バーベンハイマーの炎上で観ないのは勿体無い。『オッペンハイマー』『バービー』
バーベンハイマー? が日本で大炎上?
映画『オッペンハイマー』『バービー』を合成したものって何?
ひゃあー、これは!
私は、なんだこれは? と唖然となった。
インフルエンサーが、日本人たるものこれらの二つの映画を見てはダメ、と叫ぶ動画などを出してくるにあたっては、かなり驚いた。監督達が気の毒である。
同じクリエーターとして黙っていられない。
炎上? まず何が起きたか?
映画ファン(!?)がオッペンハイマーと、バービーを組み合わせた合成写真を作った。
バービーの頭の髪の毛の上がチリチリになってキノコ雲にとか、オッペンハイマーが肩の上に、バービーが乗って、後ろが火の海とか。(要するに原爆の中らしい)
かなり酷いジョーク画像を作り映画宣伝のために盛り上がろうとしたらしい。バーベンハイマーのハッシュタグをつけて、映画を見に行こうと呼びかけた。(映画配給会社の人の仕業である可能性もあるよね?)
その頭の悪いファンのTwitterに(今はXか?)、映画配給会社ワーナーブラザーズの公式アカウントがいいねをした。そして、バービーと原爆のきのこ雲の画像を絡めた投稿に「忘れられない夏になりそう」とハートの絵文字を添えて返信をした。
これ、私は真面目に驚いた。
当然、そこは無視するところをいいねをして、返信ツイートまでしてしまう、アメリカのPR担当者。(💦)
もちろん日本人は気づいて炎上。ワーナーブラザーズ ジャパンに非難、怒りをぶつけた。それを受けて日本側ワーナーブラザーズは、アメリカ側に、謝罪を当然要求。
そして、最終的にはアメリカ側が日本に来て、謝罪したというのが全ての経過。
ここで問題になるのがこれ。
欧米では原爆被害、加害軽視は当たり前なのか? ということ。
それは、そうなのだと思う。
いまだにアメリカは原爆を落としたことで戦争が終わったと思ってる人も多いし、原爆でどのくらいの人数がどう亡くなったのかは知らない人が多い。大量殺人であるということも意識にない。
そして驚いたことにアメリカ側のマスコミは、日本人、こんなことでと大騒ぎしすぎという記事を書いたりしていた。
でも、この画像はジョークじゃないよというのが、日本人の意見だと思う。(日本人じゃなくてもわかる人はわかる)
戦争では加害国でもある日本ではあるけれど、原爆を落とされるというあってはならないことを経験した国。ここで怒らなかったら、やばいと思う。
原爆の恐怖は私たち日本人と外国人にとってはだいぶ違う。
どのくらいの威力を持ってるのかの想像、要するに単に運の悪い人たちはすぐに死ぬのだろうという程度かもしれない。
日本人にとっては、ユダヤ人にとってもホロコーストと同じ意味合いなのであるけれど(!)そういう事が、わからないのかもしれない。いやわかっていても、アジア人軽視というのもある。ナチのTシャツには大騒ぎしても、キノコ雲に関してはまぁ、いいか。(って?)
第二次世界大戦から、75年経ってもお互いへのギャップは埋まるどころか、より、記憶を失い原爆軽視をする輩まで出てくる事態なのが、この世の中の現実である。
だからこその、『オッペンハイマー』なのである
一言先にいっておくと、まずは反核の映画だということ。
原発の父と言われるオッペンハイマーの伝記だが、見終わった時は、何か巨大なものに押しつぶされたように私はなり、打ちのめされた。そのくらいの強いインパクトの映画だった。
私は、この科学者のいかれぶり、二重人格ぶりに、心底疲れた。
そして日本へ原爆を落とした時のアメリカ人の熱狂的な歓喜。
あるいはアカデミー内でのやはり、彼へ向かってのアメリカ学会内の二重人格ぶり。あれだけ国のために上手くやったと褒め称えたオッペンハイマーへの仕打ち!
