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「やりたい」ことを見つける前に「やりがい」について考える

「やりたいことがない」という人は、自分の中にモチベーション(動機)になるものがなかったり、感じたことがなかったりするのだと思う。

何かをやったときに感じる充足感や達成感。これが強いことに対しては「また次もやりたい」、「もっと上手くなりたい」とその充足感や達成感を得るために続けたくなるもので、それが「やりたい」の動機となる。こういうものを内的動機というそうだ。

たとえば、
「目標を達成したい」という達成欲、
「競争に勝ちたい」という競争欲、
「人に感謝されたい」という感謝欲などがある。

こういう動機がない人が、「やりたいことがない」と思うらしい。
そうやって、動機が内側にないならば、外に求める方法を考えてみたらいいと思う。
つまり、自分の中に動機がないなら、他の人に対して、「やりたい」と思うことをする。

仲のいい友達、尊敬する先輩、好きな人、配偶者、自分の子どもなど、自分にとって大切な人のために何かする。

たとえば、「好きな人が喜ぶ顔をみたい」というのは意外と強い動機となる。これは「やりがい」となりうる。

今やっている仕事でも、好きな人と週末デートするためになら、残業や休日出勤をしないように必死で働く。そしてデートのための給料を稼ぐ。
そうすると今やっている仕事がやりたいことかどうかわからないあいまいな感じぐらいなら、結構続けていけると思う。

「お金」や「出世」という外的満足が当たり前だった時代から、今、「自分らしさ」や「自己成長」などの大切さが叫ばれるようになっているが、意外と「自分らしさ」を知るには時間がかかる。
「お金」や「出世」に興味がある人は、仕事に貪欲なので、人からの評価も受けやすい。人から見て分かりやすいのだ。しかし、「お金」や「出世」に興味ない人は動機を作りにくいので、結果的に仕事への積極性が弱くなり、評価を受けにくくなる。そして、自己肯定や承認欲求という罠にかかる。

さっきの内的動機は「自分らしさ」を作る要素のひとつではあるが、今の時代は欲求を持つ人と持たない人で二分していて、持たない人の方が、やりたいことがわからないのだと思う。

もしかしたら、「自分らしさ」を求める人ほど、何をやればいいかが分からないのかもしれない。

だから、ひとつの足掛かりとして、自分以外の人のためという「やりがい」から始めてみるといいと思う。

そうすると、本当にやりたいことは、その中でわかってくるはずだ。何気なく続けていた仕事だったのに、好きな人のために必死でやっていたら、知らないうちにスキルが磨かれ、知らないうちに達成感を感じるようになる。うまく行けば、結果的に人からの評価も受ける。仕事はある程度、できるようになったときに、本当に好きな仕事かどうかが分かる。
逆に、たとえ、好きな人のためであっても、どうしても、身につかなかったり、我慢できなかったりすることがでてくる。そういう「やりがい」を感じることができない仕事というものはわかりやすい。
それがどうしてなのかを考えたとき、自分の内的動機と照合すると自分の中の何かに気がつく。

だから、「やりたい」ことを見つける前に、自分の原動力として「やりがい」を見つけることのほうが大事じゃないかなと思う。
ただ、世間や一般社会でいわれているようなリア充的なひととのつきあいとかを望んでいない人の場合は、そういう指南書は見ないほうがいい。

でも結局、行動しながらでないと、自分のことはわからない。じっとひとりで考えてみてもわからない。
科学の実験でも、刺激が加わらないと何も反応は起こらない。だから、実験と同じだ。

だから、できそうなところで行動してみる。その行動の発奮材料として、「身近な大切な人や好きな人のために」をやるといいと思うのです。

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