個人に委ねられるようになってきたのです。そこに「先例」「勝ちパターン」はありません。上で挙げたように、「大きな組織」に頼ったところで自動的に人生が右肩上がりになるようには思えません。

一人ひとりが自分の人生に向き合い、どうしていきたいのか?を機動的に選んでいく必要がかつてなく高まっています。

これに関連して直面する問題が次の理由です。

理由2:人生の課題設定や問題発見を一人ひとりがやらねばならなくなった

白饅頭さんの記事で引用された村岡 大樹さんの投稿で、このような内容が書かれていました。

自分で自分の人生の答えを決める。これからの時代に必要な力。それは【課題を自ら設定する力】です。

問題がなくなっちゃってる。なぜなら、この資本主義において、みんなが役に立つこと、問題を解決することでお金を稼ごうとした結果、何でもやってくれます。困ることない。寝っ転がってたってウーバーイーツでご飯運んでくれるんだから、ご飯をスーパーに買いに行く必要もなくなっちゃった。コンビニ便利ですね。コンビニまでご飯を買いに行く必要もなくなった。家にいながらね、好きなネット配信者のゲーム配信を無料で見ながらハンバーガーを持ってきてもらって、洗濯物もボタンを押せば洗ってくれる。暇ですよね。

松岡大樹(note)『これからの時代に必要な力』
(2024年10月19日)より引用
https://note.com/amaterasmuraoka/n/nb328d6fb4dd1

この【課題を自ら設定する力】が必要という投稿を見て、僕が最初に思い出したのは再び山口周さんの著書『ニュータイプの時代』で書かれていた一節です。

 これまで長いこと、私たちの社会では「問題を解決できる人=プロブレムソルバー」が高く評価されていました。
(中略)
 しかし今後、このような「問題解決に長けた人」はオールドタイプとして急速にその価値を失っていくことになるでしょう。
 ビジネスは基本的に「問題の発見」と「問題の解消」を組み合わせることによって富を生み出しています。過去の社会において「問題」がたくさんあったということは、ビジネスの規模を規定するボトルネックは「問題の解消」にあったということです。だからこそ20世紀後半の数十年間という長いあいだ「問題を解ける人」「正解を出せる人」は労働市場で高く評価され、高水準の報酬を得ることが可能でした。
 しかしすでにメガトレンドの項目で説明した通り、このボトルネックの関係は、今日では逆転しつつあります。つまり「問題が希少」で「解決能力が過剰」になっているということです。

山口周『ニュータイプの時代
p.36より引用

「問題」は理想の状態とのギャップのことで、「課題」は問題をクリアして理想の状態に辿り着くための道筋のことなので、両者は表裏一体です。

お二人は「問題」にしても、それを解決するための「課題」にしても現在わかっているものに対し「解決する」ことは溢れかえっていて、新たに「発見」したり「設定」したりする方が希少だとおっしゃっています。

さらに最近読んでいた本で水野学さんの著書『「売る」から、「売れる」へ。水野学のブランディングデザイン講義』にも、まるで似たようなことが書かれていました。

 というのも、世の中にはいま「問題を解決する能力」を高く評価する風潮があります。ビジネスの世界でもソリューションと言ったりして解決策が重視されている。
 でも、じつはいま本当に必要なのは「問題を発見する能力」のほうじゃないかとぼくは思っています。
 だって、なにが問題かがあきらかになっていたら、人が集まって知恵を出し合えば、たいていのことは解決できるから。いまの時代は問題を解決するより、見つけることのほうが難しいんです。
 じゃあ、どうやって問題を見つければいいのかというと、ポイントは「受け手側」で考えることにあります。

水野学『「売る」から、「売れる」へ。水野学のブランディングデザイン講義
p.73より引用

この本の初版は2016年ですから、水野さんの慧眼にただただ驚くばかりです。

僕の実体験としても「新たな問題を発見する」「課題を自ら設定する」という行為が高いリターンをもたらすことは実証済みです。2009年から15年間フリーランスとしてやってきたので、価値のないことをやっていたら持続不可能だということを身をもって知っているからです。

