ラクラク瞑想 −2−
☆ 1分の瞑想は日常に取り入れやすい
前回の1分間瞑想は、いかがだったでしょうか。
仕事に掛かる前にチョット落ち着くとか、気分転換に気軽に瞑想してみるとか、短いだけに日常に取り入れやすいと思います。
☆ ラクに続けるために
とはいえ、何年も何十年も修行をする人があるように、本格的な瞑想はもっと長い時間をかけるものです。
そんなことが可能なのは、熟練者は瞑想していると気持ちが良いからなのです。
脳の研究をしている方のお話では、熟練者の瞑想中にはドーパミンと呼ばれる脳内ホルモンが分泌されているのだそうです。
ドーパミンというのは、向精神性薬物の一種で、薬品としては麻薬に分類される物ですから、これが自然に脳内に出てくるとなれば、気持ちよさそうというのは想像できるのではないでしょうか。
これは自然な身体の営みで危険は無いですし、もちろん合法的な行為ですから恐れる必要はありません。
聖者として尊敬を集めていたラム・ダス師も若い頃には、高価な非合法薬に手を出さなくても只でハイになれるという理由から、瞑想に興味をもったなんていう話も聞いたことがあります。
それなのに、始めたばかりの人にとっては、10分の瞑想でも苦痛になるほど長く感じられたりもします。
せっかくラクラク瞑想と銘打って始めたので、苦痛になる前にそのカラクリについて説明しておこうと思います。
☆ 苦手に思うのはありがち
試しにちょっと瞑想してみて良かったので、続けようと思われているとしたら、とても順調です。
いっぽうで、雑念が湧いてきて落ち着かなかったとか、何のためになるのか解らない、そもそも面倒くさいといった、批判的な気持ちが湧いて、意欲が萎えてしまった方もあるかも知れないと、心配もしています。
というのは、頑張って長い瞑想にチャレンジしたけれど、すぐに嫌になってしまうというのは、良くあることなのです。
苦手だと思っていた方は、以前にも同じ思いをして、続かなかったのではないでしょうか。
☆ 自我が働くとやめたくなる
瞑想しようとすると、やめたほうが良いという理由がたくさん思いついてしまうものです。
ある意味で、そういう方は勘が良いのです。
何故かと言うと、これから先に進むと自我を機能停止する事になるというのを、貴方の自我がもう感づいているのです。
そして、自我としては機能停止されてしまっては存在意義を否定されると捉えて、止められてなるものかと抵抗しているのです。
こういうのを、自我の防衛機制と呼びます。
☆ あしたから本気出す
自我が働いているうちは、瞑想を止めたほうが良いという理由がたくさん湧き出てきます。
たとえば、、、
・体のアチコチが痒くなったり、ピリピリしたりするので、健康に悪いのではないか。
・落ち着くどころか雑念だらけで、自分には向いていないのではないか。
・何も考えないなんて、思考停止でしかない。それでは馬鹿になってしまうじゃないか。
・私を騙そうとして、瞑想が良いなどと嘘を言っているのではないか。
・「本当の私」だなんて、そんな事は私が一番良く知っているに決まっている。騙されてはいけない。
・うまいことを言って、宗教に誘っているのではないか。
・大事な用事があるので、今は瞑想する暇はない。
。。。などなど、このループにハマると、キリがないでしょう。
☆ 罠に嵌まらないで
せっかく上手くいっていた人のやる気までが失せてしまってはいけないので、否定的な言葉を並べるのはやめにして、話を先に進めましょう。
とにかく言いたかったのは、練習を途中で投げ出したくなるのは良く有ることなので、 罠に嵌まらないでください、という事です。
☆ そもそも何を目指しているのか
社会に適応して暮らしているならば、ひと通りの常識や良識はわかっていると「私」は思っています。
とはいえ、何かにつけて心が落ち着かなかったり、うまくいかない感じがしたりすると、もっと別の心の状態になれば良いのではないかという気もします。
心の働きを詳しく説明しようとするとき、意識という言葉を使います
☆ 心の安定と正しい行いの基礎を見つける
私たちが、世界を見たり感じたりして認識するのは、意識があるからです。
その意識の状態は一つだけではなくて、変容していろいろな状態になります。
そして、同じ状況の中にいても、意識がどの状態にあるかによって、体験の質が異なります。
どの意識状態での体験が正しいとか、間違っているという事はありません。
唯一絶対の意識状態というのは無くて、どれもが等しく有り得るというだけです。
それなのに、私たちは「常識的」な浅い意識状態による体験だけを唯一の認識と思い込んでいるために、実相がわからなくなっています。
そこで、他のより深い意識状態では異なる体験をするという事実を、意識の全ての層に渡って識るようになれば、本物の世界、実相を識ることになります。
この多層的な深い意識状態に、順番に入っていこうとして練習しているのが、今やろうとしている瞑想です。
そして、部分的な意識での体験に基づくのでなく、意識の全層での体験に基づいて実相を識ることで、本来の認識に基づいた正しい考え方、行動をとれるようになろうとしている訳です。
つまり、今の私たちが考えている「私」や「世界観」は謂わばバーチャル・リアリティであって、より深い意識での体験を知れば、迷うことなく本質に基づく生き方ができるとも言えるでしょう。
ここに、心の安定と正しい行いの基礎を見出しているとも言えます。
☆ 次のステップ
さて、瞑想は体験こそが重要です。理屈ではできません。
なぜなら、理を止め、分別を止めた先の、「無分別の智慧」すなわち般若を使うのが本来の瞑想だからです。