(この部分があってこその反核の映画)
国というシステムの動き。
そして、科学者とはなんだろう? 科学とはなんだろう。というテーマがこの映画の奥に横たわる気がする。
科学と、国が結びつくのはどうなのか? そこをアインシュタインがオッペンハイマーに警句を発するシーンがある。とても秀逸。
残念ながら、オッペンハイマーはその時点ではわからない、
そういう細部が細かく描かれていた。
彼も忠実なアメリカ国民であり、アメリカのために、戦争を終わらせるためにと信じて先へ先へと原爆を作ったのだった。
新しい武器を手にすれば? 他の国はそれを彼らが持ってることがわかると、戦争をやめると単純に考える、そういう頭を政治家たちに植え付けられ、科学者たち全員でもって推進したのだ。それも、ナチの行進止めるために。ところが、政府はそう動かない。
科学者がドイツへと向かって作った原爆は、日本へ落とされる。それも実験だ。二種類の原爆が落とされたのだ。政府の思惑と、科学者の考えは常に違う。
私の周りのシンプルで、高学歴の方々の人々の頭の動きと重なり、大層辛くなった。
今戦争がヨーロッパで起きてる最中だからこそ、そして核の脅威に世界がさらされているからこそ、クリストファー・ノーラン監督はこれを作ったのだ。
いろいろ言いたいことを言う人はいる。
日本にあった原爆の惨事がもっと映像的に明らかにされるべきだとか。
でも、アメリカにいるオッペンハイマーがどうその原爆の被害を想像できただろう? この映画の主流はトリニティ実験である。
視点は欧米からのものではある、なにせオッペンハイマーの伝記である。
そして、これはイギリス人のクリストファーノーランが作った映画である。
私は、被害者にあえて白人の自分の娘を使ったりして肌の皮膚が剥がれるようなシーンを入れるとか、なかなかその辺りは白人に向けてきちんと作ってると思った。
これの役が、アジア人だったら、ダメだった。何せ上にも書いたように世の中は人種差別というものがあり、いまだに黒人、黄色人種を差別する人は多いのだから。それでやったら共感しないだろう。それではダメなのだ。だから白人なんだと思う。
この部分だけでも、これは反核の映画でもあるとはっきりわかる。
日本の広島、長崎の惨事をもっと訴える核の映像を作りたい人がいるなら、そこを焦点にして日本人が作ればいいと私は思う。
漫画だけではなく、本気で作ったら作れるのではないだろうか? ドキュメンタル風でもいいし。
そしてこれらはアメリカ人や白人の世界でもとても響いた作品であると思う。もちろん、日本人の私たちにはとても複雑な感情を呼び起こされるのは必須である。
というわけで、私にはこの映画はかなり手応えがあり、日本人は特に見ておいた方がいい映画であると、心から思った。
Barbieは、フェミニズムの映画であると同時に、次の手をとり合う世界の模索
ひとことで言えば、日本とは違うタイプのフェミニズム映画。
日本では滑り出し不調と言われているけれど、う〜ん。上の炎上もあるかもしれないけど、
これは男性にも女性にも見てほしい、映画だと思う。
ネタバレ、バービーのあらすじ
バービーワールド! ここにはあらゆるバービーがいて、バービーたちが完璧な女性主流の世界を作っている。ある時、一人のバービーが老化の予兆を体に見て人形ワールドの外に出ると、男性が主流の現実世界が待っていた。ケンはそれに大いにうなづき、いち早く人形ワールドに戻りケンワールドを実現していく。
そこへ帰ったバービーがみたケンワールドにいたのは、ケン達にだらしなくもたれ掛かり忖度する、元大統領のバービー、元シェフのバービーたちだ。
自分たちが何ものだったのかをすっかり忘れたバービーたち。
それをなんとかしようと格闘するなかで、現実社会のバービーの会社の役員たちも人形ワールドの中に入ってくる。
ケンにもバービーにも良い世界を作りたいという方向になっていくのが面白い。
エンタメに作られているのだけど、日本風の古いフェミニズムではなくて、今欧米で主流のフェミニズムに貫かれているところに注目。
真面目に、えいえいえいやー、男を倒して、(どこの時代だ?)いう感じではなくて、みんな楽しく、自分らしく生きていこうね〜という監督の考えをバッチリ受け止めました。
とてもパワフルな映画だと思う。
シーン的に言えば、ケンが最高の方で、歌うところのあたりは最高だった。(さすがミュージカルの国だ)
できたら若い人はカップルで見にって欲しいと思う。そこで議論になって別れるカップルがいてもそれはそれでよし、次、分かり合える人が出てくると思う。
この映画を日本人が見なくて得をするのは誰?