水野さんの引用の最後に、

 じゃあ、どうやって問題を見つければいいのかというと、ポイントは「受け手側」で考えることにあります。

とありますが、僕がクライアントワークの柱としている仕事が「UX(ユーエックス)デザイン」です。User eXperience ユーザー体験のためのデザインのことで、水野さんの言う「受け手側」で考えることがそのまま肩書きになったような仕事です。それまでWebデザインやWebプログラミングを主業務としていましたが、UXデザインに注力するようになってから劇的に成果が上がるようになりました。だから「受け手側」で考えることの価値の高さを自信をもってお伝えできます。

脱線したので話を戻しますと、上で引用してきた実力者の方々みなさんが「問題の発見に希少価値がある」「課題設定を自分で行う必要がある」ことが重要だと認識しており、それが仕事の話に留まっていればまだよかったかもしれないですが、

これからは人生において問題発見や課題設定することがその善し悪しを大きく左右する

という事実です。仕事のことだけではなく、人生においてなのです。

なぜこれが大変なことかというと、多くの人、おそらく9割以上の人は問題発見や課題設定の方法論を学んだこともなければ、意識して取り組んだことすらないと考えられるからです。

仕事でいえば「問題発見」というのは事業を立ち上げるか否か、プロジェクトをやるか否かという根っこの部分です。当然、経営者や役員、プロジェクトリーダーなどの組織でいう最上位層が担当します。課題設定も同様ですね。問題発見や課題設定のためにわざわざ非常に高い報酬を払ってコンサルタントを雇うくらいですから。

あまり脅かしたくないのでフォローをしておくと、

多くの人は問題発見や課題設定に触れる機会が少なく、問題解決ばかりする環境に長くいたから不慣れである

ということです。学校教育が最たるもので、「答えのある問いを解かせて採点する」という授業が大半なので、「問題に正解する」という能力ばかりが育ちます。だから無理もありません。

これが企業で従順に働く労働力を作りたいから意図的に行われているのか、それとも国民全体の底上げをしたいからそうなったのかわかりませんが、結果として多くの方は「問題に正解する」、つまり問題解決タイプとして育てられているのです。

問題解決タイプが染み付いてしまうと、たとえば「人生、どうしたらうまくいきますかね?」と質問してしまったりします。

  • どうしたら成功できますか?

  • 幸せになるには何をしたらいいですか?

  • 私は何をすると良いと思いますか?

こういうことを聞く人って意外と多いらしいのですが、成功の定義も、何に幸せを感じるかも、何をしたいのかも全部自分で決めることです。この「決める」という思考が奪われているといえます。

セクション2が長くなりすぎたので(つい熱が入ってしまうテーマなので)これくらいにしますが、一度「問題解決タイプ」に偏って教育された多くの人が「問題発見タイプ」にチェンジするのはそれなりに大変ということです。

理由3:天国に生まれて、あとは失っていくだけだから

「いきなり何の話だ?」と思われても無理ないのですが、これは岡田斗司夫さんと山田玲司さんの対談から引用させていただきました。

(10:53あたり〜)
岡田斗司夫さん(以下「岡」)このヌード、裸、セックスの動画が見れるのが子どもの頃からあるって、すごい難しいですよね。想像できない。
山田玲司さん(以下「山」)そうですよ〜、だってどこに旅に出てったらいいかわかんないじゃないですか。なにを探しに行ったらいいのか。
岡:でも逆に言えば「天国に住んでる」のに、みんなは!
山:(笑)それは…
岡:天国に住んでる!天国に住んでるのにぃ〜 だってポケットからなんか透明なっていうか黒い板(注:スマホ)出したら、ツルツルしたやつ出したらなんでも望みが叶うのに、なんで死にたいの??って
山:それはね、岡田さんの代からすると「たどり着いた天国」ですよね。
岡:はいはいはい。
山:でも天国に生まれた場合は、あとはだからもう「なにを失うか」しかないんじゃないですか。だから不安に怯えて、「これが無くなったらどうしよう?」「これが無くなったらどうしよう?」というマイナスなんですよ。減点ですね。
岡:僕らはあれですよね、無くなっても「ピザというのがどんなのかわからない」あの時代に戻るだけだと思うから、ちょいワクワク感があるんですよね。
山:強い!
岡:「文明崩壊後どうやって生き残ってやろうか」というか、それはそれで楽しみというかゲームチェンジがあるだけなんだけども。
山:だから「クリア後のRPGの世界」、まぁ(葬送の)フリーレンがそうですけども、そういう感覚の中で「この後きっとあれも無くなる、これも無くなる」っていう感覚の中にいるんじゃないですか。実際日本いまそうなってますからね。それを楽しめないんだろうなと思いますよ。
岡:言われてみればそりゃあ楽しめないな。なんでわかんなかったんだろう、俺バカだな。
山:なに言ってんですか(笑)
岡:いや、ほんとに(笑)
山:それは世代です。
岡:世代なのかぁ〜。

