つながりは、責任をともなう
「つながりは、責任をともなう」
ゲームクリエイターの小島秀夫さんが口にしたひと言が、今私が気になっているコトのひとつというか、自分の課題であるような気がした。
ゲーム「デス・ストランディング」のプロデューサーやデザイナーである小島さんはこのゲームを制作するとき、安部公房の短編小説『なわ』にヒントを得、世界や社会の分断が進む一方で、人と人のなかに生きづく「つながり(なわ)」をテーマにしようと考えたという。
ゲームに疎い私はそんなゲームがあることさえ知らない訳だが、紹介されていたものを見る限り、「つながり」というテーマがさまざまな人間の行動パターンや思考に派生した物語になっていて、未来的(というか、まさにコロナ禍の今)なストーリーでありながら、極めてプリミティブな内容だったりして、めっちゃ興味が湧いた。
話は変わるが、昨年末、神奈川医療少年院跡地にある仮囲いに、アートパネルを設置するプロジェクトが行われ、キャッチコピーやテキスト周りの担当として参加した。そのプロジェクトのテーマが「つながり」である。
少年院跡地の近隣にある小山中学校の生徒たちが考えたテーマで、コロナ禍であらゆる行事が中止になり、友だちや先生をはじめとしたさまざまな人との関わりが断たれたとき、改めて「つながり」の大切さを実感した、ということからの提案であった。
その「つながり」というテーマを、少年院とのプロジェクトに提案してくる彼ら彼女らに、周りの目を気にしがちな大人にはなかなか出しずらいテーマをいともたやすく出してくる柔軟さや、ひとつの包容力のようなものを感じて、未来は明るいかもしれない、と思った。
このアートプロジェクトの目的などは後日書くとして。プロジェクトはなんとか進み、11月26日に無事、施工完了となったのであった。
ただ、自分のなかで「つながり」ってなんなんだろう、という思いがずっとあった。私自身、これまでさまざまな人とのつながりによって、友だちができたり、仕事を頂いたり、家族ができたり、つながりの中で生きてきた。
一方で、人とつながることに興味がない私がいる。むしろつながる内容によっては、そこに属することを嫌悪する私もいる。だから、プロジェクトで「つながり」というテーマを掲げつつも、完全に同調していない自分がいて、不安だった。
で、今回の「つながりは、責任をともなう」である。
この言葉をベースにいろいろと考えてみると、私は人とのつながりで生まれた責任を「負ってやろう」と簡単に言うつもりがないから、つながりを安易に持ちたいと思わないのかもしれない。つながることで、なんでもかんでもそこに責任が生まれるなら、負いたくない。それはむしろ無責任ではないだろうか。つながりたいと思えるモノゴトなら、きっとそこには責任を負う覚悟をもってつながる私がいると思う。
そうだ。そういうことだ。ちょっと腹落ちした。
この「つながり」のプロジェクトも、小山地区の地域住民に、院に収容されている少年たちへの理解や、出院したとき彼らの戻れる場所を一緒に考えていこうという、少年たち側に寄り添った思考が中心になっているが、少年院と地域住民がつながることに「責任がともなう」と考えれば、今以上に地域住民側にも寄り添って考えなければならないのだよな、といろいろ考えてしまった。
まだ頭のなかでごちゃごちゃしていているのだけれど、とりあえず言葉にしておこう、という本日の日記。
デスストをプレイすることで、もしかしたらなにか更なるヒントが得られるかもなあ。生まれて初めて「ゲームしてみたい」と思ったかも。