それは置いておいて、さて、それで、この件で得する人は誰、と私は考えた。
ワーナーブラザーズは、売るつもりが、いいねを押して墓穴を掘り、おそらく日本での『バービー』の売上は考えていた程には達しないと思う。
そして『オッペンハイマー』は、日本ではクリストファー・ノーランのファンが多いにも関わらず、なんとなんとの未公開である。公開はいまだに決まっていない。
では得をするのは?
『バービー』は、日本はジェンダー指数が125位というマッチョ国。フェミの入ったものを消し去ろうとする風潮さえある日本にとっては都合は悪い。
父親にレイプされた娘のケースが、父親無罪という日本国だ。
このバービーの中でいえば、ケンワールドそのままの国である。
原爆を扱った、『オッペンハイマー』、こちらは、日本の歴史にとって原爆が落ちた日や、福一の汚染水を外に出したりが密かに話題の、8月に世界で公開。
人々をコントロールする側からしたら、こういう映画が現れて、デモでも起きたら面倒くさそうである。
どちらの映画も、公開しなくて得をするのは日本政府しかない。(あっ、外国の政府も得する方々はいるか?)
隠蔽工作や、映画をフルで見せないとか、そういう工夫をやたらする我が国の方から、映画配給会社に司令でも来ているので未公開なのかと、真面目に妄想。(妄想好き……)
あるいはいつもの得意な忖度が働いているのか?
今この二つの映画が作られたのは?
日本への原爆投下の意味は今や失われている。すでに日本が送った手紙はついていて、戦争は日本の敗戦で終わっていた。
それなのに落とした理由は、原爆の実験だったから。するなら、同じ人種ではなく、アジア人! (←ここ)
この辺りはアメリカの極秘資料は50年たって公開されているので誰でも調べればわかること。
それでも日本へ核を落として正解だったと思うアメリカ国民がいまだに56%いることなどを踏まえながら、核とはなんなのか、なぜ作られたのか?
核を作ったオッペンハイマーはどう信じて作ったのか?
後悔したのか?
その辺りをこの映画は丁寧にシリアスに魅せている。
欧米でこの映画を見て、核への考えを変えた人は多いと思う。
ウクライナ戦争が始まり、この核の脅威は、冗談ではなく真剣に議論する時が来ている。
この核の脅威に晒されてる中で、作ったクリストファー・ノーランは、やはりすごいと思う。(ロシアが核がと言い出した時、英国の首相が、こちらも打ち返すと言ったのは去年だ)
これは核はこの世の中に本当に必要だったのか? そこまで遡って描いている作品なのだ。
ちなみに、現実での核共有での争いはこちら。NATOは核共有良くて、なんでロシアと他の国ではダメなのという話らしい。
世界にとって一番いいのは、核を無効化する何かの武器だ。
誰か、科学者いたら、ぜひその核無効化の武器を作ってください。
また、原爆関連で炎上させたい人のためのおすすめ映画は、
『アステロイドシティ』でお願いしたい。(ここには原発実験がまさに出てくる。それもとても何度も軽くキノコ雲で。背景として)
炎上は、核をストップする方向の議論にいくためのものであってほしいと心から思う。
NO NUKESの世界が来ることを強く望む。