対談・山田玲司 希死念慮と反出生主義とドゥーマー 岡田斗司夫ゼミ#521(2024.2.18)
より引用

(19:52あたり〜)
岡:だから「全部揃ってるはずのものが、こっから先も続くはずがない」とか、その中で自分が幸せでいられないコンプレックスみたいなものってあるのかな?
山:だからその、見えないところがあればまだ「あの森に行けばなにか楽しいことがある」とか、「あっちの道に行けば俺は矢沢になれるんじゃないか」とかそういう誤解の元に生きてたじゃないですか、昔。
岡:はいはい。
山:みんながどっかで矢沢になれるんじゃないかっていう部分を残していくじゃないですか。だけど今はそのネットで全部わかったような気になるから、「矢沢にはなれないな…」っていうところから始まる。だから「あの森にもこういうことがあるんだよな」っていう、大体こういうことになってんだろうなっていう。
岡:あぁ〜、うんうん。
山:だからほとんどのマップがあらかじめ見えている状態の中で、自分の大きさまでわかってる。恐ろしいですよね。だから「YouTube始めたらいいじゃん」って始めた途端に「登録者7人」とかって、「俺はこれだけの価値…」ってなるわけじゃないですか。だからそうすると自分のランキングがすぐにわかってしまうから、ランキング主義で生きてたら「俺は生きる価値ない…」ってところに直結してしまいますよね。

対談・山田玲司 希死念慮と反出生主義とドゥーマー 岡田斗司夫ゼミ#521(2024.2.18)
より引用

若者の感覚としてこれほどしっくりくる分析もなかなかないです。僕も実際に20代の大学生〜就職したての若者にどういうことを考えているのか聞いたり、10代の子どもと日々接しているので「あぁ〜、そういうこと言ってる」と強く同意します。

どおりで冒頭のような「若者はたるんどる!」といったことを言う人たちと話が噛み合わないわけです。今の若者たちが「すべてが揃っているスタート地点から失うばかり」という感覚なのであれば、この豊かな(はずの)社会が実は生きるに大変な世界というのも頷けます。(もちろん全員がそう、とは言い切れませんが)

ということで、食うに困らず、物にあふれ、情報が無料で手に入る豊かな(はずの)時代に、なぜ人々は苦しむのかをまとめると、

  1. 今が「かつてない難しい時代」だから

  2. 人生の課題設定や問題発見を一人ひとりがやらねばならなくなった

  3. 天国に生まれて、あとは失っていくだけだから

このような見解となりました。

総じて「環境が極めて悪い」というのが結論です。

これは若者に限らず、現代に苦しんでいる人々誰もが「その人たちの責任とはとても言えない」状況を表しています。


さて、今回の記事としてタイトルは回収しているので、これで終わりでもいいのですが、「そっか… つまり絶望やん…」となって終わるのもどうかと思うので、僕も実践している打開策をいくつか提案してみたいと思います。

打開策1:自分と他人の課題を分離する

これは岸見 一郎さん、古賀 史健さんの著書『嫌われる勇気』で紹介されている「課題の分離」というアドラー心理学の考えを元にしています。

「課題の分離」とは、他者の期待に応えようとするのではなく、自分の人生の課題と他者の課題を分けて考え、自分が責任を負うべきことに専念することで、他者に振り回されず自分の生き方を確立できる考え方のことです。

