ラクラク瞑想 -4-
☆ 心の動きを観察する
前回では、雑念が湧いてきた時に雑念を止める方法を説明しました。
今回は、今までの経験をもとにして、心の動きに気づいて観察します。
☆ 経験は人それぞれ、心配はいりません
瞑想を続けていると、雑念が止まる瞬間を捉えたり、あるいは見逃したり、それぞれの体験があった事でしょう。
繰り返し試すうちに、心に起きる事をその瞬間に捉える体験もあったのではないでしょうか。
変化がなかったとしても、どの時期に何を体験するかは人によってそれぞれですから、ご心配には及びません。
☆ 想念を観察する
今の段階では、想念が湧き起こっている自分自身を観察して、瞑想を体験的に知るというのが重要です。
雑念が湧いて止まらないから瞑想には向いていないとか、理解できないとか、諦めるのはちょっと待っください。
正しく集中していると、一瞬のできごとではあっても、心の動きをつぶさに感じ取れるようになります。
瞑想を続けながら、この集中した状態で心の動きを観察しましょう。
☆ 瞑想中に起きるプロセス
いつものように呼吸をしながら瞑想をして、鼻孔の下の小さな領域(上唇と鼻梁の間)に集中してください。
そして、その感覚を感じている自分の心の働きを観察しましょう。
☆ さまよう心
2、3回呼吸を観察すると、心はどこかにさまよっていってしまうのではないでしょうか。
そこで、もう一度呼吸の観察に戻ります。
呼吸に集中して観察すると、また、2、3回のうちに再び心はどこかにさまよっていってしまいます。
始めのうちは誰にでも、これが起こります。
しかし、次第に集中し続けられるようになり、呼吸は短く、微細で研ぎ澄まされたものとなってきます。
そんなとき、突如として心は過去の辛い出来事へとさすらいます。
苦しみを思い出し、怒りで反応し始めます。
呼吸は激しく、早くなります。
怒りが通り過ぎると、呼吸は平常に戻ります。
心に浮かぶ出来事が、情欲であったり、他の強い感情であったとしても同じことが起こります。
☆ それでも呼吸を観察する
このアーナパーナ瞑想では、ただ呼吸を観察します。
イメージや言葉を付け加えたりせずに、いつも通りに自然な呼吸を続けます。
付け加えて呼吸の練習にしてしまうと、心と体がいかに関係しているか、一方が他方にどれほど影響を与えているか、ということがわからなくなります。
呼吸は単なる体の機能ではないという事を、実際に経験して納得する必要があります。
☆ 感覚と心の動き
さて、呼吸が心にも関係していると実感できたならば、心がどのように働いているのかも見えてきます。
いつものように呼吸をしながら、鼻孔の下の小さな領域に集中して瞑想をして、起きる事が段階を追って進行していくのを感じられます。
まず、呼吸をしていると鼻孔の周りの空気が動きます。
この空気の流れが肌に触れると、身体の外の事象と感覚機関が接触し、その瞬間に感覚が生じます。
この感覚を心は察知して、心地良いとか苦しいとか、どちらでもないなどと評価し判断します。
そして、快いならば続いて欲しいと望み、不快ならば嫌悪し逃れたいと望みます。
これらの望みは、いずれにしても叶うとは限りませんし、仮に叶ったとしても永続しません。
望み通りにならないとなれば、快を渇望し、不快を嫌悪し、どちらにしても思い通りにはならない苛立ちと苦痛を感じる結果となります。
☆ 実体験で確かめる
さて、実際に瞑想中に体験した心の連鎖は如何だったでしょうか。
感覚が生じた途端に一瞬にして苦痛に至るまで反応を進めてしまい、段階を追っているとは気づかないかも知れません。
一つ一つの段階に気づくよりも早く通り過ぎて、ただ苦しいという感覚に溺れて居たりします。
☆ 7段階のプロセス
もう一度、事象が発生してから苦痛に至るまでのプロセスを箇条書きにすると、次の順になります。
1.事象が発生する。
2.事象が感覚機関に接触する。
3.感覚が生じる。
4.心が感覚を評価判断する。
5.心が快感の持続を求める、又は不快感を嫌悪する。
6.思い通りに快感が持続しない、または不快感から逃れられないという事実に気づく。
7.苛立ったり、苦しく感じたりする。
☆ 分析しないで感じとる
瞑想では、分析的な思考は妨げになります。
箇条書きにした各段階を、分析的思考で解析するのではなく、それぞれの状態に自分自身が今まさに在るのを、しっかりと感じとる事が重要です。
一段階ずつ状態が進行していくのを感じとります。
一瞬で通り過ぎるかのように見過ごしていた事が、実はいくつもの段階の集成であるという事実を観察します。
☆ 気づきの精密さ
前回では、意識の分解能という言葉を使いましたが、それはこの細かく段階を踏んで物事が起きているのに気づく精密さという意味です。
分析するのではなく、起きているその瞬間に事実を見過ごさずに、細部にまで注意を払っているという事です。
状態に名前をつけて概念として扱う思考は、瞑想ではありません。
その状態に在るときの感覚を注意して捉えます。
良質な集中によって、この注意はもたらされます。
この段階での瞑想は、この良質な集中を獲得する訓練になっています。
「雑念が湧くから瞑想が苦手だ」というのは言い訳に過ぎない事がわかるでしょう。
☆ 自分の意志で制御する段階
自らの心の動きをリアルタイムで感じ取れるようになると、心の動きを制御できるようになります。
外側で事象が発生する(第1段階)のは制御できませんし、感覚機関が事象に触れる(第2段階)までは事象に気づく事もありません。
ですが、心が察知する第3段階からは自身の内側、心で起きる事ですから、自分の意思を働かせて制御できます。
☆ 瞑想の練習段階が進む
さあここから、瞑想は次の練習に入る段階を迎えました。
心を制御するのです。
感覚が生じるところまでは、今まで通りです。
その感覚、痛いとか暑いとか色々ですが、感じたのならそのままにして、心地良いとか悪いとか評価しないでおきます。
そうして、快感の持続を望んだり、不快感を嫌悪したり、といった評価の後に連鎖する反応を起こさないでおくのです。
感じても、反応しない。
この練習を続けましょう。
☆ 想念にも反応しない
湧き起こる想念についても、反応しないで放っておきます。
事象に基づく感覚も、湧き起こる想念も、次から次へと発生します。
それでも、反応しないで放置します。
流す、手ばなすという表現も好んで使われますね。
☆ 執着しないで手ばなす
執着しないで手ばなす、これです。
いきなり完璧にはできないかも知れませんが、練習を続けましょう。
少しずつであっても、できてみると心が軽くなったような、清々しさを味わいます。
☆ 反応しないためのヒント
ここでヒントになるのが、前回お話しした雑念を止める方法です。
止まる瞬間を体験していただけたでしょうか?
ほんの一瞬でも止まったのを体験していれば、如何なる想念であっても止められるという可能性を信じられるでしょう。
そしてまた、感覚を評価しようとする心の動きにも同じように対処できるでしょう。
☆ 心の浄化へ
さぁ、瞑想しましょう。
軽やかな心は、日常を楽しく豊かにする事でしょう。
そして、良質な集中を続けられるようになったならば、瞑想の次の段階が待っています。
心の浄化と呼ばれる体験に進めるように、精進しましょう。
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