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祖父とお姉ちゃん

父方の祖父は、私が幼いころに他界した。

私にはなぜだか、祖父との記憶がほとんど残っていない。
幼少期の記憶はこれだけしっかりと残っているというのに、なぜだろう。私にはそれが不思議でしかたがないのだ。

祖父がいつ他界したのか、それすらもよく知らない。
脳溢血だと聞いたから、きっと急だったのだろう。

卵が大好物で、卵の食べ過ぎでコレステロール値が上がりすぎて脳溢血になったと聞いたが、あくまで子どものころに親から聞かされた話なので、真偽のほどは定かではない。

ちなみに、卵の食べ過ぎと脳溢血は、おそらく関係ないであろうと思われる。
脳溢血(脳出血)の原因は高血圧だといわれていて、総コレステロール値が高いと脳梗塞のリスクは高くなるそうだが、脳出血との関連はみられないそうだ。


祖父は私のことをよくかわいがってくれていたと聞く。
自分の好きな有名人に似ていると言って、私が訪れるたびに
「おー、カナタが来たー!」
と、とても喜んでくれたそうだ。

そんな祖父とツーショットで撮った写真が、一枚だけ残っている。
私が2歳半くらいのとき、父の実家で撮った写真だ。

ジャケットを羽織ってなかなか渋いおじいちゃんと、マッシュルームカットのまんまるヘアで、白いトレーナーの上にピンクのエプロン、ブーツカットのズボンを履いて、左手にお買い物かごをぶらさげ、得意げな顔をしている私。

いま見ても、なかなかのおしゃれさんじゃないか。
だけどこれは、当時の私の趣味だったのだろうか。よくわからん。
母曰く、私は自分が気に入った洋服ばかりをいつも着ていたそうだ。たしかに、当時の写真を見るとほぼ同じ服だ。


私のおじいちゃんは、新聞記者だった。
後に「もの書きになること」への強いあこがれを抱くきっかけを私に与えることになるのが、他ならぬこの祖父だ。

私のおじいちゃんは、手作りで自分の本を作ってしまうような人で、仕事の傍ら趣味で多くの詩や小説を書き遺していた。
私の類まれなる文才は(自分で言うか!)、きっとおじいちゃんからの隔世遺伝なんだろうなと思っている。

おじいちゃんのことはほとんど憶えていないけれど、その存在は、私にとって本当に偉大なのだ。


私が3歳のとき、母が第二子を妊娠した。

母が出産準備のため入院したときは、母がそばにいないことが淋しくて淋しくて、「お母さんに会いたい」と、私は泣いてばかりいた。

母と離れて過ごすのは、私にとって生まれて初めての体験だ。
それまで、母とずっといっしょにいることがあたりまえだったのだから、不安をおぼえるのは本能的にも仕方がないことなのだろう。

母のいない家で、父とふたり。
私の生後まもなく引っ越してきた借家の3LDKは、ふたりぼっちだとそうとう広く感じられただろうな。

父とふたりで、当時いったいどのような生活をしていたのだろう。それはよく憶えていないが、とにかく淋しかったということだけはしっかりと記憶している。

母の入院している病院に連れて行ってもらえるときは、跳び上がるほどうれしかった。
父の「お母さんに会いに行こう」という言葉を、私は毎日楽しみに待っていた。

「お父さん、早く行こう! お母さんのところ、早く行こう!」
私は父の手を引っ張って、急かす。
普段はのんびりしていて動作も人一倍遅いのに、そういうときの私は、とても張り切りやさんだ。

「あぁ、カナタ、よく来たねー」
母はいつも笑顔で迎えてくれた。

病院の個室で親子3人、会話を交わして過ごす。
だけど楽しい時間は、あっという間に終わってしまう。

「帰ろうか」と父が言う。私はそれが、とても嫌いだった。その言葉を耳にすると、決まって私はぐずった。
「帰りたくない! カナタもお母さんといっしょにここに泊まる!」
と言ってきかなかった。

まだ母のお腹のなかにいる妹に、母を独占されているような気がして、嫉妬もしていたと思う。
これまでずっと「わたしのお母さん」だと思っていたのに。
誰かに奪われたような、そんな気がして。


母の出産が近づいたころ、私はしばらく父の実家に預けられていたそうだ。
「預けられていたそうだ」と言うのは、その期間の記憶が、私のなかに存在しないからである。

その前後のことはしっかりと記憶にあるのに、父の実家で過ごしたことはまったく私の記憶にはない。いったい、なぜなんだろう。これも不思議でたまらない。

父が私を迎えに来たとき、預けたときとあまりに体型が変わっていて、ビックリしたという。
ぶくぶくと膨らんでいる私を見て、
「えらい肥えたな……」
父はそう思ったそうだ。

しかしそれは、美味しいものを食べすぎて太ったのではなかった。
なんと私は、服を何枚も何枚も重ね着させられ、着ぶくれしていたのだった。

このエピソードも大きくなって何度も聞かされたけど、ほんとにまーったく憶えてないんだよな。

冬だったから、私が寒がったのかな?
私が着たいと言ったのだろうか?
無理やり着せられたのだろうか?
うーん。やっぱり、さっぱりよくわからん。

憶測だけど、まったく何も憶えていないということは、もしかして私にとってあんまりいい想い出じゃなかったのかなぁ。あのとき、いったい何があったのだろう。ダメだ、いろいろ妄想してしまう。


「カナタ、生まれたよ。お母さんと赤ちゃんに会いに行こうか」

無事に出産したことを父から聞かされて、父とふたりで病院に向かった。
病室の扉を開けると、母がいて、その隣に小さなベットが置かれていた。

はやる気持ちを抑えきれず、私は小走りで近づく。
「妹」と、初めてのご対面。

「カナタは、お姉ちゃんになったのよ」

ちいさな手に、ちいさな足。
雪のように真っ白で美しくて、ぷにぷにとやわらかい肌。
とってもいいにおいがする。
お母さんのにおいかな。

「ちっちゃいね」

私は妹の手をつつきながら、感嘆の声をあげた。
少し前まで、母に会えなくて淋しいと、毎日あんなに泣いていたのに。
このときにはもうそんなことはすっかり忘れて、私は目をキラキラと輝かせていた。

母が退院するまで毎日、父といっしょに病院に通った。
母に会うことはもちろん、かわいい妹に会えることが楽しみで仕方なかった。

面会時間が終わって帰るときも、駄々をこねて両親を困らせることはなかった。
もう、淋しくはないから。

「カナタも、ここに泊まる?」

ふふふと母は穏やかに笑いながら、やさしく私にそう言った。

一瞬、母の言葉に甘えたいという気持ちもあった。しかし、そんな気持ちを振り払って、私は首を横に振る。

「カナタは、お姉ちゃんやけん。お母さん、明日もまた来るね!」

そうして私は、「お姉ちゃん」になった。

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