今回話題にした多くの問題の根っこには、「自分と他人の課題をごっちゃ混ぜにして考える姿勢」にあると考えています。

同書の中でも

アドラーは「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」とまで断言しているのですから。

岸見一郎、古賀 史健『嫌われる勇気
第二夜 すべての悩みは対人関係 より引用

と書かれていますし、その内訳のほとんどは自分自身のことではなくて他人の考え方や行動についてだそうです。これは「他人の頭の中」なので、はっきり言って変えることができません。

まずはこの「自分と他人の課題を分ける」ことができないと、他人からの目、非難、失敗へのあざけり、恥に感じる、迷惑をかけるといったことが気になって、新たな問題を見つけようとしたり、自分なりの課題を設定したりなどとてもできません。

実際に他人はそう思っていなくても、自分が「そう思われるはずだ!」と思い込んでいたらもう行動できないのです。

この本、国内300万部、世界では累計1,000万部を超えるというとてつもない売れ行きで、僕はいろんな本屋によく行きますが、いつも店頭のベストセラーコーナーの目立つところにあるんです。刊行してもう10年ですよ。

でもそれも納得です。僕もそれなりに長く生きてさまざまな経験をしましたが、本当にアドラーの言う通りあらゆることが「対人関係の悩み」に終着し、それはつまり「自分と他人の課題を分離できない」ことに起因することがほとんどです。

社会における自分の価値をランキングに当てはめ、「生きている価値ないわ」と思うのも、「他人の課題で自分を断じているから」です。
それは本当にあなたが設定した「自分の課題」なのでしょうか?

自分と他人の課題を分けられない人は、実は優しい人が多いです。人の痛みも敏感に感じ取ってしまうから、「我がこと」として受け取ってしまう。でもあなた自身に真っ先に優しくできるのは誰でしょうか? あなたしかいません。だからまず、他人や世間の望みではなく「自分の望み」に目を向けてあげてください。自分に優しくしてあげてください。

「課題の分離」の具体的方法はぜひ『嫌われる勇気』をお読みいただきたいですが、1例を見るだけなら以下の投稿が参考になるかもです。

打開策2:学んで楽しいことを学ぶ

「お金になること」「目的がはっきりしていること」「人に説明できること」確かにこういった学びも大事です。

しかしあなたが楽しくなければ、長い期間それに取り組むことは不可能でしょう。そもそも楽しいから学べるという順番が本来な気がします。はっきりと「楽しい」という感情でなくても、「ついやってしまう」「それをやるのが好き」といった動機でもOKです。

ただこれが意外と難しいのが現代であって、だから今回の投稿を書いているのですが、たとえば「絵を描くのが楽しい」としましょう。もはや学びというより、とにかく描くのがなんだか楽しい!と。つい描いてしまうんだ、と。

そんな人に投げかけられがちな言葉が、

「絵なんて描いて儲かるの?」
「絵を描くってことは漫画家志望? 今たくさんいるよね?」
「今から絵を描くって… 生成AIって知ってる? アレがすっごい綺麗なイラストを瞬時に描くんだよ? 人が描く意味なくない?」

こういったものです。

ちなみに僕もついこないだから絵を描き始めました。iPad AirとApple Pencilを買って、イラスト学習本を見ながら描いてます。結構楽しいです。

僕は生成AIも使っているのでそちらで絵を生成することも多々あるんですが、比較したらそりゃAIの方が速いし、クオリティも高いし、ある程度思ったような絵になるのですごい。

でも自分で絵を描くという楽しさ、ひどいレベルの絵が(笑)少しずつ上達していく楽しさには代えられないんですよね。それが「人生を楽しむ」ということに他なりません。

こういう「楽しんで学ぶ」「楽しんで仕事する」といったことが、これからの時代を突破する鍵になると考えています。これを「収入を上げるのを諦めた人の遠吠え」のように捉える人もいると思いますが、実際に起こることは真逆のことなんですよね。楽しんでやっている人が収入も上がっていく

こんな皮肉なことはないですが、これからどんどんこのような人が増えると思います。

打開策3:人からの頼まれごとをこなす

さて、ここにきて打開策1〜2で挙げた方向性と逆のようなことを書いてますが、打開策1で引用したアドラーも「自分と他人の課題を分けろ」とは言っていますが、「自分と他人の関係を絶って一人で生きていけ」とは言っていません