言葉のように記号化された抽象概念や知識、観念では表せない本質を求めるのですから、体験を積み重ねてその状態を体得することが重要です。
ここまでで短いながらも瞑想ができたわけですから、より本格的にしてみましょう。
ここからは、時間を長くしてもラクに瞑想できる工夫です。
☆ 姿勢をもっとラクに
椅子のほかに、座布団やクッションを用意してください。
腰掛ける時に、座面の後ろの方、お尻の下に15cmくらいの高さのクッションを入れてください。
座布団ならば、三つ折りか四つ折りくらいの厚さになると思います。
高級な座布団は折りにくいし、もったいないので、惜し気無く折りたためる物が良いでしょう。
枚数で高さを調節できる物が良いです。
こうしてクッションの上に腰をおろすと、膝の位置よりも腰が高くなります。
膝は少し開きます。両足の力を抜いたときの自然でラクな開き加減にします。
膝から下は床に対してほぼ垂直にします。
足の裏が床から離れないように高さを調整してください。
足がぶらぶらしていると、上体も不安定になりますから、少し体重が足の裏にもかかって踏みしめる感じがある方が良いです。
こうして太腿を前傾させて座ると、骨盤(腰の骨)を立てる効果があり、背筋をラクに伸ばせるようになります。
手は、おなかの前で軽く組むか、太ももの上にのせます。
結跏趺坐やあぐらで座る場合でも、同じようにクッションを使って、太ももが前傾するように座ると、姿勢がラクに保てます。
☆ クッションを使って座ってみる
上の図を参考にして、クッションを使って座ってみてください。
骨盤が立っているのを確かめながら、背筋を伸ばします。
頸椎(首の骨)も真っ直ぐに伸ばし、腰から上が垂直に伸びるような感じで座ります。
身体の各部を微妙に動かしながら、無理なくスッキリと姿勢を保てる状態を探し、クッションの厚さや座面の高さを調整してください。
足の裏が床に着く位置も前後に少しずつ動かして、ラクな位置、安定する位置を見つけましょう。
☆ 少し長めに瞑想
こうして姿勢を整えると、眼を閉じて呼吸に集中したときに、前よりも集中しやすいのではないでしょうか。
では、静かに目を閉じて、自然に呼吸して、鼻孔の周辺の息の感覚に集中しましょう。
はじめは、5分から10分で構いません。
前よりも少し長めの時間で瞑想しましょう。
感覚がつかめたなら良好です。
数を数えないでください。
マントラを唱えるのも無しです。
イメージも思い浮かべないようにしてください。
思い浮かぶ事に心を奪われないでください。
思い浮かんだら、そこで考え続けずにやめます。
ちょうどよく時間が経ったところで、静かに目を開けましょう。
☆ 罠に惑わされないように練習
雑念が相変わらず起きるかも知れませんが、始めのうちはそういうものですから、悩む必要はありません。
雑念が起きたり、身体のあちこちの感覚(痺れる、かゆい、チリチリする等)が気になったりなど、自我がいろいろと仕掛けてきますから、自我の罠に惑わされないように練習する段階です。
☆ 注意力を観察する
瞑想を始めたばかりの頃は、瞑想と言っても雑念やら身体のあちこちの感覚が気になって、何が良くて瞑想するのか戸惑うものです。
しかし、これが実は意味を持っていますから、馬鹿にできないのです。
これらの起きる事に、自分がどのようにして注意を奪われるかを観察するチャンスとして生かすことが重要です。
☆ 意識のプロセスに気づく
自分の「注意」が「向けられる」という事実を、もっと注意深く観察できるようになると、意識の働きが一瞬の単純な出来事ではなく、実に微細な多くのプロセスの集成によって成り立っているのに気づくようになります。
いわば、観察する 分解能(細かく精密に識別する能力)が向上するのです。
瞑想では、このさき意識の働きを細密に観察する作業が続くので、荒っぽい分解能では見逃してしまいますから、ここで観察する能力と集中を持続する能力を鍛えておく必要があるのです。
☆ 雑念を切る
今の段階では、その前に雑念が邪魔になって困ると思われるかもしれませんが、これもまた必要な経験なので嫌がらずに雑念の存在を認めてください。
ただし、その思考を続けずに、気づいたら考えるのをやめます。
今は、瞑想の基礎となる力を鍛えている段階です。
雑念がうるさいという経験を踏まえて、次は雑念を切る練習に入りますが、その為にも雑念が止めどなく湧き起こるのを経験し、観察しておく必要があります。
瞑想をやめてしまいたくなる誘惑に晒されると、苦しい感じに捕らわれやすい段階ですから、諦めずに努力してください。
☆ ラクな体勢で長く瞑想
ここまでに説明した方法では、身体的な苦痛に邪魔されないように、ラクな体勢をとれるように工夫した方法を説明しています。
正しい姿勢を維持できれば、あとは集中力を鍛錬することに専念できるからです。
5分、10分と瞑想できたら、続ける時間を30分、できれば1時間まで伸ばしてみてください。
そのくらいの時間続けられるようになると、その間の瞑想体験に基づいて、意識の働きを更に説明できる段階に至ります。
☆ その先の話は実践してから
もちろん、瞑想が目指しているのはもっともっと先があります。
とはいえ一度に説明されて、訳が分からなくなったのでは意味がありませんから、それはまた体験を積んで意味がわかるようになったところでお話ししましょう。
次回は、長く瞑想したときの体験を参照しながら、雑念を切る練習や起きることの意味をお話ししたいと思います。
どうぞお楽しみに。
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