むしろ「共同体感覚」という概念で、他人との良好な関係を薦めています。他人の課題を背負う必要はありませんが、他人のためになることは積極的にやろう、という姿勢です。なぜならそうした他者貢献が結果的に自分の居場所をつくり、そうなると「孤独」になりません。

社会の中でひとりぼっちだ… という感覚が人を死に追いやります。誰の役にも立たない、生きている意味がない、という感覚です。引用した岡田斗司夫さんと山田玲司さんの対談動画で語られていた内容ですね。

「孤独」を回避するのに最も手っ取り早いのは、人からの頼まれごとを引き受けることです。

社会学者の宮台真司さんは、

友達を作りたければ、困っている人を助ければいい

といった趣旨のことを話されていました。

これはつまり、他人と仲良くなるにはその人の困りごとを助けるのが最善ということです。それはそうですよね。自分を手助けしてくれる人を悪く思う人はなかなかいません。

ここで面白いのが、打開策1と2を実行した結果、この打開策3ができるようになるんです。他人の考えに囚われず、あくまで「自分の課題」に集中し、楽しくできる学びや仕事に時間をかけると、いつの間にか「特定のことに関して異様に詳しい人」になっていたりします。

困っている人というのは、そういう人に頼みごとをしたいのです。

打開策3で「実際に起こることは真逆のことなんですよね」と書いたのはそういうことです。楽しんであることに集中した人が、結果として人の役に立つ。人の役に立つから、経済的にも豊かになっていく。こういった現象を信じられるか、信じられないかが人生を左右していきます。

打開策4:お金を稼ぐこと(ライスワーク、クライアントワーク)と楽しいこと(ライフワーク)を両立する

以前このような投稿を書いたら、反響がそれなりにありました。

詳しい内容については記事を見ていただくとして、ポイントなのは

お金を稼ぐことと楽しいことは、どちらかだけではなく同時並行する

ということです。

生きるためにお金を稼ぐことは必要なことですが、ほとんどの人はお金を稼ぐために生きているわけではありません。どんなにお金を稼ぐことが大変でも、だからこそ「楽しむこと」を放棄してしまうと、ある日唐突に「あれ、なんでこんな頑張って働いてるんだっけ…」となりかねないからです。

「楽しむこと」を金稼ぎを犠牲にしてまで無理してやれ!と言っているのではありません。些細でいいから、忘れずに楽しもう!ということです。

「楽しむこと」ってしばらくやらないと忘れてしまうんですよ。

怖いことです。

打開策5:緊張、プレッシャー、恥をかく、フラれて傷つく、人と関わる・面倒を見ることを「避けるべき最悪なこと」ではなく、「得難い思い出と経験値」という認識に変換する

最後に長々としたタイトルを書きましたが、嫌だな、面倒だなと思うようなイベントを、「あんなことあったよなぁ、ホント大変だったわ〜」とあとで思い出として振り返るだろうものとして捉え直す、ということです。

「そんなことできるか!」と怒られそうですが、そう思える1つの方法があります。

「自分の人生が終わる日」に思うことを想像することです。

これは僕もよく引用する、Apple創業者 スティーブ・ジョブズ氏の有名なスピーチから来ています。

(8:17〜)
3つ目の話は「死」についてです。

17歳の時に、こんな言葉に出会いました。
「毎日を人生最後の日であるかのように生きていれば、いつか必ずその通りになる」
それは印象に残り、それ以来33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問いかけてきました。
「もし今日が人生最後の日だとしたら、私は今日予定されていることをしたいと思うだろうか」と。
それに対する答えが「No」の日が何日も続くと、何かを変える必要があるなと気がつくわけです。

「もうすぐ死ぬ」と覚悟することは、人生で大きな決断をする時に最も重要な道具です。なぜなら、ほとんどすべてのもの ー 他の人からの期待や、あらゆる種類のプライド、恥や挫折に対する恐怖 ー これらは死を前にしたら消えてしまいます。そこに残るのは、真に重要なことだけです。

死を覚悟して生きることは、何かを失うと考えてしまう落とし穴を避けるための、私が知る最善の方法です。みなさんは初めから裸なのです。
自分の心のままに行動しない理由はありません。

世界に共通する「絶対的な法則」を見つけるのは至難の業ですが、1つだけ誰もが確信をもって言えるのが「必ず誰もが死ぬ」ということです。

僕も、これを読んでいるあなたも、最後には必ず死にます。それが終着点であることは今からでもわかっている事実です。

オーストラリア人のブロニー・ウェア氏は、緩和ケアの介護者として数多くの患者を看取ってきた中で、余命数週間の患者たちに人生で後悔していることを聞いていました。それを引用した以下の本を紹介します。

最大の後悔は、「勇気を出して、もっと自分に忠実に生きればよかった」であった。
 人々は、自分の夢を実現できなかったことを後悔していた。自分の心の声に耳を傾けず、誰かに用意された人生を生きていると、人生の最後に大きな後悔を抱くのかもしれない。
 多くの人々が、人生の最後に「働きすぎなければよかった」と後悔するのもそのためだろう。よく言われるように、「人生を振り返ったとき、オフィスで長時間を過ごさなかったことを後悔する人などいない」のである。
 実際、ウェアが患者から聞いた後悔のなかで2番目に多かった(男性の患者では1位だった)のは、「働きすぎなかったらよかった」だ。これは、まさに私が本書で主張していることの核心だとも言える。
(中略)
 さらに、働きすぎは後悔しても、一生懸命に子育てしたことを後悔する人はいなかった。多くの人は、働きすぎた結果、子どもやパートナーと一緒に時間を過ごせなかったことを後悔していたのだ。

ビル・パーキンス『DIE WITH ZERO ゼロで死ね 人生が豊かになりすぎる究極のルール』
p.194 より引用

人は誰しも最後は死ぬ、という話をすると、肯定的に捉える人と、「じゃあ何をやっても意味ないやん」と否定的に捉える人に分かれます。最後にすべて失うのだから、頑張って生きても、長く生きても意味がないと。

そう否定的に捉える人には、よく考えてほしいんです。あなたの命は確かに終わるかもしれませんが、本当に何もかも消えてなくなりますか? そのように「ひとりに閉じて」考える時点で、あなたの孤独が伝わってきます。辛かったですよね。

でも本当はあなたは一人ではない。

ここまで述べてきたように、社会の環境は非常に厳しいです。だから孤独だったとしても、それはあなたのせいではないんです。まず、「自分のせいだ」という重荷を肩から降ろしましょう。

その上で、あなたの人生に「小さな波紋」を起こして、これまでとは違う変化を起こしていく起点は、やはりあなた自身です。これは誰も肩代わりをしてあげられません。するべきでもない。

ここに試練はつきまとうでしょう。タイトルに書いたように、緊張、プレッシャー、恥をかく、フラれて傷つく、人と関わる・面倒を見る、といったその時は大変なことには何度も直面すると思います。

僕自身もたとえば初めて会うお客さんと面談してお仕事の依頼をいただこうと試みるときとか、たくさんの人の前でプレゼンすることになったりすると緊張しますし、胃のあたりがキリキリしたりします。親や子どもに理不尽なことを言われたりして「ぐぬぬ…」となることもあります。

でもそのたびに、

「いや、こんな心臓バクバクするような緊張とか、子育ての大変さとかを味わえる時間は長くない。何度もやって慣れてしまったり、老年になったらもう2度と味わえない。だからものすごく貴重な体験なんだ。だからこの体験をしっかり噛み締めておこう」

こう捉え直しています。

もちろんそれで緊張がほぐれたりするわけではないですが、気持ちはとてもポジティブになります。「恐れることはない!」っていう感じですね。それでなんとか乗り切った時は、「あぁ、挑戦してよかったなぁ」と思います。

それが積み重なっていくのが人生であり、最後のとき、その悲喜こもごもの思い出を指折り数えるのは最高の瞬間だと思うんですよね。「やりきったなぁ」って。


ということで大変長くなってしまいましたが、最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

大変な時代ですが、一人でも人生に向き合い、楽しもうという人が増えたら嬉しいです。

こんな時代に生きていくためのマインドや具体的な方法論を書きためていくメンバーシップもやっているので、ご興味のある方はどうぞ。

それでは、また〜。

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